↑これも懸賞ハガキに描いたピチュー兄弟
兄ピチューは、頭の毛が逆立ってるだけでなくたれ目がちでおとなしい顔つき、という特徴だそうで。(ずっと前にもらったチラシに書いてあった) 外見で目立つ兄、動きで目立つ弟といったところでしょうか。ピチュー自体は描きやすいポケモンですが2匹の対比を出すのはやはり難しいです;
ちなみに「ピチューとピカチュウ」の一部の映画イラストやカットを見ると、初期設定では毛が逆立ってるのは弟の方だったらしい事がうかがえます。それでいくとお兄さん大人しいからますます目立たなくなりそうですからね;
いろいろな意味で今年の映画の中で最も印象に残ったセリフ「パルキアのバカヤロー」について。(次点は「なんじゃこりゃあぁぁぁ」)
映画見てしばらくの間こそはあのセリフ唐突過ぎ、さっきまでオラシオンを鳴らそうと必死になってたのにいざディアパルが鎮まったら「バカヤロー」かよ。それも伝説のポケモンに向かって。おまけにディアルガが先に帰っちゃったからパルキアばかりに罵声が浴びせられて可哀想… と否定的な印象が強かった一言でしたが、感想を載せたブログやら掲示板を見ているうちにある解釈に気付きました。
あの時のサトシは、何も本心からパルキアを馬鹿野郎だと思っていたわけではなく(本当に思っていたのかもしれませんが)、あのセリフはあの時のサトシの感情が爆発した結果だったのではないか、という事。
2匹が大暴れして、そのせいでアラモスタウンはどんどん壊されていって、ダークライは庭園を守るために2匹を止めようと必死に立ち向かっていって、ついには2匹の攻撃でダークライが死亡、アラモスタウンは街ごと消えそうになっていた・・・サトシ達が目の当たりにしていたのは死に追いやられたダークライと今にも消えそうになっている街、そしてその2つの犠牲を生み出した張本人のディアルガとパルキア…この状況ならダークライと街の住民達を被害者、そしてディアルガとパルキアを加害者と見て2匹に怒りの感情が湧くのは自然な事でしょう。まして普段からまっすぐで熱血なサトシならなおさら。オラシオンを鳴らし終えて使命から解放され、大人しくなった2匹への恐怖心も消えたサトシの胸の中に代わりに湧き上がってきたのは2匹への溢れんばかりの怒り。こいつらのせいでアラモスタウンが消えそうになってダークライが死んでしまった…「バカヤロー!!」 あのセリフを発した時のサトシにとって、目の前にいたのは「伝説のポケモン」でも「空間を司る神」でもなく、「アラモスタウンを消しかけダークライを死に追いやった張本人のうちの1匹」でしかなかったんだと思います。
「‘パルキアの’バカヤロー」と言ったのもその時たまたま目の前にいたパルキア1匹に怒りをぶちまけた結果。…まあここはパルキアばかり言われて理不尽なのは変わりませんが。
こう考えると、「パルキアのバカヤロー」は正義感の強くてまっすぐなサトシらしいセリフだと思えます。伝説のポケモンだろうと何だろうと、悪いと思ったらまっすぐに立ち向かうサトシ。「ミュウツーの逆襲」でミュウツーに体一つで突進していったサトシと重なります。
ともあれ、今後TV編でディアパルの話が出てくるかもしれない事を考えると、今回の事でサトシがディアパルに悪いイメージを持ってしまっていないかが気がかりです; まあその時はその時で映画の話はなかった事にされるかもしれませんが;
それから主題歌について。最初は洋楽か~、10周年だからって派手にやったな~ ぐらいに思ってたんですが、最近ふと思うようになりました。
「そもそも子供向けの作品にバリバリの洋楽って間違ってないか??」
メイン層の子供が聞いても意味が分かるわけはなく、よっぽど英語に長けてなければ大人でも分かりません。EDに訳詞の字幕が出てはいましたが、あそこはヒカリ達のコンテストシーンの映像も流れるし、小さい子供にはいちいち字幕を目で追ってられないんじゃないかと…漢字も混ざってたし就学前の子はほとんど読めないでしょう;
・・・所詮は安易なアメリカ至上主義・英語至上主義ですか、そうですか。
歌自体はいい歌なんですけどね。ダークライ→アリシア(アリス?)への感情にとれるし。歌詞がいい感じにダークライ→アリシアを表してただけに、ぱっと聞いても意味の分からない洋楽だったのがよけいに惜しいです。
そもそもサラ・ブライトマン氏とポケモンって、今までゲスト声優や主題歌をやってきた芸能人の中でも釣り合わなさすぎでは… 「より有名人」とタイアップする事にとらわれすぎて釣り合わない人とのタイアップになるのもどうかと思います…。
最後に繰り返しますが、歌自体はいい歌だと思います。
兄ピチューは、頭の毛が逆立ってるだけでなくたれ目がちでおとなしい顔つき、という特徴だそうで。(ずっと前にもらったチラシに書いてあった) 外見で目立つ兄、動きで目立つ弟といったところでしょうか。ピチュー自体は描きやすいポケモンですが2匹の対比を出すのはやはり難しいです;
ちなみに「ピチューとピカチュウ」の一部の映画イラストやカットを見ると、初期設定では毛が逆立ってるのは弟の方だったらしい事がうかがえます。それでいくとお兄さん大人しいからますます目立たなくなりそうですからね;
いろいろな意味で今年の映画の中で最も印象に残ったセリフ「パルキアのバカヤロー」について。(次点は「なんじゃこりゃあぁぁぁ」)
映画見てしばらくの間こそはあのセリフ唐突過ぎ、さっきまでオラシオンを鳴らそうと必死になってたのにいざディアパルが鎮まったら「バカヤロー」かよ。それも伝説のポケモンに向かって。おまけにディアルガが先に帰っちゃったからパルキアばかりに罵声が浴びせられて可哀想… と否定的な印象が強かった一言でしたが、感想を載せたブログやら掲示板を見ているうちにある解釈に気付きました。
あの時のサトシは、何も本心からパルキアを馬鹿野郎だと思っていたわけではなく(本当に思っていたのかもしれませんが)、あのセリフはあの時のサトシの感情が爆発した結果だったのではないか、という事。
2匹が大暴れして、そのせいでアラモスタウンはどんどん壊されていって、ダークライは庭園を守るために2匹を止めようと必死に立ち向かっていって、ついには2匹の攻撃でダークライが死亡、アラモスタウンは街ごと消えそうになっていた・・・サトシ達が目の当たりにしていたのは死に追いやられたダークライと今にも消えそうになっている街、そしてその2つの犠牲を生み出した張本人のディアルガとパルキア…この状況ならダークライと街の住民達を被害者、そしてディアルガとパルキアを加害者と見て2匹に怒りの感情が湧くのは自然な事でしょう。まして普段からまっすぐで熱血なサトシならなおさら。オラシオンを鳴らし終えて使命から解放され、大人しくなった2匹への恐怖心も消えたサトシの胸の中に代わりに湧き上がってきたのは2匹への溢れんばかりの怒り。こいつらのせいでアラモスタウンが消えそうになってダークライが死んでしまった…「バカヤロー!!」 あのセリフを発した時のサトシにとって、目の前にいたのは「伝説のポケモン」でも「空間を司る神」でもなく、「アラモスタウンを消しかけダークライを死に追いやった張本人のうちの1匹」でしかなかったんだと思います。
「‘パルキアの’バカヤロー」と言ったのもその時たまたま目の前にいたパルキア1匹に怒りをぶちまけた結果。…まあここはパルキアばかり言われて理不尽なのは変わりませんが。
こう考えると、「パルキアのバカヤロー」は正義感の強くてまっすぐなサトシらしいセリフだと思えます。伝説のポケモンだろうと何だろうと、悪いと思ったらまっすぐに立ち向かうサトシ。「ミュウツーの逆襲」でミュウツーに体一つで突進していったサトシと重なります。
ともあれ、今後TV編でディアパルの話が出てくるかもしれない事を考えると、今回の事でサトシがディアパルに悪いイメージを持ってしまっていないかが気がかりです; まあその時はその時で映画の話はなかった事にされるかもしれませんが;
それから主題歌について。最初は洋楽か~、10周年だからって派手にやったな~ ぐらいに思ってたんですが、最近ふと思うようになりました。
「そもそも子供向けの作品にバリバリの洋楽って間違ってないか??」
メイン層の子供が聞いても意味が分かるわけはなく、よっぽど英語に長けてなければ大人でも分かりません。EDに訳詞の字幕が出てはいましたが、あそこはヒカリ達のコンテストシーンの映像も流れるし、小さい子供にはいちいち字幕を目で追ってられないんじゃないかと…漢字も混ざってたし就学前の子はほとんど読めないでしょう;
・・・所詮は安易なアメリカ至上主義・英語至上主義ですか、そうですか。
歌自体はいい歌なんですけどね。ダークライ→アリシア(アリス?)への感情にとれるし。歌詞がいい感じにダークライ→アリシアを表してただけに、ぱっと聞いても意味の分からない洋楽だったのがよけいに惜しいです。
そもそもサラ・ブライトマン氏とポケモンって、今までゲスト声優や主題歌をやってきた芸能人の中でも釣り合わなさすぎでは… 「より有名人」とタイアップする事にとらわれすぎて釣り合わない人とのタイアップになるのもどうかと思います…。
最後に繰り返しますが、歌自体はいい歌だと思います。