ここは、福島第一原子力発電所から北方に約6km離れた双葉郡浪江町請戸地内の東日本大震災から3年を迎える平成26年3月10日の様子です。
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小さな港町で、本来であればこの場所は民家が密集した住宅街だったそうです。
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しかし、今は一部建物の残骸と基礎部分だけを残して見渡す限り荒れ野原となっています。
ある程度の瓦礫は撤去されて小学校の校庭などに移動されていますが、港から流されてきた漁船や車などは至る所に放置されたままになっていて全く手つかずの状態です。
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防波堤に打ち上げられた漁船の奥に見える煙突が福島第一原子力発電所です。
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戦車のようなパワーショベルも津波の勢いには勝てなかったらしく、波の力に押し潰されてサビだらけになっていました。
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電柱は根元からなぎ倒されて、かろうじて鉄筋でその場に繋ぎ止められていました。
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砂浜には、津波の引き潮で流されてきた車が半分埋まった状態のまま放置されています。
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奥に見える何本かの煙突のようなモノが福島第一原子力発電所です。
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たぶん、震災当時は原発事故により警察や消防ですら避難を強いられて近づくことが出来ませんでしたから、これらの車の中などには遺体が1ヶ月くらい残されたまま放置されていたのだと思います。
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この請戸地区は、去年の平成25年4月1日から警戒区域が解除され『避難指示解除準備区域』となりましたが、同じ浪江町内でも地域によっては放射線量がまだまだ高く『帰還困難区域』や『居住制限区域』に指定されている場所もあります。
いずれにしても、東日本大震災から3年が経過しても復興どころか瓦礫を近くの広場へ移動して山積みにしただけの状態で、その後は全く手つかずのままになっている・・・これが現状なんです。
しかし、この請戸地区ではありませんが震災直後の津波被害の状況を見ている私にとっては、こんな荒れた風景すらある意味生々しさが無くなってきた分穏やかな風景に見えてしまうんです・・・。
それだけ、当時は凄まじい地獄のような状況だったんです。
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小さな港町で、本来であればこの場所は民家が密集した住宅街だったそうです。
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しかし、今は一部建物の残骸と基礎部分だけを残して見渡す限り荒れ野原となっています。
ある程度の瓦礫は撤去されて小学校の校庭などに移動されていますが、港から流されてきた漁船や車などは至る所に放置されたままになっていて全く手つかずの状態です。
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防波堤に打ち上げられた漁船の奥に見える煙突が福島第一原子力発電所です。
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戦車のようなパワーショベルも津波の勢いには勝てなかったらしく、波の力に押し潰されてサビだらけになっていました。
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電柱は根元からなぎ倒されて、かろうじて鉄筋でその場に繋ぎ止められていました。
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砂浜には、津波の引き潮で流されてきた車が半分埋まった状態のまま放置されています。
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奥に見える何本かの煙突のようなモノが福島第一原子力発電所です。
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たぶん、震災当時は原発事故により警察や消防ですら避難を強いられて近づくことが出来ませんでしたから、これらの車の中などには遺体が1ヶ月くらい残されたまま放置されていたのだと思います。
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この請戸地区は、去年の平成25年4月1日から警戒区域が解除され『避難指示解除準備区域』となりましたが、同じ浪江町内でも地域によっては放射線量がまだまだ高く『帰還困難区域』や『居住制限区域』に指定されている場所もあります。
いずれにしても、東日本大震災から3年が経過しても復興どころか瓦礫を近くの広場へ移動して山積みにしただけの状態で、その後は全く手つかずのままになっている・・・これが現状なんです。
しかし、この請戸地区ではありませんが震災直後の津波被害の状況を見ている私にとっては、こんな荒れた風景すらある意味生々しさが無くなってきた分穏やかな風景に見えてしまうんです・・・。
それだけ、当時は凄まじい地獄のような状況だったんです。
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このKEIZIさんの写真は そのまま写真展ができるような強いメッセージがあると思います。
本当にこの場所へ行って360度この世界に囲まれて、空気の冷たさを感じても震災当時の地獄はもっと凄まじい想像を絶するものだったはずです。