森の隠れ家  by KEIZI

森の中の小さな俺の隠れ家。
隠れ家の中は、他人から見れば子供のおもちゃ箱のようにガラクタばかりなのかもしれない。

キーワードは『ドキドキ!ワクワク!』

2006年12月28日 | ひとりごと
みんな、「幸せになりたい」とか「お金持ちになりたい」とか思いますよね?

でも、本当は、お金持ちの人も、あまりお金持ちじゃない人も、美人な人も、美人じゃない人も、みんな同じだけの幸せを与えられていたんですよ。

それに気づかなかっただけだったんです。


それに気づけば、あなたは満たされた気持ちになり本当の幸せに包まれると思いますよ。


例えば、車の購入を例にとって話すと、ベンツを購入しようと考えているお金持ちの人がいます。

一方、お金持ちじゃない人は、一般的なファミリーカーの購入を検討しています。

お金持ちの人は、ベンツのカタログを見ながら「どのグレードのベンツにしようか・・・シートは本皮にしようか・・・」などと思い悩みながら新しいマイカーに思いをはせてドキドキワクワクしています。

ファミリーカーを購入する人も同じようにカタログや自動車雑誌を見ながら、「どのグレードなら予算内で買えるか・・・アルミホイールをはかせれば、何とか見栄えが良くなるんじゃないか・・・」などと考えて、少しでも個性を出そうとして努力しながらドキドキワクワクしています。

当然この時、ふつうに考えればファミリーカーしか買えない人は、ベンツに乗れるお金持ちの人をうらやましいとか、ベンツを買える人の方が幸せだと思いますよね?


でも、ここで考えてみて下さい。

何を考えるのかと言うと、それは、買おうとしている物質的なものの値段などには全く関係がなく、両者とも同じドキドキワクワクという気持ちを味わっていると言うことなのです。

ドキドキワクワクしている気持ちが、すなわち幸福感なんですよね?

とっ、言うことは、幸せというのは、”お金をどれだけ持っているか”とか”どんな価値ある物を持っているか”などと言う物質的な事ではなく、貴方の心の中にどれだけドキドキワクワクがあって、それが幸せだと気づけるかどうかじゃないでしょうか?


つまり、物質面から見れば、購入しようとしている物の価値観などは違っていても精神面では、ベンツを購入しようとしている人も、ファミリーカーしか購入できない人も、同じくドキドキワクワクしている幸福感に満たされていると言うことです。

物質的なものにだけ目を奪われていると、自分に与えられた幸せに気づかないことが多いのです。

少し、宗教的な考えになってしまうかも知れませんが、「幸せ」というのは、自分が持っている物質的なものの値段や価値で計るのではなく、心で感じるものだと思うのです。

たとえ、お金は沢山あっても、お金があるからこそマンションに愛人を囲って浮気をしている夫・・・。冷め切った夫婦仲・・・。そんな家庭で子供達は、物やお金だけを与えられて愛情不足で育ち、家族の心はバラバラ・・・・。

いくらお金があっても、こんなのは幸せじゃないですよね?


一方、貧乏だけど小さな狭い家で、家族寄り添って、いたわり支え合いながら、そして愛し合いながら生活している人達・・・・。

当然、子供達に「テレビゲームを買って!○○ちゃんの家ではテレビゲームがあるのに、どうして家では買ってくれないの?」などと子供に言われれば、親としてはとても辛いです。

しかし、そこにはお金では買えない、その人達だけしか感じることが出来ない幸せが必ずあるはずなのです。

物質的な幸せだけを追いかけていると、いつまでも心は満たされず「自分は不幸だ」としか考えられなくなってしまいます。

そして、欲しい物を手に入れてたとしても、満足感は一時的な物で終わってしまい心は満たされず、直ぐにまた別の物質的欲求を追いかけるようになり、どんどん泥沼にはまってしまうのです。

それは、精神的な面から見れば、本当の幸福からどんどん遠ざかっているのです。


また、美人だから幸せか?と言うと、全く違います。

確かに、美人に生まれた人は、多くの男の人に告白されたり、多くの男の人と付き合うチャンスに恵まれているでしょう。

他人から見れば、とても幸せそうでうらやましい限りですが、当の本人は、どんなに多くの人に愛されても本当に好きな、たった1人の人から愛を得られずに自殺した人さえいるのです。

一方、お世辞にも、決して美人とは言えない人でも、その容姿も出会いの要因として、たった1人の人と巡り会えて幸せになっている人が沢山います。

どうですか?

もう一度、自分の身近なところを見回して考えてみて下さい。

そして、自分の心を静かに見つめ直してみて下さい。

貴方だけに神様が与えてくれた本当の幸せを見付けることが出来ましたか?

絶対!あなたの中に幸せはあるのです。
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いじめと自殺問題

2006年12月23日 | ひとりごと
いま、子供のいじめによる自殺が社会問題として大きく取りあげられていますよね?

可愛いい我が子を喪った親や遺族の方々、そして自分の命を断とうまで思い悩んだ子供の気持を考えると、他人事とは思えず胸が張り裂けるような思いです。

この様な悲惨な出来事を無くすために、マスコミなどでもこの問題を毎日のように取り上げて、原因の追及などをおこなっています。
しかし、いじめによる自殺は、はたして子供の世界だけなのでしょうか?
皆さんの身近な所…つまり職場等でも『大人のいじめ』そして『自殺』はありませんか?
大人の世界でも『いじめ』が存在し、無くならないのですから、善悪を判断する能力に乏しい子供の世界にいじめがあるのは当然だと思うのです。

だからといって、いじめや自殺があっても良いなんて言ってる訳じゃありませんよ。

良く考えてみると、私達の身の回りには、大人の世界にも子供の世界にも『いじめ』が蔓延しているのが分かります。

気が付かないのは麻痺していたり、現実から目を背けているからなのかも知れません。

例えば、先生などと呼ばれて、国の将来や方向性を決める責任ある立場の政治家達も国会という神聖な場所で毎日のように繰りひろげられているのは、国会討論と言う名の『揚げ足取り』『いじめ』にしか私は見えないのです。

確に、子供の自殺など悲惨な出来事が二度と無いように大人達は原因を解明し、そこに人為的なミスや落ち度があれは反省し、責任追求も致し方ないのかもしれません。

しかし、マスコミの報道などを見ていても、真実を追求する正義感というよりも、その報道の仕方には『悪意』すら感じ、学校、教師、教育委員会などに対する一種の『報道に名を借りたいじめ』と感じるのは私だけでしょうか…?

この様な『大人のいじめ』が、世間にとってとても影響力のあるテレビなどのマスメディアから毎日のように垂れ流されて、子供たちは、このような環境の中で育っているのですから『いじめに対する罪悪感』薄れたり欠如してしまうのは、致し方ないのかもしれません。

私達大人は、いじめの現場という狭い範囲だけで原因を見付けようとするから結果的に誰かに責任を擦り付けるだけで、問題は何一つ解決されないまま現在に至っているのです。

そして、この『誰かに責任を擦り付ける』行為も『大人のいじめ』に他ならないのではないでしょうか?

もっと広い範囲と視野で、大人達は、一人ひとりが自分を見つめ直して襟を正し、子供の見本となる生き方をしなければ、本当の意味での問題解決や、子供にとっても大人にとって本当の平和解決はないような気がするのです。

このような社会にしてしまったのは、誰か特定の人のせいではなく、私たち大人一人ひとりに責任がるのですから・・・。


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不完全なおもしろさ

2006年12月20日 | ひとりごと
時代の最先端を行く技術と機能を追求した道具は、まるで芸術品のように美しいですよね?
たとえそれが過去のものであったとしても、時代を超えて人を感動させる美しさがあり、まるで、美しさを優先して作られたのではないかと思うほどです。

しかし、どんなに最先端技術を駆使したものであっても完璧ではありません。
完璧ではないからこそ、その道具を使う人間の個性が現れるのです。



例えば、万年筆も美しい道具の一つだと思います。


私は、道具と言うものが大好きでワクワクしてしまいます。
職人達が使う年季が入った道具などは、たとえ古くても手入れがされていて、見ているだけで美しく感じます。

しかし、道具を作る技術者達は、誰が使用しても同じように機能する完璧な道具を作るために努力していますが、完璧でないからこそ、そこに使う人の個性やテクニックなどの差が出ておもしろいのです。

誰が打っても正確な方向、同じ飛距離で飛ばせるゴルフクラブが出来たら、ゴルフをプレイする方も観客として見る方も全くつまらないものになってしまいます。

美しいフォルムの中に詰め込まれた最先端技術のフォーミラー1マシーンも、F1ドライバーの技術によってタイムに差が出るからおもしろいと思うのです。



そこに人間が操る不完全なおもしろさがあるのです。
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サンタクロースって本当にいるの?

2006年12月20日 | ひとりごと

「サンタクロースって本当にいるの?」子供同士の会話ならともかく、大人がこんな事を本気で話していたら頭がおかしいと思われますよね?

でも、私はいると思いますよ。



もちろん赤い服を着てトナカイのソリに乗って空を飛んでやって来る訳ではありませんし、煙突から家の中に入ってきたりもしません。
そんなことをしていたら、一晩で世界中の良い子にプレゼントなんて、とても渡し切れませんよね?

私が思うにサンタクロースは、子供のことが大好きでたまらない北国の神様だと思うんです。
だから・・・可愛いわが子を愛する親の心にそっと降りてきて、私達を通じて子供達にプレゼントを渡しているんです。

私達は、それに気づいていないだけなんですよ・・・きっと・・。本当はサンタさんが世界中の子供達にプレゼントを渡しているんです。

私達が子供達にプレゼントを買ってやっているんじゃありません。
そう思うんです・・・・私は・・・。



貴方はそうは思いませんか・・・?
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我が家の守り神

2006年12月17日 | ひとりごと

我が家のリビングから見える森です。

その中で、ひときわ目立って数本株立ちしている白い幹の樹木が朴の木(ほおの木)です。

そう、「朴葉焼き」とか「朴葉みそ」などの料理に使われる葉っぱの木です。
木材としては、比較的軽くて素直な材質なので、彫刻に使われたり、下駄などにも使われているようです。
切ったばかりの幹は、うす緑色で、とてもきれいな色をした木材です。

生命力も強く、伐採しても切り株から新しい芽が出てきて(萌芽更新)成長していきます。
葉っぱは、大きなもので大人の顔が余裕で隠れる位の大きさになります。

「神様の木」と言われているのを聞いたことがあります。

私が、この場所に家を建てた理由の一つが、この森のこの木になぜか惹かれたからなのです。

本当に森の守り神のような存在感を感じますし、私にとっては、この樹は我が家の守り神・・・そんな気がする大切な樹なのです。
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水彩画風

2006年12月09日 | 写真


私は、森が好きです。木が好きです。木の家が好きです。






無垢の木は、見た目にも癒されますが、調湿効果などもあり、エアコンなどの機械設備を使わなくても不思議なくらい家の中は快適です。







薪ストーブの暖かさはやわらかく、家の中全てを暖めてくれますし、炉の中でオーロラのように揺らめく炎を見ているだけでもゆったりとした時間を過ごすことが出来て癒されます。








薪は、時間をかけて乾燥させます。
薪割りをしてから1~2年は、じっくりと乾燥させてから使います。
庭に積んだ薪の前で目を閉じ、せわしい時の流れから魂を離脱させ、薪がゆっくりと時間をかけて乾燥していく自然レベルの時間に同調すると何とも言えない癒しがあるのです。









桜の木の木口です。
なんか人の形みたいで楽しいでしょ?

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やわらかな海辺の日差し

2006年12月06日 | 写真



大きな貨物船が停泊していたので、立ち入り禁止の金網越しにパチリ!





空のとコンテナののコントラストになぜか心惹かれて・・・。




釣りをする少年・・・・何か釣れたかな?
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