本日の散歩は以下の通りです。
ルート:京王永山駅~多摩市町名由来碑(諏訪)~多摩市町名由来碑(馬引沢)~多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)~多摩市町名由来碑(連光寺)~ろくせぶ公園~多摩市町名由来碑(関戸)~アート作品(鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~)~アート作品(希望)~多摩市町名由来碑(一ノ宮)~殿田中央公園~京王多摩センター駅
11:50頃、京王線の京王永山駅へ到着。
南東方向、直線距離約220m先へ移動。
11:55少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(諏訪)」へ到着。
解説板によれば、「諏訪」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
町内にある「諏訪神社」から取られているのだとか。
東南東方向、直線距離約510m先へ移動。
12:05少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(馬引沢)」へ到着。
解説板によれば、「馬引沢」は平成時代に入ってから新設された町名で、
それ以前の「大字連光寺字馬引沢」の小字部分を取ったとの事。
由来は定かではないそうです。
北北東方向、直線距離約590m先へ移動。
12:20頃、「多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)」へ到着。
解説板によれば、「聖ヶ丘」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
近辺に明治天皇の御猟場があった事から、
「聖蹟」のうち一字を取って名付けられたとの事。
北北西方向、直線距離約840m先へ移動。
12:35頃、「多摩市町名由来碑(連光寺)」へ到着。
解説板によれば、「連光寺」は古くは「蓮光寺」として鎌倉時代の「吾妻鏡」にも名が登場するそうです。
かつて同名の寺院があった事に由来するとされています。
北北西方向、直線距離約1.2km先へ移動。
13:00少し過ぎ頃に、「ろくせぶ公園」へ到着。
【ろくせぶのなかま(作:藪内佐斗司)】
3月10日の散歩でも訪れておりますが、
本日は多摩市内のアート作品をフォローするという裏目的もあるため、再訪してみました。
ちなみに「ろくせぶ」は 昔の面積単位「六畝歩」から来ていて、
一畝は30坪、六畝歩は約600平方メートルぐらいでしょうか。
(実際の公園の面積は約1450平方メートルとの事)
西南西方向、直線距離約210m先へ移動。
13:05頃、「多摩市町名由来碑(関戸)」へ到着。
5月15日の散歩で訪れておりますが、
町名由来碑巡りの一環で再訪しました。
解説板によれば、「関戸」の名の由来は、
かつてこの地に関所が設置されていた事によるものだそうです。
西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
13:10頃、路上のアート作品の設置されている場所へ到着。
【鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~(作:中野滋)】
川崎街道と聖蹟Uロードの合流付近の路上に設置されています。
回音楽が流れたりライトアップされる仕組みとの事ですが、
電源ケーブルらしきものは外されいたので、
今はただのオブジェなのかもしれません。
西北西方向、直線距離約150m先へ移動。
13:15頃、聖蹟桜ケ丘駅前のアート作品の設置されている場所へ到着。
【希望(作:淀井敏夫)】
少女が貝殻を掲げ、そこから飛び立とうする鳥が表されているそうです。
ついでに、傍にあった「青春のポスト」も写真撮影。
聖蹟桜ヶ丘の地はジブリ映画「耳をすませば」の舞台となったため、
その縁で設置されたものと思われます。
普通のポストとしては機能しておらず、
自分の夢について書いた手紙を投函するものだそうです。
京王線の高架下にもアート作品が設置されていました。
【1986.3(作:瀧本光國)】
作品名がこれで正しいのかは分かりませんが、
他に作品名らしきものは見当たりませんでした。
触れた感じでは土台の上の彫刻は木製だったので、
故に濡れ難い高架下に設置されているのかもしれません。
北北西方向、直線距離約320m先へ移動。
13:20頃、「多摩市町名由来碑(一ノ宮)」へ到着。
解説板によれば、「一ノ宮」の由来は近辺に「武蔵国一ノ宮小野神社」が存在する事からだそうです。
傍にあるはずの「神奈川県水量標識」は今回も発見ならず。
南西方向、直線距離約1.5km先へ移動。
13:55頃、「殿田中央公園」へ到着。
【和田土地区画整理事業竣功記念碑~MILESTONE 1991~(作:藤原吉志子)】
1月8日の散歩でも訪れておりますが、
多摩市のアート作品に挙げられていたので再訪してみました。
本日予定していた目的地へは巡り終えたので、
南南西方向、直線距離約2.2km先へ移動。
14:40頃、京王多摩センター駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
ルート:京王永山駅~多摩市町名由来碑(諏訪)~多摩市町名由来碑(馬引沢)~多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)~多摩市町名由来碑(連光寺)~ろくせぶ公園~多摩市町名由来碑(関戸)~アート作品(鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~)~アート作品(希望)~多摩市町名由来碑(一ノ宮)~殿田中央公園~京王多摩センター駅
11:50頃、京王線の京王永山駅へ到着。
南東方向、直線距離約220m先へ移動。
11:55少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(諏訪)」へ到着。
解説板によれば、「諏訪」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
町内にある「諏訪神社」から取られているのだとか。
東南東方向、直線距離約510m先へ移動。
12:05少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(馬引沢)」へ到着。
解説板によれば、「馬引沢」は平成時代に入ってから新設された町名で、
それ以前の「大字連光寺字馬引沢」の小字部分を取ったとの事。
由来は定かではないそうです。
北北東方向、直線距離約590m先へ移動。
12:20頃、「多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)」へ到着。
解説板によれば、「聖ヶ丘」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
近辺に明治天皇の御猟場があった事から、
「聖蹟」のうち一字を取って名付けられたとの事。
北北西方向、直線距離約840m先へ移動。
12:35頃、「多摩市町名由来碑(連光寺)」へ到着。
解説板によれば、「連光寺」は古くは「蓮光寺」として鎌倉時代の「吾妻鏡」にも名が登場するそうです。
かつて同名の寺院があった事に由来するとされています。
北北西方向、直線距離約1.2km先へ移動。
13:00少し過ぎ頃に、「ろくせぶ公園」へ到着。
【ろくせぶのなかま(作:藪内佐斗司)】
3月10日の散歩でも訪れておりますが、
本日は多摩市内のアート作品をフォローするという裏目的もあるため、再訪してみました。
ちなみに「ろくせぶ」は 昔の面積単位「六畝歩」から来ていて、
一畝は30坪、六畝歩は約600平方メートルぐらいでしょうか。
(実際の公園の面積は約1450平方メートルとの事)
西南西方向、直線距離約210m先へ移動。
13:05頃、「多摩市町名由来碑(関戸)」へ到着。
5月15日の散歩で訪れておりますが、
町名由来碑巡りの一環で再訪しました。
解説板によれば、「関戸」の名の由来は、
かつてこの地に関所が設置されていた事によるものだそうです。
西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
13:10頃、路上のアート作品の設置されている場所へ到着。
【鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~(作:中野滋)】
川崎街道と聖蹟Uロードの合流付近の路上に設置されています。
回音楽が流れたりライトアップされる仕組みとの事ですが、
電源ケーブルらしきものは外されいたので、
今はただのオブジェなのかもしれません。
西北西方向、直線距離約150m先へ移動。
13:15頃、聖蹟桜ケ丘駅前のアート作品の設置されている場所へ到着。
【希望(作:淀井敏夫)】
少女が貝殻を掲げ、そこから飛び立とうする鳥が表されているそうです。
ついでに、傍にあった「青春のポスト」も写真撮影。
聖蹟桜ヶ丘の地はジブリ映画「耳をすませば」の舞台となったため、
その縁で設置されたものと思われます。
普通のポストとしては機能しておらず、
自分の夢について書いた手紙を投函するものだそうです。
京王線の高架下にもアート作品が設置されていました。
【1986.3(作:瀧本光國)】
作品名がこれで正しいのかは分かりませんが、
他に作品名らしきものは見当たりませんでした。
触れた感じでは土台の上の彫刻は木製だったので、
故に濡れ難い高架下に設置されているのかもしれません。
北北西方向、直線距離約320m先へ移動。
13:20頃、「多摩市町名由来碑(一ノ宮)」へ到着。
解説板によれば、「一ノ宮」の由来は近辺に「武蔵国一ノ宮小野神社」が存在する事からだそうです。
傍にあるはずの「神奈川県水量標識」は今回も発見ならず。
南西方向、直線距離約1.5km先へ移動。
13:55頃、「殿田中央公園」へ到着。
【和田土地区画整理事業竣功記念碑~MILESTONE 1991~(作:藤原吉志子)】
1月8日の散歩でも訪れておりますが、
多摩市のアート作品に挙げられていたので再訪してみました。
本日予定していた目的地へは巡り終えたので、
南南西方向、直線距離約2.2km先へ移動。
14:40頃、京王多摩センター駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます