お寺は住職がいて檀家さんたちからお金を集めて維持されています。
神社は宮司がいて氏子さん達が守っています。
近年、お墓離れで寺院の経営が困難になってきたという話を耳にします。
神社もしかり。
地方の神社では若者がいなくなって氏子組織が継続困難になり、
お祭りの開催も危ぶまれてきました。
そんな神社の台所事情が記事になっていましたので紹介します。
やはり厳しい現状がそこにありました。
神様に使える宮司さんにも、経営の知識とスキルが必要な時代になったのですね。
▢ 年収300万円未満の宮司が6割以上…コンビニよりもいっぱいある日本の神社経営の「シビアな実態」「お守り1000円、ご祈祷1万円」に値上げした神社の挑戦
田川 伊吹:病厄除守護神 廣田神社 第17代宮司
(2025.3.14:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);
神社の数が減少し続けている。全国最年少の23歳で廣田神社(青森市)の宮司に就任した田川伊吹さんは「経営が立ち行かない神社が多く、宮司の成り手不足が深刻化している。神社の経営を成り立たせるには、神社や神様のファンを増やしていく必要がある」という――。
▶ 計22の神社を「かけもち」する理由
日本にある神社の数は、8万709社(文化庁『宗教年鑑 令和5年版』)にものぼり、全国のコンビニエンスストアの数(約5万5000店)よりも多くなっています。住宅街の片隅やビルの隙間、田んぼの真ん中や山の頂など、日本のいたるところに神社はあります。
ちなみに、神社には大きく分けて2種類あって、ひとつが氏神神社といって地域を守ってくださる氏神様をお祀りする神社です。昔から地域の人々に信仰され、守られてきました。もうひとつは崇敬神社と言われる神社で、個人の特別な信仰などによって崇敬される神社です。たとえば、明治天皇をお祀りしている明治神宮などがこれに当たります。
約8万社の神社がある一方で、宮司はどのくらいいるのかというと、全国に約1万1000人しかいません。そのため、一人で複数の神社をかけもちしている宮司が多く、なかには50社以上の神社で宮司を務めているという人もいます。私自身、廣田神社以外に21の宗教法人格のある神社をお預かりしています。これほど宮司のなり手が不足しているのは、経営が立ち行かない神社が多いからです。
▶ 安泰なのは一部の有名な神社だけ
神社の主な収入源は、お賽銭やご祈祷料、お守りやお神札などの授与品による収入(初穂料はつほりょう)、寄付金などです。しかし、こういった宗教活動による収入だけで経営が成り立っている神は、ほんの一握りです。
想像してみてください。京都などの観光地にある有名神社や初詣に何十万〜何百万人も参拝者が来る神社は別として、各地域にある小さな神社に1日何人の人が参拝に来るでしょうか? そしてお賽銭は一人いくら納めてくれるでしょうか? また、近所の神社で1年に1回でもお守りやお神札を受ける人は、どのくらいいるでしょうか?いずれも非常に少ないことが容易に想像できるはずです。地域の神社に寄付をする人となれば、さらに少ないでしょう。
▶ 兼業しないと家族を養っていけない
多くの神社の経営状態が厳しいなか、1年間の収入が300万円未満の宮司が6割以上とも言われています。それでは家族で食べていくのが難しいため、会社員や公務員と兼業している宮司が大勢います。
青森市と周辺地区をあわせて100社ほどある神社のうち、生活するだけの十分な収入がある神社は5社ほどしかありません。そういう状況で、社家をやめてしまったところもあります。
神社の経営不振・後継者不足は日本全国で起こっていて、その結果、神社の数は減少の一途をたどっています。國學院大学の石井研士教授の調査によれば、2040年までに3万2867法人が「限界宗教法人」と位置付けられるとされています。
ではこんな時代にも、守られ、続いていく神社とは、どんな神社でしょうか?
ローマの遺跡のように歴史的価値があればよいかというとそんなことはありませんし、観光地でもなく、国の援助もない状態では維持していく収入を得ることも難しい神社がほとんどでしょう。ただ、それよりも重要なのは、地域の人たちとのつながりです。
▶ コンビニより多い神社が存続する方法
たとえば、日頃の収入が少なかったとしても、お正月には地元の人々が集い、お祭りの際には金銭や労働力を惜しまず提供してくれたり、境内の修繕が必要な際には寄付が寄せられたりします。これらは単なる協力としてではなく、地域の人々が日々の感謝の念を神様に捧げ、神社を大切な存在として守りたいという思いがあってこそ成り立つのです。
こうした「ご奉仕」の心が広がれば、結果として神社そのものの収入は微々たるものでも維持することができるでしょう。
あるいは、近くを通ったついでに「ちょっとご挨拶」といった感覚で、出退勤や外にお出かけする通り道としてお参りするのが習慣化され、毎日50人ほどお参りされる神社だったらどうでしょう。一人のお賽銭が100円であったとしても、ある程度の運営資金を確保できます。
まず、地域の人たちにとって、現在進行形で祈りを捧げる場所、拠り所となるという、本来の神社の役割を果たすこと。そうすれば結果として、守られる存在になれるのです。
▶ 「お守り500円」は高い? 安い?
お守りは神社の主な収入源のひとつですが、私が宮司に就任した当時、廣田神社で頒布していたお守りの初穂料は350〜500円。全国的にみても500円程度が一般的でした。みなさんは、この500円という金額、お守りの代金として妥当だと思いますか? その頃の私は「お守りの価値はその程度のものなのか」と疑問に思っていました。
そもそもお守りは、「買う」ものではありません。「授与品」という言葉からもわかるように、神様から授けていただくものです。そのため、お守りの金額は「価格」ではなく、「初穂料」と言います。
初穂というのは、その年に初めて収穫された稲穂のこと。実りの秋に感謝の気持ちを込めて神様にお供えしていたため、「神様に供えるもの」の意味でも使われるようになりました。そこから、お供えする金銭のことは、「初穂料」と言われるようになったのです。
お守りは神様のお力をいただくものですから、本当は、値段はつけられません。昔はそれぞれが自分の「お気持ち」を納めて、いただくものでした。しかしそれだと、いくら納めればよいかわからないという人が増えたため、神社が「初穂料は○○○円」と決めるようになったのです。
▶ お守りの本来の価値が忘れられている
金額が決められてしまえば、それはそのものの価値を測るひとつのものさしになってしまいます。500円程度で比較的手軽に手に入れば、その分の価値しかないと感じてしまう人も少なからずいるでしょう。そのせいか、いただいたお守りを大切に、肌身離さずもち歩いている人は減っているように感じます。つまり、お守りの本来の価値や役割が忘れられてしまっているのです。
ご祈祷に関しても、私には同じような懸念がありました。初宮参り、七五三、厄除祈願など、人生儀礼のご祈祷は、本来、神様の前でこれまでの人生を振り返って感謝したり、今後の成長を祈ったりする場ですが、そういう意識をもっている人は少ない。たくさんあるイベントのひとつとして、写真を撮ることに一生懸命になっている人も多いです。
こういった現状は、お守りやご祈祷の意味やありがたみをきちんと伝えられていない宮司にも原因の一端があると考えています。
▶ 1000円に値上げした時にやったこと
神社経営は単なる商売ではありません。神様に奉仕し、神様と参拝者の仲立ちをする「なかとりもち」が本業です。経営を成り立たせるには、その本業を通して、神社や神様のファンを増やしていく必要があります。授与品やご祈祷の意味や価値を、参拝者に正しく理解してもらうのも私たちの務めなのです。
廣田神社の場合は10年ほど前から、初穂料を1000円ほどに金額を上げたうえで、金額以上の価値があると感じてもらえるよう、お守りをより丁寧に取り扱うようにしました。
宝飾店を思い浮かべてもらえるとわかりやすいでしょう。ジュエリーや時計はガラスケースに入れられ簡単には触れられません。取り出すときには素手でなく手袋をはめて、トレイに載せられます。このように丁寧に扱われる品に対して、人は高い価値を感じるものです。
そこで当社では、参拝者が自由にさわれないようにお守りの見本をガラスケースに入れて展示しています。また、授与する際には、手渡しではなく、折敷おしきという神事に使われる角盆に載せてお渡ししています。
このほか、グラフィックデザイナーさんがデザインしたお守り袋をつくって、もち歩きたいと思ってもらえるような工夫もしています。
▶ 「お値段以上」と感じてもらえている
ご祈祷に関しても、初穂料5000円の神社がほとんどでしたが、当社では1万円にして、その分、丁寧に儀式を執り行うよう、職員全員に徹底しています。お辞儀の角度や歩くスピードなど、決められた作法を折り目正しく行うのが基本で、神職全員で行う朝のご祈祷(朝拝)のとき、所作が乱れているところがあれば、お互いに指摘するようにしています。
作法ひとつひとつを丁寧に行うことで、ご祈祷を受けるみなさんにもその緊張感が伝わるので、より厳かな気持ちで儀式に臨んでいただけるようになったと思います。その証として、1万円以上お包みされる方も多数いらっしゃいます。
神様とのつながりを感じられる品や儀式には、他のものには代えがたい価値があるはずです。参拝してくださる方々にその価値をどのように伝えるのか、それが神職の頭の使いどころであり、重要な役割なのです。
▶ コストがかかる以上、利益は必要だが…
「神社がお金儲けをしていいの?」
こんな疑問を投げかけられることがあります。神社のような宗教法人がお金を稼ごうとすると、「人々の幸福のため」「平和な社会をつくるため」といった理念は参拝者からお金を巻き上げるためのウソのように思われてしまうのでしょう。病院や学校なども同じような目で見られがちです。
ただし、当然ながらどんな法人も利益がなくては、経営が成り立ちません。何かしら事業を行えば、人件費、原材料費、家賃、光熱費など、必ずコストはかかるからです。神社であれば、その建物を維持したり、季節ごとにあるお祭りを行ったりするにもお金が必要になります。
廣田神社の場合、1945年の青森大空襲でほとんどの建物が焼失し、現在の社殿は1972年に再建されたものです。すでに半世紀以上が経ち、あちこち傷んできているので、修復が必要になっています。突然、建物が壊れて再建が必要になることもあり、その都度、多額の費用がかかります。
建物や境内の整備は、神様が安らかにお鎮まりいただくために不可欠ですが、それだけではありません。傷んだ部分を放置しておくと、不思議なことに神社の清浄な空気は失われ、人々の足は遠のくようになります。人々の「祈りの場」を守るために、境内は常にきれいにしておかなければならないのです。
▶ 「神社経営」と「企業経営」の共通点
神社を守っていくには、理念も、利益も両方必要です。どんなにすばらしい理念があっても、利益がなければ実現不可能ですから、ただの机上の空論になってしまいます。反対に利益はあっても、そこに理念がなければ、氏子崇敬者や働く人からは信用されません。
理念と利益を両立させて初めて、神社を維持・発展させられます。これは、一般企業も同じでしょう。
「一日、一年、一生を共にする廣田神社」
・ 一日
日常の中の祈り。神棚やお神札に手を合わせ、お守りを身につける習慣とする。
・ 一年
年中行事や祭りへの参加や参拝を慣習とする。
・ 一生
人生儀礼を家族の伝統とする。
日常の中の祈り。神棚やお神札に手を合わせ、お守りを身につける習慣とする。
・ 一年
年中行事や祭りへの参加や参拝を慣習とする。
・ 一生
人生儀礼を家族の伝統とする。
そのために重要なのは、利益の生み方と使い方です。当たり前ですが、理念と利益を両立するには、理念に沿ったお金の稼ぎ方をしなければなりません。
▶ 得られた利益の「正しい使い道」
神社の場合ならば、宗教活動と関係ない事業で儲けようとしたり、「御神徳がある」といってお守りやご祈祷に高額な初穂料を支払わせたりしては本末転倒です。簡単に言えば、神様から見られて恥ずかしい利益の上げ方はできません。
そして、得た利益は理念を達成するために使います。神社であれば、先ほども述べたように、まずは神様のため、境内の環境を整えるために投資します。
当社は、デザイナーズお守り袋や期間限定の御朱印といった新しい授与品をつくったり、SNSを活用したりするなかで、参拝者とともに利益も徐々に増やすことができました。
その増えた利益は令和元年(2019)の「奉祝記念事業」など、境内の整備のほか、神様に奉仕する職員の教育などに活用しています。さらに、金魚ねぶた献灯祭や御仮屋お茶会、八甲田山の祠の再建プロジェクトなど、地域の文化や歴史を守る取り組みにも資金を投入しました。
利益は目的ではなく、理念を実現するための手段なのです。
▶ 渋沢栄一も「道義と算盤の両立」を説いた
このように、理念のもと、神様に喜んでいただくために、あるいは地域社会に貢献するためにお金を使っていけば、神社の雰囲気がよくなり、新聞やネットニュース、一般の方々のSNSで取り上げられる機会も増えます。それが新しい参拝者を呼び、利益が増え、神様や社会に還元できる、というよい循環が生まれるのです。
これは一般企業に置き換えても同じことが言えます。得た利益を理念に基づいて正しく使えば、必ず新たな利益となって返ってくるものです。
ちなみに、日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一も、『論語と算盤』のなかで、道徳と経済の合致説を説きました。簡単に言えば、「商売においては道義(論語)と算盤(利益)の両立が大切で、道義を伴った利益を追求することで、企業も会社も豊かになる」としています。
<参考>