知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

日曜美術館「疫病をこえて、人は何を描いてきたか」

2020年07月18日 14時36分16秒 | 日本人論
疫病を描く・・・というと、日本の昔の疱瘡絵(疱瘡予防のお守りとしての絵)を思い出します。
はて、病はどんな姿で画かれてきたのか、ちょっと興味があります。
少し前に録画してあった番組を見てみました。

日曜美術館(2020.4.19 NHK-Eテレ



<内容>
「疫病」をテーマとした美術をとりあげ、人間はどのように疫病と向き合い乗り越えてきたかを探る。小池寿子さん(西洋美術史)は中世ペスト期のイタリア壁画を読み解き、疫病の流行を経てルネサンスが準備されたと語る。山本聡美さん(日本美術史)は疫病を〈鬼〉の姿で表した絵巻を例に、可視化することで制御し病と折り合おうとしたと解説。ネットで護符として流行の妖怪「アマビエ」も登場、〈心が前に向く美術〉をご一緒に。
この番組では、もっと昔に遡り、平安朝の絵巻に疫病が「鬼」として描かれていたと教えてくれました。

しかし、恐ろしい鬼というより、ちょっとユーモラスな印象。
おそらく、姿の見えない疫病への恐怖を、見える化して不安をやわらげる効果を期待したのだろう、と解説されました。

なるほど。

さて、それから800年が経った現在、日本は新型コロナウイルス流行に揺れています。
そこで突然登場したのが「アマビエ」という妖怪。


(⇩)これをパクった厚労省のCOVID-19感染拡大防止ロゴ

歴史を紐解くと、江戸時代末期に熊本県地方のかわら版に描かれたくらいの資料しか見当たらないそうです。
そこには、髪の毛が長くて、口がクチバシのように尖り、体は魚の姿をした、やはりちょっとユーモラスな姿をした妖怪が描かれています。
その妖怪は海から現れて、「私を書き写して人に見せなさい」と言い残して去って行きます。
別に見せたから疫病退散の御利益があるとか、一言も言っていません。

でも、SNS上で活躍する某漫画家がこれを取りあげ拡散したところ、現代人の不安な心に刺さってブームになったという経緯らしいです。

実は「アマビエ」、「海彦」(アマビコ)が変化したモノという説もあるそうです。
アマビコは三本足の猿の顔をした妖怪で、やはり疫病退散の御利益があるらしい。


さて、番組ではヨーロッパの絵も扱っていました。
想像通り、疫病は「悪魔」として描かれていました。

13世紀のヨーロッパで猛威を振るったペスト(黒死病)は、人口の3割を死に追いやった病。
キリスト教が普及していた当時のヨーロッパでは、病は「罪を背負った人間に神の与えた試練」と考えられていました。
だから神に祈れば救われるはず・・・しかし祈れども祈れども人はバタバタ死んでいく・・・神は人を救ってくれない、キリストはウソではないか?
とキリスト教社会を終焉させるキッカケにもなりました。

そして人々は病と向き合うようになり、当時流行したのがセレブと死人が手をつないで踊る「死の舞踏」というモチーフの絵画だそうです。


その先には、生きていることの素晴らしさを再認識するルネサンスが到来します。

ペストが中世を終わらせ、ルネサンスを導いたのですね。

さて、現在に戻ります。
新型コロナウイルス流行は人類に何をもたらすのでしょうか。
一定の比率で高齢者の命が奪われることは覚悟しなければなりません。
しかし、それよりも心配なのは、人々の心のありようです。

新型コロナに対峙して、
人類は協力して克服するのか?
人類は他罰的になり分断して疲弊するのか?
残念ながら、現時点では後者の色が濃いようです。


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高松塚壁画のヒミツ

2019年05月04日 21時13分03秒 | 日本人論
 GW10連休中に、録りためたTV番組をつらつら鑑賞。
 現在、古代日本史がマイブームなので、今日は高松塚古墳壁画に関する番組を視聴しました。
 高松塚壁画というと、私は記念切手を思い出します。



 小学校の頃に切手収集ブームがあり、そのときに目にした記憶があります。
 昔の日本人って、こんな服を着てたんだ、と言うくらいの印象。

 そうそう、2000年代に入って、壁画が劣化して文科省の責任問題になったこともありましたね。
 それから保存・復元に政府が本腰を入れたらしい。

 さて今回、この番組を見て認識が大きく変わりました。
 デジタル復元という新しい手法、当時の衣服の色から階級を推定する専門家など、現代の知識と技術を駆使して、300年間謎だった壁画の意味と埋葬された人物を推理するという内容。
 次々と明らかにされる事実は、スリリングであり、感動的でもありました。

 その壁画は、大宝律令を制定し、国交断絶していた唐と国交を回復すべく遣唐使をはじめた忍壁皇子(おさかべのみこ、天武天皇の皇子、別名:刑部親王)の勇姿を描いたものだったのです。
 当時、アジアで法律で国を治めるようになったのは中国に次いで二番目。
 大宝律令制定の儀式は外国からの使者も参列し、そのときの行進の様子を描いたもの。
 もちろん、埋葬されているのは忍壁皇子であり、彼の晴れ舞台を敬意を持って石室に残したのでした。

<内容紹介>
【歴史秘話ヒストリア】「飛鳥美人 謎の暗号を解け〜高松塚壁画のヒミツ〜」(2017年5月12日放送)
 「飛鳥美人」が発見されたのは、奈良県明日香村にある高松塚古墳。下段の直径23メートル、上段の直径18メートル、高さ5メートルの2段式の円墳で、7世紀末から8世紀はじめ頃に築造されたと推定されています。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍有名になり、古墳は特別史跡に、壁画は国宝に指定されました。「飛鳥美人」とはこの壁画に描かれた女性のことです。
 当時、考古学史上最大の発見とたたえられた高松塚古墳の壁画。極彩色で描かれていたのは、16人の男女の群像に天空の星々、そして四方を守る霊獣です。10年に及ぶ専用施設での懸命の修復の結果、その真の姿が現代によみがえりつつあります。
 しかし、そこで浮かび上がってきたのは新たな謎でした。日本の伝統的な絵画では珍しい“カメラ目線”で正対した姿で描かれた「飛鳥美人」は何を見つめているのか?そして壁画に描かれた16人の登場人物は一体何をしているのか?そして被葬者の正体は?
 番組では、最新のデジタル技術で1300年前の壁画の再現を試みます。色の濃淡までも使い分ける極彩色の世界からわかることのひとつに、衣服の色彩による身分の差があります。描かれている男性たちよりも身分が高く描かれている女性たち。その中でも、ひときわ身分が高く、被葬者に近く描かれている女性が、被葬者の妻である可能性が浮かび上がってきています。
 そして描かれているシーンが何を示しているのかという謎にも迫ります。いすや日傘、スティックを持っていることから、散歩やピクニックを示しているという捉え方もできます。その一方で、これはある儀式を意味しているのではないかという説が登場。ドラマパートではその様子を再現し、国宝壁画に秘められた暗号の解読に挑みます。



 
(追加の内容紹介)
小林さんが壁画の中で注目しているもう一つのポイントとして、女性たちの足元の様子でスカートを引きずっておりそれにより歩く方向を推定できる。女性たちの謎めいた動きがcodeだった。もう1人の専門家である来村多加史さんは日本、東アジアの古墳壁画に精通している。来村さんは入り口に向かって合計16人の群像が歩いている様子で、暗い墓室の死者に対し外の空気を吸わないかと伝えるものではないかとした。女性たちが向かう場所をデジタル再現された石室でもう一度考えてみる。再現映像では男たちは既に列を作り出発を待つ様子が推定され、女性たちは1人が被葬者に声をかけ男性たちの列に加わろうとしていた。16人の群像は列になって被葬者をどこかに連れて行こうとする様子だったという。どこに連れ出そうとしていたのか、登場人物の持ち物注目すると場所が推定出来る。持ち物には座るときの椅子や、ハエ叩きや孫の手、赤い袋の中には太刀と鉾などが描かれている。

小林泰三は地獄草子や東大寺大仏殿などを当時の状態に復元し、意外な実像を明らかにしてきた。高松塚古墳壁画はこれまで修復してきたもののなかで最古のものとなる。ヨーロッパの絵画ではカメラ目線の人物像は珍しくないが、日本の絵画ではほとんど例がないという。デジタル再現し、秘められた暗号の解読に挑む。

意外な事実が明らかとなってきた高松塚壁画最大の謎「被葬者は誰か?」に迫る。「緑の蓋」が描かれていたことが判明し、被葬者は身分が高い人だと推定される。45年前に発見された高松塚古墳の多くは謎のままだった。10年前に盛り土の中から当時の土器が大量に発見され、8世紀始めの10年の間に作られたことが判明した。

文化庁によって10年に渡って修復されてきた高松塚の壁画は、天井と側面に10人以上の人物像が描かれていたが、カビや泥による劣化でほとんど見えなくなっていた。無菌室でカビを一つ一つ取り除く作業が行われてきて、今年2月には絵の周りが白くなってきた。しかし泥に覆われて、剥げ落ちていることから壁面の絵がわかりづらくなっていたが、 デジタル復元で再現を試みる。像の輪郭をはっきりさせたあと、泥でほとんど見えなくなっていた人物の輪郭を推測し、アゴのラインを再現した。次に取り組んだのはカメラ目線の女性で、表情を浮かべ上がらせた。

8世紀始めは奈良時代の直前、藤原京の時代。近年の研究で藤原京は、平城京、平安京を上回る5.3キロ四方の大きさだとわかった。埋葬者は、藤原京で最上位に位置する太政大臣クラスだと猪熊さんは推測した。藤原京の時代の太政大臣は、高市皇子と忍壁皇子の2人のみで、皇子だからこそ四神に囲まれた壁画古墳に葬られたと思うと猪熊さんは話した。さらに猪熊さんによると飛鳥地方で発見されたキトラ古墳は高松塚古墳より古いことがわかっているため、キトラ古墳には高市皇子が、高松塚古墳に忍壁皇子が葬られたのではないかという。

武器は身分の高い人が外出する際に威儀を整えるもので、それにより主の身分を示すため実用的なものではない。トートバッグのようなものを抱えた人達は、ピクニックシートのようなものを入れているのではないかと来村教授は推測した。先の曲がった棒はホッケーのスティックのようなもので、打毬と呼ばれたものを行っていた。打毬は飛鳥時代から奈良時代にかけて大流行していた。これらのことから壁画は遊びに行く様子を描いていて、被葬者を石室から連れ出そうとしていたことがわかった。

次に取り掛かるのは色彩の再現。小林さんは古代の色彩に詳しい専門家を訪ねると、壁面には描かれた当時の色彩が残っていたことがわかった。古代では色味のある岩石を砕いて絵を描いていた。次に天然岩石を原料にした絵具を扱っている専門店を訪れ、高松塚古墳壁画で使われていた色を特定した。再現したものをみるとたくさんの色を使って描かれていたことがわかった。壁画に描かれていた人物は16人で、男女8人ずつだった。考古学者の猪熊さんを訪ねると、猪熊さんは衣服の色から正面を向いた女性を立場が上の人だと推測した。石室では手前に男性。奥に女性が描かれていて、前後の時代の服の色が表す位の推測から、奥の女性の方が身分が高いことが発見された。

完成した1300年前の復元石室は、いくつもの石が組み合わさって出来ている。石室の壁は白いしっくいが塗られていて、人物像と玄武・青龍などの神獣が描かれていた。また正面を向いた女性は埋葬者と目が合うように描かれていたこともわかった。墓から発見された歯や骨から推測すると、被葬者は40~60代の男性だと考えられている。小林さんは被葬者を見つめ、身分が高いことから、被葬者の妻のような女性だと考えている。

忍壁皇子は生きていた時代は日本が危機的な状況にあった。唐は新羅と組んで当時の日本・倭国と有効関係にあった百済を滅ぼした。663年に「白村江の戦い」で倭国は唐・新羅の連合軍に大敗、国交断絶となった。

瀬戸内海沿岸に山城を築いて日本列島の防衛に専念。この困難な状況下で国の舵取りを任されていたのが忍壁皇子だった。唐に対抗するため一国も早く国の形を整える必要があり、歴史書を編纂して国の成り立ちを明らかにした。最大の事業が国の要となる本格的な法律を制定することだった。国を法律で治める仕組みは唐を除けば東アジアでは日本しかなかった。701年の元旦、苦難の末に完成したのが「大宝律令」で祝賀儀式が行われた。

猪熊兼勝さんは、もし、高松塚の主が忍壁皇子とすれば壁画は大宝元年の儀式を描いた物だと考えている。平安時代に書かれた資料「貞観儀式」には調定で最も重要な儀式の決まり事が記されており、携えるべき持ち物が詳細に記されている。これは高松塚の群像の持ち物と一致。忍壁皇子の人生で最高の晴れ舞台だった大宝元年の朝賀、その様子が壁画に描かれていたのかもしれない。この事を裏付ける海獣葡萄鏡が出土、唐からもたらされたものと考えられている。大宝律令の翌年、忍壁皇子は遣唐使を派遣した。遣唐使が帰国したとき、友好の証として持ち帰ったのが鏡だったと考えられる。
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縄文人のルーツ

2019年05月03日 21時04分30秒 | 日本人論
サイエンスZERO 「日本人のルーツ発見!~“核DNA解析”が解き明かす縄文人~」(2016年04月03日放送、NHK)
<番組紹介>
 人類がどのように進化してきたかを探るうえで欠かせない“核DNA”解析。特に古代人の核DNAを読み解くことができれば、髪の色から病気の履歴、さらにルーツまで膨大なデータが得られ、謎の多い古代人の詳細が明らかになる。そして最近、世界で初めて“縄文人の核DNA”が解読された。そこから見えてきた日本人誕生の謎とは?私たちは縄文人からどんな身体的特性を受け継いでいるのか?最新科学から日本人のルーツに迫る!

 ずいぶん昔に録画してあった番組を、GW10連休にボチボチ見てみました。
 へえ〜、そうなんだ、と頷く事実が次々と出てきました。

・今までのDNA解析は“ミトコンドリアDNA”が対象であり、情報量が限られていた。近年、“核DNA”が解析できるようになり、情報量が格段にアップした。ミトコンドリアDNAは母由来なので父親の情報は皆無であるが、核DNAは両親から受け継がれるのがポイント。

・人類はアフリカで誕生し、世界へ広がっていった。アジアには「東アジア人」と「東南アジア人」に分岐していった。縄文人はそのどちらにも属さないことが判明し、それより前に分岐していることがわかった。しかし、彼らが日本に来る前にどこに住んでいたのか、謎である。

・現在の日本人の核DNAは、縄文人2割、渡来系弥生人(東アジア人がルーツ)8割と判明した。

・縄文人の特徴;
 シミになりやすい
 耳垢が湿っている
 くせ毛
 二重まぶた
 ウインクができる(ウインクするときに口が動かない)



 はて、自分はどうなんだろう・・・

 50歳半ばになり、シミはそれなりにあります。中学から大学時代までずっとアウトドアスポーツのテニスをしていたので、日焼けの影響と思ってきましたが、縄文人DNAのなせるワザかもしれませんね。
 耳垢が湿っている・・・実は私、左耳はwetで右耳はdryなんです。すると縄文人と弥生人のハイブリッド?!
 ○くせ毛
 ×二重まぶた(ただ年を重ねるにつれて奥二重になってきました)
 △ウインクはできるようなできないような・・・。

 総じて、縄文人の要素が強いようですね。

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「平和に生きる権利を求めて〜恵庭・長沼事件と憲法〜」を見て

2018年11月13日 06時39分19秒 | 日本人論
 もう一つ録画してあった憲法関連番組がありました。日本の行政と司法の危うい関係(行政による司法へのパワハラ)が浮かび上がるドキュメンタリーです。

「平和に生きる権利を求めて〜恵庭・長沼事件と憲法〜」2018.4.28:NHK
<内容紹介>
 自衛隊をめぐり注目された裁判の録音が公開された。北海道の恵庭事件。演習の騒音に抗議し自衛隊の通信線を切断した酪農家が起訴された。自衛隊が合憲か違憲か争われたが札幌地裁は憲法判断をせず無罪判決を下した。ここで提起された平和的生存権は長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決で示され、その後イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決で確定した。今沖縄の基地問題でよりどころとなる平和的生存権をめぐるスクープ・ドキュメント


 憲法前文にある「平和的生存権」を巡る、裁判におけるやりとりを辿った内容。
 憲法の文章をどう解釈するのか、喧々諤々の議論なのですが、総じて「政治が絡んだ言葉遊び」の域での争いに見えてしまいました。

 平和な生活が脅かされる原告の住民は「平和的生存権の実現」を訴え、
 軍事基地を作らなければならない政府側は「平和的生存権は概念であり実体はない」と不可解な答えで応酬。
 そこに弁護士側は「憲法第9条に照らし合わせて自衛隊は違憲である」という主張を盛り込んだため、裁判の論点が複雑になってしまいました。

 このドキュメンタリーでは3つの裁判を扱っていますが、最後の「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」における名古屋高裁の青山邦夫裁判長の確信犯的な判決が見事でした。
 原告の訴えは「訴える内容がない」と棄却したものの、「自衛隊が米国の戦闘兵を移送することは、軍事行動を共にしていることであり、憲法9条に違反する」と申し添えたのです。
 裁判に勝った国は、この内容に不満ですが、勝ったために控訴できず、判決は確定しました。
 原告側は裁判には負けましたが「自衛隊は憲法第9条違反」という判決を勝ち取るという「負けて勝つ」戦法を実現したのでした。
 
 インタビューに答えた青山邦夫元裁判長の言葉が心に残ります;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。そしてこれは不断に自ら守る努力をしなければ保持できない。」

 国の意向に沿わない判決を下した裁判官は、その後左遷されて冷や飯を食ら日々、あるいは自ら依願退職している現実。
 この辺から、日本における「三権分立」は脆弱であることが窺えます。
 行政による司法へのパワハラです。

 一度決めた憲法は、その一字一句が大切なのですね。
 米国GHQが作った平和憲法の下で、日本国民が踊らされているような気がしないでもありません。
 憲法が絶対であり、それをどう解釈するかの範囲でしか内容が進まないことに息苦しさを覚えました。
 そこには憲法そのものが正しいのかどうかの議論が皆無なので、今ひとつ腑に落ちませんでした。

 そういえば、昔読んだ本多勝一さんの著書の中に「弁護士を目指して司法の勉強をはじめたが、『六法全書』を暗記してその中であれこれ思考する訓練に過ぎないことを知り、意味がないのでやめた」という文章があり、へえ、そうなんだと意外に思ったことを覚えています。


<メモ>

恵庭事件(1962年)
 自衛隊の演習騒音被害(乳牛の乳量低下、流産など)に耐えかねて自衛隊の通信線をペンチで切断した酪農家兄弟が、器物損壊罪ではなく自衛隊法違反で訴えられた。
 弁護側は被告の考えとは異なり、「自衛隊は憲法違反であるから、自衛隊法自体が無効である」と憲法第9条を争点にした。
 この裁判に際して、公法学者187人に「自衛隊にかんする憲法解釈上の意見」をアンケート調査したところ、
・合憲:12%
・違憲:88%
と「自衛隊は違憲」との意見が多数を占めた。
 弁護士の内藤功(ナイトウイサオ)は、「三矢研究」(朝鮮半島で武力紛争が発生し日本に波及した場合、自衛隊はどうすべきかの研究)を取りあげて、「自衛隊は軍隊である」と自衛官中枢が認識していることを答弁で引き出した。
 当時の鳩山一郎首相は「憲法第9条は自衛のための最小限度の防衛力の保持は禁止していない」と答弁した。
 検察側は 「統治行為論」(政治が関わってくる微妙な憲法問題には、裁判所は関わらない、判断しないこと)で対抗した。
 弁護側(深瀬忠一:フカセタダカズ)は、憲法前文の「平和的生存権」という理念を条文(第9条:戦争放棄、第13条:幸福追求権)で保障する関係と論じた。
 この裁判は被告無罪で終了した。検察側はこれ以上の議論は自衛隊違憲論争になることを恐れ、無罪判決でも控訴しなかった。弁護側は無罪を勝ち取ったと認識。

長沼ナイキ基地訴訟(1967〜1973年)
(住民側)基地建設に伴い、保安林が伐採されると水害リスクが増す
(国側)ミサイル基地建設には「公益上の理由」があるから保安林指定解除へ
 弁護団に恵庭事件を担当した弁護士(内藤功)が参加協力し、自衛隊の違憲性を論点にして争った。
 基地ができると水害だけでなく、紛争時の攻撃目標となり、平和的生存権が脅かされると主張した。
 その結果、札幌地裁では「自衛隊は憲法第9条違反である」と初めて司法判断が下ったが、札幌高裁で逆転敗訴となった。1982年、最高裁は上告を棄却し、住民側敗訴確定。

自衛隊イラク派遣差し止め訴訟(2004年)
 「外交は血を流さない政治である」
 「軍隊は血を流す政治である」
 武力紛争の被害者にも加害者にもなりたくないと主張したが、地裁では棄却された。
 名古屋高裁では、米国の戦闘兵を日本が輸送している事実が判明し、第9条違反と主張したところ、訴えは成立しないと棄却しながらも、自衛隊違憲を認める判決だった。
 国は勝った立場なので控訴ができず、裁判所判断は確定した。

 その時の青山邦夫裁判長の言葉;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。不断に自らで守る努力をしなければ保持できない」
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日本国憲法の歴史と特徴を知る

2018年11月11日 14時42分45秒 | 日本人論
 2018年5月頃に放送された、憲法関連番組をまとめて見てみました。

① あさいち「知ってビックリ!世界のユニークな憲法」
(2018.5.2:NHK)
②「憲法と日本人 〜1949-1964 知られざる攻防〜」(2018.5.3:NHK



 ①は入門編という感じ。
 世界各国の憲法と日本憲法を比較することにより、日本憲法の性質をあぶり出そうという試みです。
 日本憲法は世界の中ではとても短い文章で、細かいことは規定せず、主に理念・概念が記されてるのが特徴とのこと。
 細則は憲法の下に位置する法律で定めればよいというスタンス。
 理念中心の文章は、解釈の幅が広いという特徴(番組では「ゴム型憲法」と呼んでいました)も内包します。
 これがメリットなのか、デメリットなのかは使い方次第。

 一方、世界各国の憲法を眺めると、コンクリート型憲法と呼ぶべき長い文章の憲法も存在し、そこには細則が記載されていて、日本の法律部分も含む構成になっている様子。
 国家権力の暴走を経験してきた国々では、キチンと規定しておかないと危ないという不安があるようです。

 なお、「あさいち」では憲法の具体的な内容や改正のポイントなどは話題に出ませんでした。
 ポイントをメモしておきます;

① あさいち「知ってビックリ!世界のユニークな憲法」
(2018.5.2:NHK)
解説は、ケネス・盛・マッケルウェインさん(東京大学社会化学研究所准教授)ほか。

□ 憲法とは?
 国の仕組みを決め、権力を制限するもの
 憲法はその国の取説(取扱説明書)である

□ 日本国憲法の特徴

1.平和憲法
「戦争放棄」を定めているのは世界で日本のみ(世界でも有名)。

2.人に優しい憲法:保障される人権の数が多い。
(第24条)男女平等(制定当時世界の憲法の35%)
(第25条)生存権(制定当時珍しかった)

3.短い憲法
 世界平均は2万ワード:最長はインドで14万、フランスは1万、アメリカは7千ワード・・・日本は5000ワード。
 日本のように短い憲法(ゴム型憲法)では、解釈の幅が広く、社会の変化に合わせやすい。
 ドイツのように長い憲法(コンクリート型憲法)では、解釈の余地が少なく、社会の変化に合わせにくい → たびたび改正が必要になる。
 どちらがよいのか?・・・国民性によるが、ヨーロッパではコンクリート型が好まれるようだ。ヨーロッパはEU設立の際に改訂・追加された条文が多いらしい。

4.世界で一番古い憲法
 約70年間改正されていないのは日本だけ。
 改正の条件は、①のみが70%、+②が30%
 ①議会の2/3が賛成、②国民投票で半分以上
 過去の改正回数は・・・インド約100回、ドイツ62回、フランス24回、韓国9回・・・日本0回。

□ 世界の憲法、条文例
【イタリア】
・労働者は休日と有給休暇を放棄できない。
【セルビア】
・人間のクローン化を禁止する。
【フィリピン】
・家族は老人を介護しなければならない。
【ドイツ】
・毎年GDPの0.35%を越えなければ国債の発行が認められる。
【インド】
・宗教や人種を理由にホテル・井戸などの利用を妨げてはならない。
・牛や子牛を殺さないように努める。

□ 憲法には改正できない条項も存在する
・米国の憲法では1つだけ:「上院議員は各州から2名を選出する」・・・人口80万人のワイオミング州でも、人口4000万人のカリフォルニア州でも同じ2名であり、日本が憲法違反とした2倍ではなく50倍も差がある!

□ 憲法改正の失敗例
・米国の禁酒法:キリスト教の教義にならい制定したが、闇取引が横行して収拾がつかなくなり、歳改定せざるを得なかった。



 ②のドキュメンタリーは戦後の憲法改正論議の経緯を追った内容です。
 米国のわがまま言いたい放題がすごい!
 なんだか現在のトランプ大統領は、米国そのものを体現しているような気になってきました。
 米国は日本の軍国主義の芽を摘むために第九条「戦争放棄」を盛り込んだのに、東西冷戦に日本の軍事力を使いたくなると、舌の乾く間もないたった2年後には掌を返して「軍備可能」となるよう憲法改正しろと圧力をかけてきたのです。

 改憲には、次の二つの流れがあると解説していました。
1.軍備を可能にしたい(米国からの圧力がメイン)
2.米国に一方的に押しつけられた憲法はイヤ

 しかし日本国民は1956年、憲法改正に「No!」と主張し、現在に至ります。
 そうです。日本国民は過去に一度、「No!」といっているのです。
 この事実、私は知りませんでした。

 現在の安倍政権は、なぜ改憲を訴えるのでしょうか?
 「再軍備」なのか、「自主制定憲法」なのか・・・
 ただし、前回の改憲の時と「再軍備」の質が異なってきているように感じます。
 米国のための「再軍備」ではなく、日本を守るための「再軍備」へと。
 やはり究極は「再軍備は必要なのか?」を国民がよく考えて判断すべきことだと思います。

 ポイントをメモ;

②「憲法と日本人 〜1949-1964 知られざる攻防〜」

□ 1947年、日本国憲法制定
・米国GHQ主導による作成
・日本の軍国主義復活を阻止する目的で「戦争放棄」の条文を記載した唯一の憲法。

□ 米国による憲法改正への圧力
・しかし、第二次世界大戦後の冷戦激化の世界情勢の中で、米国は日本の軍事力を使いたくなり、軍備ができるよう改正を迫り圧力をかけ始めた。
・米国は日本の経済団体へも働きかけた。
・経団連内の「防衛生産委員会」(初代会長は郷古潔:三菱重工社長)が政府に試案を提出した。

□ 池田・ロバートソン会談
・保安隊(のちの自衛隊)の大幅な増員を要求:11万人 → 30万人
・日本国民が望遠の必要性に目覚めるためにどう教育していく必要があるのかが話題に。

□ 宮沢喜一の英文(!)日記
・彼は吉田茂内閣の時、池田勇人とともに「池田・ロバートソン会談」に参加した。
・1947年に憲法が制定されたが、間もなく、1949年に米国から改憲を迫られていた事実が記録されている。
・米国は共産主義に対する防波堤として日本に再軍備を要求した。それを「防衛ビジネスに引き込もうとしている」と記している。

□ 「押しつけ憲法」反対の動き
・1955年に自由民主党結党
・鳩山一郎、岸信介が、現憲法を「押しつけ憲法」と主張し、党の理念の一つに「自主憲法制定」を掲げた。

□ 複数の憲法改正試案
・今枝常男(元参議院法制局長)の改憲試案の作成には、外務省・大蔵省・防衛省の官僚のみならず、法の番人であるべき内閣法制局も関与していた。その理由として、法制局内には、GHQに強引に押し切られ、法制局で十分な議論がないまま制定された憲法に違和感・不満がくすぶっていたことが挙げられる。
・広瀬久忠(自主憲法期成議員同盟会長)試案に対する国民の反対が広がりはじめた。310万人の犠牲を払って手に入れた平和憲法を誇りに思い、その改正は戦前回帰につながるという雰囲気。

□ 自主憲法期成議員同盟
・初代会長は広瀬久忠。
・現在も継続している。

□ 1956年の小選挙区法案(鳩山内閣)で挫折した憲法改正派
・参議院・衆議院で2/3を占めるために小選挙区法案を提案したが、憲法改正の動きが見え見えでかえって国民の反発を買い、国政選挙で敗退した。
・これは、国民が改憲派に「No!」を突きつけた歴史的事実である。

□ 1957年「憲法調査会」設立
・憲法改正を目的とした団体だったが、結局報告書に改憲と護憲の意見を併記するにとどまり、解散した。

 それ以降、安倍内閣が登場するまで、歴代の自民党政権が改憲を主張することがなくなった。
 米国の改正圧力も、自衛隊ができてから弱まっていた。
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「八百万の神がすむ山河 〜村治佳織 白洲正子 祈りの道を往く〜」(NHK-BS)

2018年08月17日 18時06分33秒 | 日本人論
八百万の神がすむ山河〜村治佳織 白洲正子 祈りの道を往く〜
2016.12.15放送(NHK-BS)


白洲正子さんは、白洲次郎さんの妻で、芸術分野の随筆家。
特に「能」に関しては御意見番でもありました。

また、日本の信仰にも造詣が深く、その私論が「かくれ里」という本にまとまっています。
手元にあるけど未読です。
彼女の文章は正確で美しいのですが、ちょっと疲れるのです。

さてこの番組は、今をときめくクラシック界の若手ギタリスト、村治佳織さんが白洲正子氏の記した寺社の足跡を辿るという内容です。
映像的にも美しく、村治さんのギター演奏をバックに風景が流れる場面はよかったです。

白洲氏は、信仰を持たないと揶揄される日本人の宗教心は、西行の「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」によく表されていると言います。
「天にまします我らの神よ・・・」という一神教と比較すると、「何かわからないけど大きな存在を感じる、それを敬う」という心はより強固な信仰心と言えるのではないか、とも。

それから、白洲正子氏の本地垂迹説のとらえ方を興味深く聞きました。
ふつうは仏教の側から「仏が神様の姿をかりて現れたもの」と説明されることが多いのですが、白洲氏は「神が仏の姿に乗り移ったと考える方が日本人として自然だろう」と唱えます。

また日本の信仰の歴史の中で、神と仏を結び付けたのは修験道であると断言しています。
修験道はもともとの日本の山岳信仰であり、それが仏教が結びついたものが山岳宗教である密教。
最澄の天台宗、空海の真言宗から、日本人の庶民に仏教が根付いたのです。

なるほど。
大いに頷けました。

インテリア化していた文庫本を読みたくなりました。





<内容紹介>
ハイビジョン特集 八百万(やおよろず)の神がすむ山河~村治佳織・白洲正子祈りの道を往(ゆ)く~(初回放送:2011年)宗教対立の歴史をもつスペインで活動してきたギタリストが、吉野や熊野など白洲正子の巡礼の道を辿(たど)る。村治佳織の演奏も必見。
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「今よみがえるアイヌの言霊」「石狩川」

2018年02月12日 12時17分58秒 | 日本人論
NHK ETV特集「今よみがえるアイヌの言霊」(2017.3.25放送)

 日本人はなんとなく「日本は単一民族国家である」と思っている節があります。
 しかし北海道中心に、日本人とは異民族である「アイヌ」が住んでいます。

 放送を見て、北海道におけるアイヌ迫害の歴史は、アメリカ大陸におけるインディアンの迫害の歴史と重なるものがあると感じました。

 アイヌは狩猟採集民族でした。
 自然の恵みが豊かであったために、稲作を必要しなかった環境で生きてきたのです。
 ですから、自然恵みに感謝し、自然がもたらす災害を恐れました。
 あらゆるものに魂が宿り、人間の力の及ばないすべての自然に「神」が宿ると考えて、それを「カムイ」と呼びました。
 八百万の神の起源は、アイヌ文化にあるのではないか、と私は感じました。

 明治時代になり、北海道に本土人が入職し、農業を始めます。
 それに伴い、アイヌも狩猟採集をやめて農業に従事するよう仕向けられます。
 さらに明治半ばに「北海道旧土人保護法」により、さらに生活が制限され、アイヌ語を学校で教えることさえ禁じられました。

※ 下線は私が引きました。

■ 「今よみがえるアイヌの言霊〜100枚のレコードに込められた思い〜」
2017年12月17日放送:日本放送協会



 NHK札幌放送局の資料室に眠っていた100枚のレコード。そこには、太平洋戦争直後に北海道の各地で録音したアイヌの人々の肉声、歌や語りが残されていた。そのままでは再生が困難な古いレコードの汚れを注意深く取り除き、原音が消えないようにノイズだけを消して整音する地道な作業が続けられ、70年の時を経てアイヌの言葉がよみがえった。鮮明に再現されたアイヌの人々の声はぬくもりを感じさせる優しさを伴って伝わってくる。
 もともとアイヌ民族の文化は口伝えで受け継がれており、文字としては残されていない。明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」により、アイヌ独自の文化継承が妨げられ消滅の危機にさらされるなか、道内各地で録音された歌や語りの音源はかけがえのない記録となった。独自の文化を継承するために孤軍奮闘してきたアイヌの人々、研究者、そして録音に携わった技術者たち、それぞれの努力が紡がれて貴重な文化遺産を守ることとなったその意味は大きい。
 修復したレコードには、もてなしの心を伝える祝詞のような挨拶、祭りや儀式の時などに披露される歌、神や英雄が活躍する叙事詩などが記録されている。その音声に耳を傾けながら、昔の祭りや生活の様子を映し出すモノクロ動画や写真、さらには研究者が言葉を読み解いて書き起こした内容をあわせ読むと、当時の人々の暮らしや思いに心を通わすことができる。
 大自然と共に暮らし、身の回りの万物に感謝しつつ、人間の能力を超えたあらゆるモノに「カムイ」という神が宿ると考えてきたアイヌの人々。彼らはかつて「旧土人」と差別され、政府の同化政策で自らの言語や風俗習慣を変えざるをえなかった歴史を背負っている。失われつつある彼らの文化を未来に残していこうと、地元北海道の小学校では昨年度から子どもたちにアイヌ語を教える試みを始めているという。


 
 NHK-BS「新日本風土記」の「石狩川」でもアイヌが扱われていました。
 こちらは、明治以降に北海道へ入植した本土人と、もともと800年前から住んでいたアイヌの両方の視点で描かれています。

■ 新日本風土記「石狩川」
2018年1月5日:NHK-BS
 全長268キロ、北海道中央部の大雪山系に源を発し日本海に注ぐ大河・石狩川。アイヌの人々が「イシカリペッ」(激しく曲がりくねった川)と呼んだ通り、もともとは平地を大きく蛇行しながら流れる暴れ川だった。しかし明治以降、大規模な河川改修と農地開発が行われ、流域は日本有数の米どころへと生まれ変わった。また、石狩川はサケの宝庫。毎年秋に遡上する大量のサケは、縄文時代から人間の生活の糧となってきた。アイヌの人々はサケを「カムイ・チェプ(神の魚)」と呼び、毎年秋にサケを迎える儀式を行い敬ってきた。サケは現在では、人工ふ化した稚魚を毎年放流することで資源が維持されている。
米などできないと言われた極寒の地で石狩川の水を引き、米作りに情熱を傾けてきた開拓農民。百年以上途絶えていた伝統のサケ漁を復活させたアイヌの人々。明治以来150年の石狩川の急激な変貌は、そのまま北海道の歴史と重なる。先住民族アイヌの人々と和人の開拓民が歩んだ苦難の歴史を石狩川の風土と共に描いていく。

◇ 旅のとっておき 〜番組制作者による「私のおすすめ石狩川」〜
 石狩川を担当した田中と申します。取材でお世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
 北海道民は、感謝の思いを込めて「母なる川」と呼びます。取材すればするほど、北海道で生き抜いてきた人たちと石狩川との深いつながりを実感しました。
 石狩川は、北海道随一の大河。長さはもちろん北海道1位。流域面積も、広大な北海道の6分の1にまで及びます。
 石狩川を訪れる際には、とても1日では回りきれませんから、何日もかけて、じっくり旅するのが良いのではないでしょうか。
 北海道の歴史とゆかりのある、石狩川のおすすめスポットをご紹介します。

 石狩川の河口・石狩市でおすすめするのは、創業明治13年、老舗のサケ料理専門店です。番組でもご紹介した数々のサケ料理のほか、実は、全国的にも知られた「石狩鍋」発祥のお店でもあります。
 石狩鍋というと、どんな料理を思い浮かべるでしょうか?
 私は、サケの入った味噌味の鍋、くらいのイメージしかありませんでしたが、美味しくするコツがあるんだとか。
 本場の石狩鍋は、キャベツを入れたり、イクラを添えたり。中でも、代々、女将さんに受け継がれてきた一番の秘訣が、必ず石狩川の河口付近で取れたサケを使うこと。何でも、河口で取れるサケは、これから長い距離をさかのぼるため、一番脂が乗っていて、味もいいとのこと。サケの町だからこそ味わえるご馳走をぜひ一度ご賞味ください。

 石狩川中流域でおすすめするのは、美唄市にある宮島沼。
 ここは、年に2回、渡り鳥のマガンが飛来し、羽を休める中継地です。早朝になると、7万羽ものマガンがエサを求めて、一斉に飛び立ちます。その光景は、本当に壮観です。
 この宮島沼は、石狩川の氾濫によって生まれた沼のひとつ。
 かつての石狩川は氾濫を繰り返してきた暴れ川でした。石狩川は、勾配の緩やかな平野部を流れています。そのため、もともと大きく蛇行しながら流れていました。「石狩」の語源は、アイヌ語で「イシカラペッ(回流する川)」であるとも言われています。石狩川がひとたび氾濫すると広大な面積が水没したため、明治以降、曲がりくねった川筋を工事でショートカットし、直線化することで治水を図ってきました。そのため、現在は全長268キロ、日本第3位の長さですが、かつては100キロ以上も長かったといいます。
 氾濫の減った石狩川の流域には、今や北海道の人口の半分以上が暮らしています。治水工事が行われる前の石狩川は、信濃川を超えて、日本1位の長さだった?かもしれません。

 石狩川の上流でのおすすめは、旭川市にある、アイヌ文化の資料館、川村カ子トアイヌ記念館です。北海道と名付けられる前から、石狩川とともに歩んできたのが、アイヌ民族の人たち。そのアイヌの暮らしと歴史を伝える資料が数多く展示されています。
 敷地の一角には、チセと呼ばれるアイヌ伝統の家屋も建てられており、アイヌの伝統文化を伝える行事などに使われています。
 旭川と言えば、寒さが厳しく、冬はマイナス20度まで下がります。今のように生活環境も整っていない中、自然の恵みを使って、生き抜いてきた知恵と工夫に頭が下がります。
 この資料館が作られたのは、今から100年前の大正5年。日本最古のアイヌ資料館です。今、昔ながらのアイヌの暮らしをしていらっしゃる方は、ほとんどいらっしゃいません。しかし、そうした暮らしや文化を大切に残そうとされた方々や、これからも伝えようとしている人たちの思いに触れてみてはいかがでしょうか。

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「山折哲雄」氏と「ひろさちや」氏

2018年02月04日 14時51分52秒 | 日本人論
 両者ともに、現代日本を代表する宗教学者です。

 本日、山折哲雄氏(86歳)のインタビュー番組を見ました。
 ちょうど、彼の講話集「やすらぎを求めて」をドライブ中に聞いていたタイミングです。
 
 キーワードは「ひとり」。
 昨今、コミュニケーション能力が重視される社会環境ですが、「ひとりで生きる知恵・強さ」を持つべきである、と説かれます。
 これは三木清の「人生ノート」にも共通する思想ですね。
 この「ひとり」という言葉は、古くは『万葉集』にも使われており、歴史に名を残す仏教思想家の残した言葉にも垣間見える、とのこと。

 山折氏の話は、時に説教的に聞こえがちです。
 彼の中には「清く正しく美しく」という日本神道の精神があるのだと感じます。
 曲がったこと、だらしないことが大嫌い。
 講話集CDの中でも、大学生が授業を聞かない様子を嘆いていました。
 ヘルマンヘッセの「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)に例えると、まさしくナルチス・タイプですね。

 インタビューの中で、ある時蔵書を処分しようとしたけれど、柳田国男全集、長谷川心全集、親鸞全集だけは捨てられなかった、と告白していました。
 私も敬愛する民俗学者・柳田国男の影響を多大に受けていることを知り、ちょっとうれしくなりました。

■ こころの時代~宗教・人生~「ひとりゆく思想」(山折哲雄インタビュー)
2018年2月4日:NHK-Eテレ



<番組内容>
 宗教学者として、日本人の死と生の思想を見つめ続けて来た山折哲雄さん。親鸞や一遍、歌人の西行など、先人たちの「ひとり」の哲学を、老いの日々の中で語っていただく。
<出演者>
【出演】国際日本文化研究センター名誉教授…山折哲雄,
【きき手】西世賢寿
<詳細>
 山折哲雄さん、86歳。宗教学者として、日本人の死生観や無常感を見つめ続けて来た。今、山折さんの心を捉えるのは、鎌倉の動乱の世を生きた親鸞や一遍、そして歌人の西行や、後世の俳人芭蕉など、信仰と美に生きた、はるかな先人たちの姿だ。1年前、心臓の大手術をした山折さんは、自らの「存在の軽み」を感じたという。老いの体験を交えながら、彼らの生と死の哲学、その「ひとりゆく」思想について語っていただく。


 山折哲雄氏の前に聞いていたのが、ひろさちや氏の講話集CD「日本の神さま仏さま」です。
 ひろ氏の著書もいくつか所有しているのですが、文章がくどくて受けつけません。
 でも彼の考え方には興味があり、CDなら聞けるかな、と数年前に購入。
 ひろ氏は話が上手です。「何でも知っているおじさん」という印象。
 仏教にも神道にも通じているので、話も膨らんで飽きさせません。
 
 中でも記憶に残っているのは、仏教と神道の関係です。

「仏教が伝来したとき、それまでの日本の宗教(というか習俗)を神道と呼ぶようになった。その後仏教が習俗化して神道に近づき、二つは混ざり合って発達したが、明治政府がそれをバリバリと無理矢理剥がすように分け、神道を国家神道に作り上げた。戦後国家神道の考え方は捨てられ、現在に至る。」

 それから、仏教の考え方で頷けた部分;

「勉強が好きな人は出世して幸せになれる、しかし勉強が苦手な人にもその人に会った幸せがあると説くのが仏教」

 これは「ナンバーワンよりオンリーワン」の精神と同じですね。

 山折氏とひろ氏が並んで大学で講義をしたら、おそらくひろ氏の方が人気が出るだろうなあ。

 山折氏の講話集CDをもう一つ手に入れました(「日本人の心と祈り」)。
 聞くのが楽しみです。
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言語習得で日本語は難易度ランキング1位!

2018年01月28日 12時16分23秒 | 日本人論
 日本語は難しい、とは外国人の口からよく聞かれる言葉です。
 日本人である我々も、アルファベットのみの英語/米語と比べると、ひらがな・かたかな・漢字・ローマ字・・・などたくさんの種類があり、さらに漢字には音読みと訓読みがあったりしますから大変だよなあ、と思います。

 より客観的に判断するとどうなるか?
 紹介記事では、アメリカ国務省に「外国語習得難易度ランキング」というのがあり、その中で日本語は唯一最高難易度にランクされる言語とのこと。
 その理由として、

1.漢字に音読みと訓読みがある
2.必須語彙数が多すぎる
3.主語が略されて記述があいまい
4.オノマトペが多い
5.方言が多い


 が挙げられています。なるほど。

 英語を中心に学んでいる大学生に「英語と比べると日本語は女子の使い方など複雑で興味深く面白い」と聞いたことがあります。
 確かに日本語をそこそこ話せる外国人でも助詞(て・に・は・を)が不適切であることをよく経験しますね。
 日本語を自在に操っている日本人って、それだけで偉い?

■ 日本語は何故、どこが難しいのかー外国人から見る日本語のムズカシイ
2018-01-23:HATENA Blog
 アメリカの外務省にあたる国務省に、「外国語習得難易度ランキング」というデータがあります。



 国務省は日本なら外務省にあたる組織なので、外交官を養成する必要があります。外交官は語学が基本中の基本ですが、その語学習得の時間で難易度を分けた表が、上の世界地図の色分けとなります。
 外国語で「習得した」「マスターした」という基準は一体なんやねん、という議論がよく行われますが、この「習得」はスピーキングとリーディングとなります。
 アメリカなのであくまで英語ネイティブの目線ですが、言語的に近い親戚のヨーロッパの言語は、カテゴリー1~4までの部類になっています。カテゴリー333週間、900時間以内に習得可能という基準があるので、1年以内に習得できるという「比較的簡単」な言語となります。
 その上の「カテゴリー4+」には、モンゴル語・フィンランド語・ハンガリー語の遊牧民族系言語、東南アジアのタイ語とベトナム語がエントリーされています。
 その上の「カテゴリー5」になると、アラビア語や中国語、韓国・朝鮮語がエントリー。ここらへんは妥当なところかも。
 欧州系このカテゴリー3までの色分けで、言語を勉強している人間として面白かったことがあります。それは、フランス語・スペイン語・イタリア語などは緑色の「カテゴリー1」、つまり「サルでもできる」な部類に属していることに対して、ドイツ語は一段階難しいカテゴリー2に分類されていること。
 英語を言語学的な住所で表現すれば、「インド・ヨーロッパ語族、ゲルマン語派、西ゲルマン語群」となります。その中の西ゲルマン語群にはドイツ語とオランダ語も入っています*1。つまり英語とドイツ語は、人間で言えば兄弟だということ。それを根拠に、英語とドイツ語はとても近いと言う人もいます。実際そうだし、似ている単語も多数あります。
 では、何故英語ネイティブから見たドイツ語は、他と比べて難しいのか・・・をいちおう書いては見たものの、文字数にして4000文字以上になっちゃったので、またの機会にします(笑)
 その中で、最凶難易度の「カテゴリー5+」にただ一つ分類されたのが、我らが日本語。世界で唯一無比のオンリーワン。
 私から見ると、アラビア語の方がよっぽど難しいと思うのですが(アラビア語は本当にムズい)、それより難しい認定をアメリカ国務省がしてしまったというお話です。
 なお、このランキングについてのお問い合わせは、私ではなくアメリカ国務省までお願いします(要英語)。

◇ 日本語は何故、どこが難しいのか
 アメリカ国務省に、「イイネ」ではなく「ムズカシイネ」をいただいてしまった日本語の難しさですが、一体何が、どう難しいのか。
 日本語勉強中の外国人に、
「日本語のどこが難しい?」
 と聞くと、10人中8人くらいは漢字と答えるはず。ただし、漢字を使う中華圏の人は除いて。
 常用漢字の数は法令で定められており、その数が2,136字。
 我々はこれを、学校で9年かけて勉強するのですが、外国人にとってはこの数がノイローゼ不可避。我々は日常で使う上に読み書きにも多大な支障が出るので、イヤでも覚えざるを得ないです。しかしながら、趣味や興味から日本語の海原に入り、ヒャッハーと漢字の海にタイビングして「溺死」する人が多数。そりゃ我々も、古代エジプトの象形文字を2,136個どころか、1000個覚えろと言われれば、どんな罰ゲームやねんと頭を抱えることでしょう。
 ところで最近、海外での日本文化の浸透で、英語で漢字を「Kanji」と呼ぶことが多くなったそうです。ネット上では、"Chinese character"だと「画数」が多いからか、ほぼ「Kanji」一択です。
 本家のお株を奪われた中国人が、この流れになんでやねんと頭を抱えているそうですが、日本語学習者の間では漢字の勉強時間を、"punishment"(懲罰、虐待)と呼ばれて恐れられています。
・・・という小咄です。え?面白くなかった?
 しかし、日本語の難しさとはこれだけでしょうか。
 漢字だけが難しいのであれば、覚えてしまえばそれでおしまい。受験勉強よろしく脳のCPUをフル稼働させれば、まあなんとかなると思います。
 この漢字という高い壁だけでも頭痛のタネなのに、それを越えてもまだ壁があるというところが、日本語の難しさ。いや、日本語勉強中の外国人にとっては、恐怖かもしれません。

1.漢字に音読みと訓読みがある
 漢字だけなら、漢字の総本家中国語も同じじゃないかという意見もあります。それはごもっとも。特に台湾・香港(とマレーシアの華人社会)は日本も戦前に使っていた旧字体(繁体字)を使用するので、漢字単体なら日本より難しい。「塩」を「鹽」と書かれた時はもう、はぁ?です。
 日本語と中国語の漢字の大きな違いは、一つの漢字に複数の読み方があることです。
 中国語には、基本一つの漢字に読み方(発音)は一つしか存在しません。複数の読み方があるのも、まああるっちゃありますが、あくまで例外的存在。
 たま~~~~にその例外が出てはきますが、その都度覚えていけば済む程度の量です。
 しかし、日本語はそうはいかない。
 日本語には、「音読み」と「訓読み」の2つの読み方があります。
 音読みは、日本に伝来した大陸(中国)の時代によって「漢音」「呉音」「唐音(&宋音)」に分かれます。「京」だと漢音が「けい」、呉音が「きょう」、唐音が「きん」という風に、いくつもの読み方に分かれ、さらにどれをどう発音するかは単語によるので法則はなし。
 ヨーロッパの言語は、文法がややこしい代わりに一定の法則があることが多いのですが、「法則はない」だけでもう頭がクラクラです。
 さらに厄介なことに、「当て字」もあります。

当て字
:日本語を漢字で書く場合に、漢字の音や訓を、その字の意味に関係なく当てる漢字の使い方。
(大辞泉)


 「目出度い」「呉れる」や、昔の人がよく書いていた「六かしい(むつかしい=難しい)」もそれに当たります。「夜露死苦」もそうですね。
 当て字は文学作品などには多く、特に夏目漱石は当て字の名人と言っていいほど、文面に当て字を散らしています。日常会話レベルではそれほど出てこなくても、小説などの上級編になるとこの当て字との戦いも待っている・・・と。

2.必須語彙数が多すぎ
 英語は、他のヨーロッパの言語とくらべて文法は非常にシンプルにできています。19世紀に英語(イギリス)vs仏語(フランス)の国際共通語の座をめぐるバトルが行われていましたが、英語が8対2くらいで勝利した理由の一つに、文法のシンプルさもあるのではないかという自説を持っています。
 あれでシンプルなの!?という声が画面の奥から聞こえてきそうですが、フランス語やスペイン語、ましてやドイツ語に比べれば、英語文法なんざチョーをつけていいほど楽勝です。本当かどうかは、覚えるより感じろ、「英語以外の欧州の言語」を実際に勉強して確かめて下さい。
 しかし、英語は難しいなーと感じるところは、"sweat"と"perspiration"(意味:汗)のように、同じ意味の語彙(単語)が数多くあること
 日常会話に必要な語彙数は、フランス語でだいたい900~1200程度だそうで、言語学者の千野栄一氏によると、欧州の言語は「英語を除くと」1000語覚えておけば日常生活に事足りるとのこと。
 これに対して英語における必須語彙数は、ざっくりで2,600~2,700語だそう。これって、TOEIC700点取得に必要とされる単語数に匹敵します。
 これが日本語となるとどうなるのか。研究者にもよりますが、だいたい8,000~10,000語くらいだろうと言われています。新聞を完全に理解する読解力になると、だいたいこの倍くらい。
 さらに文学のような上級編となると、慣用句や古語、そして俳句の季語など、いくつなのかどうでも良くなる次元に。俳句の季語だけでも、初心者向けポケット歳時記で約2,000語(副題含む)ありますからね。
 もっとさらに、言葉遊びや漢字の組み合わせなどで、どんどん語彙が無限増殖されていく始末。これでは日本人でさえノイローゼです。
「言語は生き物である」という言葉があります。言語も時代の流れの中でどんどん変化しているのですが、日本語はその新陳代謝が非常に早いのも特徴です。言葉遊びが好きな民族性なので、今でもネット上で新しい言葉がどんどん「開発」され、衰える気配がありません。

3.主語が略されて記述があいまい
 日本語の大きな特徴の一つに、主語をあいまいにしたり、省略したりすることがあるという点があります。『源氏物語』や三島由紀夫などの文学者を海外に紹介し、海外では「日本文学の権威とくればこの人」というドナルド・キーン氏が、日本語→英語の翻訳でいちばん難しいところにこれを挙げていました
 対して英語は、「主語+動詞+目的語」の形が絶対で、古くから伝わる慣用句を除いてこの語順が変わるということは、まず有りえません。当然、主語が省略されることなどもあり得ない。
 英語に限らず、ヨーロッパの言語は基本的に主語は略しません、いや、略せません
 スペイン語やイタリア語、ロシア語などは主語が省略されてるじゃねーかという反論も出てくるかと思いますが、あれは動詞の活用・変化で主語が誰かわかっているからこそ省略できるという条件がついています。英語はその特性を失っているからこそ、主語が絶対に、ぜぇ~~ったいに必要なのです。
 日本語の主語省略は、そんな制約なしに自由自在。主語が誰かは文の流れで解釈しろという、文面での空気嫁です。
 それが外国人には、そんな無茶苦茶な!と思えるのです。
 こんな会話があります。

彼氏「明日どこへ行きたい?」
彼女「東京ディズニーランドに行きたいな~」
彼氏「ごめん、給料日前でお金ないや・・・」
彼女「もう、バカ!」

 何気ない会話ですが、これ、全部主語が抜けています。
 我々は習慣で主語がわかりますが、その訓練を積んでいない外国人にはさっぱりわけわかめです。
 その証拠に、これを英語に訳すときにまずスタートさせる第一歩は、主語を確定させることです。何度も言いますが、欧米の言語には主語が絶対に必要なのです。
 その証拠に、上の会話をを英語に訳してみます。自分の頭の中で作成した手作り翻訳なので、英語間違ってるよということがあればご勘弁を。

彼氏:Where do you want to go tomorrow ?
彼女:I would like to go to Tokyo Disneyland...
彼氏:Oh my God ! I don't have money because it's before my payday.
彼女:Oh, that's silly !

 下線を引いた単語が主語(or主語に相当するもの)ですが、全部何かしらの主語がついているでしょ?主語がない日本語とは真逆です。
 名の知れた文学者の小説になると、もっと高度なテクニックで主語をボカします。
 これを知った時の本には、谷崎潤一郎の『細雪』が文例として載っていましたが、日本人でも誰が主語なのかわかりません。
 実際に『細雪』を英語に翻訳したキーン氏は、ぼかし方が上手いなーと感心しつつ、冷や汗をかきながら作業をしたとか。
 我々が日常から使っているもので、究極に略されている言葉があります。
 それが「よろしくお願いします」。
 これをいきなり英語で訳せと言われても、まず不可能です。
 最低でも「誰が」「何を」「どのように」お願いするのかを明確にしないと、翻訳(通訳)しようがありません。
 モンゴル力士の騒動で相撲界が揉めていましたが、その第一期生である元旭天鵬(現友綱親方)と元旭鷲山が、引退が決定した当時の部屋頭だった元旭道山に呼び出され、
「あとは頼んだぞ」
 と一言だけ言われたそうです。
「何を頼まれたのか、さっぱりわからなかった」
 と友綱親方は笑いながら当時を振り返っていました。その後自分が部屋頭になり、旭道山の言葉の意味を理解したのですが、それまで6~7年かかったそうです。
 「よろしくお願いします」は普段何気に使っていますが、コンパクトにまとめることが好きな日本人らしい、究極にミニマリズムな言葉と同時に、究極に空気読めなフレーズでもあります。

4.オノマトペが多い
 「オノマトペ」とは、擬音語と擬態語(擬声語)のことを言い、元々はフランス語の"onomatopee"から来ています。
 日本語のオノマトペの数は、確か日常会話で使われる表現だけでも600以上。学術的には5,000語以上だそうです。
 さらに、第二位の中国語(300ちょっと)のダブルスコアとぶっちぎり。ちなみに英語でだいたい170前後。確かに中国語も意外なほどオノマトペ表現が豊富ですが、それでも日本語の半分です。
 それだけ表現が豊富ということですが、数あるオノマトペの中でも日本語究極の奥義と言えるものは、

「シ~~ン」

 です。このオノマトペ、我々には意味がわかりますよね。
 音がないのを表現する擬音語・・・これだけで外国人は確実にテンパります。神様私はもう日本語が理解できませんと、跪いて祈り始めます
 パックンでお馴染みのパトリック・ハーラン氏が、今までいちばんビビった日本語がこれだだそうで、
「音がないのに音がある!?それこそWhy Japanese language!?ですよ」
 と、ハーバード大学の頭脳をもってしても完全にお手上げだそうです。当然、英語にはそんな言葉が存在しないので翻訳は不可能。
 マンガでも敢えて訳さず(ってか訳せない)、「シ~ン」のままだそうです。

5.方言が多い
 日本語には各地に方言が数多く残っています。しかも、最近は方言ブームか回帰の流れに傾いています。
 しかし、明治時代からつい最近まで、方言は「排除されるべきもの」として標準語に置き換えられる歴史を歩んできました。
 特に東北と沖縄方言は集中的に「弾圧」され、沖縄では学校で方言を話すと、
「私は方言をしゃべりました」
 という立て札を、学校にいる間首からぶら下げないといけなかったそうな。
 こういう話は、戦後の台湾でも聞いたことがあります。
 蒋介石が生きていた国民党時代の学校では、台湾語を話すと
「私は台湾語を話した悪い子です」
 と書かれたプラカードを首からぶら下げ、かつ罰金でした。
 台湾に住んでいた20年前、根っからの台湾人(外省人じゃないってこと)だった老師に、こんな話を日本で聞いたことあるんけど、本当?と聞いたら、
「うん、本当よ」
 と本人経験の具体例まで聞いたので、本当でしょう。
 しかし、同じことが沖縄でもあったことには、私もビックリでした。
 方言も形がない独自文化の一つ。形がないだけに、保存し大切にしないと後々、しまったとほぞを噛むことになります。
 それはさておき、よくある外国語の質問に、こういうものがあります。
「外国(語)にも方言ってあるの?」
 答えは、当然あります。
 中国語も、東京に当てはめれば中野区と杉並区で言葉が全く通じないほど方言差が激しく、アメリカやカナダ英語もイギリス目線なら「英語の北米方言」です。
 しかし、標準語とされているものと方言の「差」は、国・地域によってピンからキリまであります。ロシアのように、あれだけ国土がデカいのに方言差がほとんどない国もありますし。
 日本の方言のバラエティの豊かさに関しては、世界レベルで見ても相当豊かな方だと私は思っています。
「まるで外国語」の沖縄方言も、元をたどってみると上代日本語(奈良時代以前の日本語)の生き残り、言語学的にはウチナーグチ(沖縄弁)の方がむしろ「元祖日本語」だったりするし、以前記事にした「アホバカ分布図」のように、たかがアホバカの表現だけでもこれだけあるのかと、当の我々がビックリすることもありますね。
 それが逆に、外国人をして難しいと思わせる要因かなとも思います。
 たとえば、日本語が話せる外国人が、日本語で話かけてきたとしましょう。
 外国人慣れしている人ならば、相手の日本語の能力に合わせて標準語にしたり、簡単な言葉になおしたりと調節できます。何が好きで標準語を話さなあかんねん、という大阪ナショナリストの私も、外国人にはまず標準語で話します。そこから相手の日本語力を分析していくうち、
「こいつは大阪弁でええな」
 と判断すると、大阪弁丸出しにチェンジという具合です。
 しかし、慣れていないとついつい方言丸出しに話してしまい、リスニング力がついていない外国人は、
「ニホンゴハムズカシイデスネ」
 と当惑してしまうかもしれません。
 しかも、日本語の方言は標準語とは近そうで遠い、いや遠そうで近いというビミョーな立ち位置が、余計「ムズカシイ」とされてしまう原因かもしれません。
 方言どうしが外国語くらい離れている中国語の方言*2なら、「別言語」として別の脳で処理できますし。
 ちなみに、国立大阪大学の留学生日本語クラスには、選択科目で「関西弁講座」があり、漫才のリスニングもあるなどかなり本格的だそうです。

国が変われば状況も変わる
 ただし、以上のことはあくまでアメリカなど「英語をネイティブとした人たち」からの目線です。ヨーロッパの言語ネイティブ目線と言い換えてもいいでしょう。
 しかし、所変われば目線も変わる。
 我々が欧米の言語を勉強しようとしても、様々な壁にぶつかります。
 英語「以外」の欧州の言語を勉強すると、必ずぶつかる関門があります。それが名詞の「性」。名詞に「男性」と「女性」があるのですが、「太陽」は男性、でも「月」は女性。
 さらに、欧州の言語の古い体型を残しているドイツ語やロシア語(他スラブ系言語)になると、プラス「中性名詞」がある。オカマ名詞かい!と出会った当初は思ったものです。
 この名詞の「性」、ヨーロッパから遠く離れた「ナマステ」でお馴染みのインドのヒンディー語にもあるのですが*3、英語にはありません。いや、かつてはありました。15世紀にはなくなっちゃったのですが、何故なくなったのか、英語の歴史上最大級の謎です。
 名詞になんで男性、女性があるねんと、こちらはキレてしまいそうですが、欧米人目線から見ると、なんで日本語には名詞の「性」がないねんとキレてしまいます。
 欧米人が頭を抱える漢字も、中国人や台湾人など、中華圏の人にとっては楽勝の域です。
逆に中国語の学習でも、留学生の授業科目には当然の如く「漢字の書き取り」があるのですが、この科目は世界で唯一、日本人だけ完全免除だったりします。
 私も一度、

「あんた(ら日本人)は出なくていい!」

という老師の制止を振り切って(?)、怖いもの見たさに出てみたことがあります。が、我々が小学校でやった漢字ドリルのような授業に、なんだつまんないと退席してしまいました。だから言わんこっちゃない、と後で老師に笑われましたが。
 さらに、現代中国語の語彙の多くは日本語の熟語を輸入(カンニングですが、言語って盗った盗られたではない)したものが非常に多いので共通のものも多い。
 なので、中国や台湾の政府が同じ言語カテゴリーを作れば、日本語の難易度は低くなるはず。
 日本人にとって、いちばん習得が楽な言語が何かと聞かれれば、まちがいなく韓国語でしょう。
 まずは基本文法が同じなので、文法の勉強に費やすエネルギーが最小限で済む。
 次に、あの○とか□とか△・・・あ、三角はないか、が並んでいるハングルも、コツさえわかれば1日で覚えられます。
 韓国の事情は興味が無いのでわかりませんが、中国に住んでいる朝鮮族は、学校での外国語は英語の他に日本語も選択できるそうな*4。
 中国で仕事していた時の朝鮮族の部下いわく、9割は日本語取るんじゃないですかね~と言っており、
「現地の朝鮮族は、みんなけっこう日本語わかりますよ」
 とニヤリと笑っていました。
 おそらく韓国人も事情は似たようなもの。韓国外務省的目線なら、日本語はかなり簡単な部類に入ることでしょう。

「日本語は難しい」と言っても、目線を変えればまた難易度も違ってくる。
「外国語を一つ学ぶということは、違う目線で見るもう一つの目を養うことだ」

 とは誰が言ったのかわかりませんが、外国語学習者の間で長く言い伝えられている言葉です*5。この目線の切り替えスイッチを新設、または増設するのも、また外国語の勉強の一つ、いや外国語学習のゴールなのです。

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「そしてバスは暴走した」

2018年01月17日 08時49分13秒 | 日本人論
NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」
2016年4月30日:NHK

 あの痛ましい事故から2年が経ちました。
 “忘れない”目的で録画してあった番組を再視聴しました。

 その後、バス業界の労働環境は改善したのでしょうか?
 規制緩和による素人業者の参入はどうなっているのでしょうか?
 検証番組を見てみたいですね。

<内容>
 13人の大学生の命を奪った、1月のスキーバス事故。遺族のひとりは、「事故は日本が抱えるひずみによって発生したように思えてなりません」と語った。これまでも、大阪や群馬で、乗客や乗員が死亡する事故が起き、その度に規制が強化されてきたはずだった。それにもかかわらず、事故はまた起きてしまった。NHKは今回、貸し切りバスの現場にカメラを入れ、業界の今をつぶさに記録した。そこから見えてきたのは、運転手不足から、高齢のドライバーが過酷な勤務を担っている現実、そして、利益優先で安全対策を怠る会社が跋扈する実態・・・。なぜ、こうした事態に至ったのか。業界の姿と私たちの社会のあり方を見つめる。



★ 放送を終えて(報道局ディレクター 多田篤司)
 学生時代はもとより、社会人になっても頻繁にバスを使っていた私にとって、1月に長野県軽井沢町で起きたスキーバスの事故は痛ましく、衝撃でもあり、「また大きなバス事故が起きてしまった」という思いを強く持ちました。4年前に関越自動車道の壁にバスが衝突した事故の印象が強く心に残っていたからです。なぜ、こうもバスの重大事故が繰り返されるのか、その背景に何があるのか。この3か月間、記者と共に、バス会社やドライバー、行政など関係者に取材を重ね、放送に至りました。
 取材を通して実感したのは、業界に蔓延する安全軽視の体質です。事故を起こしたバス会社は、「運行管理者」の資格を持つ人物が、ずさんな運営を繰り返していました。異業種から参入した経営陣は、運行管理者に任せきりで、その状態を是正しませんでした。深刻なのは、こうしたバス会社が少なくないことです。取材に応じた中小のバス会社は、法令を遵守した運行ができるのは体制的にも設備的にも一部の企業だけ、と現実を語りました。
 法令違反の有無をチェックするのは国の監査ですが、それを担う人員が不足しています。外国人観光客が急増し、バスの需要が高まる中、事業の許可取り消しやバスの使用停止などの処分をどこまで強化できるのか、懸念を示す関係者もいました。問題点の多くは、過去の事故でも指摘されていたのですが、業界の体質は根本的に改善されることはなく、その中で今回の事故は起きたのだと思います。
 事故から間もない中で、複数のご遺族と怪我をされた方々が撮影に応じて下さいました。「事故を繰り返してほしくない」という思いからでした。この思いをバス業界、そして社会がどう受け止め、対策を打っていけるのか。やらなければいけないことは山積しています。


 より詳しい番組内容をみつけました(下線は私が引きました)。
 数々の事故の要因が明るみに出てきて、よくもまあこれだけリスクを抱えられたものだと思いました。
 そしてバス業界のルールを熟知していたはずの“運行管理者”が確信犯として無謀な経営をしていたことが明らかに・・・彼は“犯罪者”ですね。
 しかし、乗客を殺した前科2犯のこの男は逮捕も謙虚もされることなく、他のバス会社からオファーがかかっていると番組の最後の方で紹介されました。
 まだ犠牲者が出る状況が野放しです。
 日本ってこんな国でしたっけ?

<番組概要>gooテレビ番組
 この春、早稲田大学を卒業する予定だった女性。就職も決まり、社会に出て活躍する日を楽しみにしていた。女性は3カ月前、長野・軽井沢で起きた事故に巻き込まれた。事故を起こしたバス会社は2年前に新規参入したばかり。事業を急拡大させる中で、安全を軽視していた実態があった。事故を起こしたバスは底に穴が開き、メーカーに注意されていたほか、ドライバーは適性検査で事後を起こしやすいともされていた。未来ある13名が巻き込まれたバスの暴走までの軌跡を追った。
 全国にある貸切バスは約4万9000台。利用者は増え続け、年間3億人を超えている。旅行会社では外国人観光客が殺到しているため、バスを確保するのが難しい状況が続いている。国は環境立国を掲げ、日本を訪れる外国人の数を2020年に年間4000万人までに増やそうとしている。バス業界が大きく変わるきっかけは規制緩和だった。バス会社の数はそれまでの倍ちかい4477社まで急増した。競争が激しくなり、格安ツアーも次々と生まれた。一方、各地で多くの人が死傷する重大な事故が繰り返され、その度に運転手の労働環境の改善や安値競争に歯止めをかける対策が強化されてきたはずだった。
 今年1月、原宿を深夜に出発し、長野・斑尾高原に向かうスキーツアーに乗っていたのは若者ばかり、39人だった。バスは高速道路を降り、一般道の峠道に入った。峠を超えた下り坂でバスが暴走し、道路脇の林に突っ込んだ。事故で命を取り留めた人たちも、目の前で友人を亡くし、心と身体に深い傷を追っている。
 事故を起こした「イーエスピー」を取材。貸切バス業の許可を取り消され、社長は今は事業の整理にあたっていた。社長は「改めて本当に謝罪の気持ちと、申し訳ないなという気持ちでいっぱいになります」と語った。もともとは畑違いの中古車販売の会社からスタートした。バブル景気の波に乗り、中古車の売り上げは一時は100億円近くに達した。しかしその後の景気の低迷で業績が悪化。多額の負債を抱えた。2年前に新たな収益の柱として、活況に湧いていたバス事業に目をつけた。社長は「東京オリンピックまでは右肩上がりで行くんじゃないのかと思っていた」「需要は換気されるだろうと」と語った。事業を始めるのは簡単だったという。国の規制緩和で参入のハードルは大幅に下がっていた。かつては年式が5年以内の新しいバス、7台の保有が参入の要件だったが、現在は古いバスでも3台あれば事業が始められる。16年前の規制緩和以来、バス会社はそれまでの2倍近い4500社に増えた。9割以上が中小のバス会社で、イーエスピーのように異業種からの参入も少なくない。新規参入したイーエスピーは、仕事獲得のため国のルールを無視した安い運賃で運転を請け負っていった。国は旅行会社がバス会社に払う運賃の下限を定めている。安全のために不可欠としてかつての事故を教訓にしたルールだが、イーエスピーはこの下限額を大幅に下回る安値で仕事を請け負っていた。事故が起きたスキーツアーは業界最安値をうたっていた
 会社の幹部は下限額のルールがあることすら知らなかったことが、今回の取材で明らかになった。営業部長は「大変お恥ずかしい話、私なんかは下限額があることさえ知らなかった」と語った。旅行会社との間で運賃を決めていた運行管理者の資格を持っていた人物だが、この人物はかつて別のバス会社でも運行管理者をつとめ、40人以上が重軽傷を負った事故を引き起こしていた。事故後に社内で行われた運行管理者に対する聞き取り調査では、運行管理者は契約書も交わさないずさんな取引を行なっていたことを認めた。ルールを無視した運営を続けながら仕事を獲得していた。バスはわずか2年で3台から12台まで増えた。営業部長は「正しい仕事の流れは、ドライバーをまず雇う、教える、走れるようになったら仕事を取りに行く、仕事が取れたらバスを買う」「なのにうちは先に仕事を取っちゃう。それでバスを用意する。ドライバーは慌てて用意する。その流れがそもそもおかしい」と語った
 事故を起こしたバスは、イーエスピーが次々と購入していた中古バスのうちの1台だった。点検の際、その車両の底にはサビが広がり、至る所に穴が開いていることが見つかった。腐食が進むとハンドルが効かなくなるおそれがあるとして、メーカーは当時の所有会社に使用は危険だと警告していた。イーエスピーはこの車両を相場価格の1400万円で購入した。バスの元所有者は「サビの広がりは聞いていたが危険だとは認識していなかった」としている。
 3カ月前、39人の若者たちを乗せ暴走したバスのハンドルを握っていたのは事故で死亡した高齢のドライバー。ドライバー適性検査では、注意力や動作の正確さが極端に低いという結果だった。都内のアパートで一人暮らしをしていたドライバーは、ここ数年、周囲に金を借りるなど、苦しい生活を送っていたという。かつては、和菓子を製造する会社に務め、妻子もいたが、離婚後借金を抱えていた。大型二種免許保有者の半数近くが65際以上。定年後、別のバス会社に非正規の運転手として雇われ、賃金は日払いで少ない時には月6万円程だった。当時、ドライバーは大型バスを避け、運転のしやすい比較的小さいバスにしか乗っていなかった。去年の末、家賃を支払えないほど追いつめられていたドライバーはかつての同僚に「いい仕事はないか」と尋ねていた。去年生活に困窮していたドライバーがたどり着いたのが、運転手を募集していたイーエスピーだった。大型バスの運転を嫌がっていたはずだが、面接では運転できると話したという。賃金は日払いで1万円程だった。採用を決めたのは運行管理社だった。
 事故原因の捜査は続いている。ドライバーの遺品に残されたのは、スキーツアーの仕事で得た1万678円だった。遺骨は引き取り手のないまま、都内の寺の無縁供養塔に納められている。ずさんな安全管理の末に暴走したバスで命を奪われた13人。19~22歳の、それぞれに夢を持った若者たちだった。犠牲者を悼む家族は、バスは安全だと信じていた。「本当にもう二度とこのような事故が起こらないように対策を考えていって欲しい」と述べた。
 今回の事故を受け、国は新たに有識者会議を設け、新たな規制を検討している。会議ではチェック体制を強化し、悪質な業者を排除すべきだという意見があがった。繰り返される事故の後も、現場は何も変わっていない。ドライバーからは懸念の声があがっている。安全が軽視されている実態を伝えたいと解雇覚悟で取材に応じたドライバーがいた。去年、運転手の健康管理や労働時間の違反で警告を受けた。取材中に会社から連絡が入った。15日間連続で働いて欲しいという内容だった。ドライバーは亡くなった兄の葬儀に参列するため、休暇を求めたが認められなかった。先月ドライバーは会社に退職を申し入れた。しかし人出が足りないから辞めないで欲しいと頼まれ、やむなく仕事を続けている。
 事故の犠牲者の父の元に、事故後、警察から遺品が届けられた。遺族たちは、国やバス業界に声を上げていこうと決意している。
 事故後、バス事業許可を取り消されたイーエスピー。所有していたバスは全て売却した。事故を2度起こした運行管理者は現場を去ったが、既に別の運行会社から誘いを受けているという。事故は命の重みを顧みずにきた、社会の姿を映し出している。
 事故から3カ月。今度こそ暴走を止められるのでしょうか、と投げかけた。

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「100分de日本人論」

2017年05月07日 19時55分23秒 | 日本人論
お正月スペシャル「100分de日本人論
2015年1月2日、NHKで放送

録画してから2年以上経過してから見ました。
見応え十分の刺激的な番組で、「日本人ってすごいんだ」と再認識させてくれました。



<番組内容>
 「日本人論」といいますと、とかく「政治的」な取り扱い方をされがちなテーマですが、今回は、「名著」から読み解くというスタンスに立って、あえて「哲学的」に、かつ「縦方向に奥深く」、日本人のアイデンティティや文化の基層に迫ってみる手法をとりました。また、通常は、「平易にわかりやすく」を旨とする「100分de名著」ですが、スペシャル版ということで、少しだけディープな議論にも挑んでみました。
 今回のゲストの皆さんは、プロデューサーAにとっては、大変思い入れの深い方々でした。私が大学一年生の頃出版された中沢新一さんの「チベットのモーツァルト」は夢中になって読みふけった本の一冊で、以来、ほぼ全ての著書を読ませていただいています。また、ちょうどその頃発刊を終えた、松岡正剛さんが編集されていた「遊」は、私に知への扉を開いてくれた憧れの雑誌でした。斎藤環さんの著書「社会的ひきこもり」は、マスコミ業界に入って中堅になってから読んだ本で、精神医学が社会批評としても大きく機能しうるということを気づかせてくれた本ですし、赤坂真理さんの小説「東京プリズン」は今年読んだ本の中で最も衝撃を受けた本。そう、今回ご出演いただいた皆さんは、私の「知」を育ててくださった恩人でもあったわけです。同世代の方で私と同じ感慨を持たれる方も多いかもしれません。また、赤坂真理さんはもちろん、他のベテラン三人も現在でも第一線で活躍されている方々なので、若い世代の皆さんの中にも、大いに刺激を受けているという人が大勢いるかもしれませんね。
 収録は実に5時間以上にわたり、日本人についてとことん語りつくしていただきました。そのエッセンスをお伝えすべく奮闘いたしましたが、あれだけ情報量の多い名著を解説するにはやはりどうしても時間が足りなかったというのも実感です。もしかしたら物足りないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。去年の「100分de幸福論」に引き続き、後日、ムック本という形でも展開させていただこうと考えております。ぜひご一読いただけたらと思います。



1.九鬼周造「いきの構造
★ 解説:松岡正剛(日本文化研究者)


九鬼周造は軍人のお偉いさんと芸者さんの間にできた子。そして京都大学教授でありながら京都の芸妓と結婚しました。そういうエリートとアウトサイダーの微妙なバランスから生まれたのがこの書ということを初めて知りました。

2.折口信夫「死者の書
★ 解説:赤坂真理(小説家)


折口信夫は柳田国男の弟子でありながら、ちょっと毛並みが違うなあと以前から感じていました。
なんというか、民俗学の中にファンタジーが入ってくるのですよね。
この番組を見てその理由が判明。
彼はコカイン常習者で、生と死の間を行ったり来たり(トリップ)していたようです。
戦前はコカインが薬局で違法ではなく入手可能だったらしく、晩年の川端康成もラリッていたと読んだことがあります。

3.河合隼雄「中空構造日本の深層
★ 解説:斎藤環(精神科医)

この番組の中でいちばん盛り上がったセクション。
少し前に河合先生の著作を読んでいたこともあり、うんうん頷きながら聞きました。

4.鈴木大拙「日本的霊性
★ 解説:中沢新一(人類学者)

平安時代は貴族の宗教であった仏教が、鎌倉時代になり民衆の手に降りてきた。その際に不必要な者はそぎ落とされ、南無阿弥陀仏の浄土真宗が残った、という解説は非常に説得力がありました。
殺生する生業は「悪」と見なされ、それまでは仏教で救済対象から筈さて板武士、山の民(猟師)、川の民(漁師)。
親鸞はそれら「悪人」も浄土に行けると自信を持って強く主張しました。
ここで初めて、仏教が日本の宗教として受け入れられたのでした。

この本は、日本人より先に外国人に理解されました。
ヒッピー〜ビートルズ世代、そしてスティーブ・ジョブズ
この本に啓発され、影響を受けた人達です。

内容が深すぎて、今の私には消化不良気味。いずれトライしたい書物です。

※ この番組内容が書籍(別冊100分de名著 「日本人」とは何者か? )になって発売されています。
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「本居宣長とは誰か」

2017年05月04日 07時34分29秒 | 日本人論
本居宣長とは誰か」(子安宣邦著)
平凡社新書、2005年発行。



 日本好きな私は、以前から江戸時代の国学者である本居宣長という人物に興味があり、手ごろな本はないかなと探してこの新書をたどり着きました。
 入門書のつもりで読みはじめたところ・・・なんだかとてもわかりにくく、読みづらいのです。
 なぜなんだろう? と感じつつも強引に読了し、後書きを読んでその理由がわかりました。

 宣長は日本のアイデンティティを巡る最初の言説的構成者であった。
 宣長を今読み直すのは、彼に従って「日本」をもう一度言説上に作り出すためではない。宣長に従って「日本」を再構成するといったことは、すでに昭和初期の日本で盛んに行われたことである。私たちに今必要なのは、宣長における「日本」の再構成作業そのものの検討である。


 著者の中では「宣長による日本論の解説」ではなく「宣長の業績の再評価・再検討」という位置づけなのです。
 つまり、現在の宣長像は正しいのか?という自問自答で展開する内容なのでした。
 すると、「現在の宣長像」を知らない私のような読者は混乱するばかり、ということになります。
 
 残念。
 読むんじゃなかった、1日無駄にした(?)、と久しぶりに後悔した本でした。
 本居宣長に対する興味が萎んでしまいました・・・。


<備忘録>

□ 『玉勝間』(全15巻)は、宣長の『古事記』や『源氏物語』などの研究過程で書きためた歴史や文学・言語、そして人物などについての覚え書き、そして人生や学問についての時々の感想などを編集した散文集。

□ 漢意(からごころ)
 外部から日本に導入された漢字文化に伴われた儒教などの考え方。
 それに対抗する古意(いにしえごころ)は、漢意を排除することにより明らかにされる日本古代固有の心意。

□ 「もののあはれ」
 宣長は『万葉集』『古今和歌集』『後撰集』『古語拾遺』の歌における「あはれ」の語の用法を分析して、人に歌をもたらす根本的で普遍的な心情概念として「あはれ」を再構成した。
 「もののあはれを知る心」とは、事に触れ、ものに触れることの多い人間の生活において、さまざまに動く心のあり方をいう。
 事に触れて心が激しく動くとき、すなわち「もののあはれ」に堪えないとき、人は思わず声に出す、その声は長く、しかも文なる言葉となるだろう、それがすなわち歌なのだ。

□ 物語を読むということ
 物語を読むことは、かつては音読を通じて複数の人々に同時的に共有されるものであったが、やがて一人で個別の空間で読むということに変化した。

□ 『源氏物語』を読むということ
 もののあわれは知る心から作者(紫式部)は、もっとも「もののあはれ」を知る人をもっともよき人として物語を書き出し、読者はその「もののあはれ」を知る人々の物語に深く共感し、「もののあはれ」をともにする、それが『源氏物語』を読むことである。
 人はすぐに勧善懲悪の教えと解しようとするが、それは浅々しい理解であり、紫式部の本意ではない。
 物語の意味とは、人情とかくあることを人に教えるところにある。

□ 『古事記』と『日本書紀』の位置づけ
 『日本書紀』を歴史書と呼ぶことに我々は躊躇しないが、同様に『古事記』を歴史書だということには躊躇する。
 『古事記』は神武天皇以降の人の世の記録としてよりも、神の世の説話的記録としての特質を持つ。『古事記』は後の『伊勢物語』などの歌物語の祖型としての性格が強い。『古事記』は『日本書紀』のサブテキストとみなされてきた。
 『日本書紀』神代巻は神道家にとっての神典であり、神道の教えといわれるものは、この神代巻の解釈として説かれていった。そのあり方に疑いを持った宣長により『古事記』は再発見され、『古事記』こそが第一の神典の意義を担うことになる。

□ 宣長の「漢字借り物観」
 宣長は『古事記』のテキストを構成している漢字を、やまと言葉を表記するために借りた文字だと考えた。漢字は借り字・仮り字すなわち仮名・仮字である。漢字が仮名であるのは万葉が長そうであった。しかし宣長は『古事記』のテキストを構成する漢字を基本的に仮名と考えた。
(例)『古事記』冒頭部分は「あめつち」が先であって、それに漢字「天地」が当てられたと考える。
(例)やまと言葉「かみ」に漢字「神」を当てているだけ。

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「月の裏側」(クロード・レヴィ=ストロース)

2017年05月01日 15時29分32秒 | 日本人論
月の裏側」(クロード・レヴィ=ストロース著)
副題「日本文化への視角」
中央公論新社、2014年発行。


© FAMOUS PEOPLE http://www.thefamouspeople.com/profiles/claude-lvi-strauss-6502.php

著者は「悲しき熱帯」で有名な、構造主義の文化人類学者。
確か高校生の時に手にした本ですが、途中で脱落した記憶があります。

その後35年を経て、やはり惹かれるものがあり、彼の日本人論を集めた本書を読んでみました。
日本に関する文章の寄せ集めなので、一貫性は乏しく、重複もあります。
しかし幼児期に浮世絵に見せられたエピソードに始まり、日本に惹かれ続けた彼の愛情のこもった言葉は心に響きます。

他の文化と比較した上での類似性のみならず、そこから浮かび上がる日本の独創性を賛美しています。
下記文章がそれを象徴しています;

「科学と技術の前衛に位置するこの革新的な国が、古びた過去に根を下ろしたアニミズム的思考に畏敬を抱き続けていることは驚くべきことである。神道の信仰や儀礼が、あらゆる排他的発想を拒む世界像を有している。宇宙のあらゆる存在に霊性を認める神道の世界像は、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、さらには物質と生命を結び合わせる。」

「アメリカの発見が人類史の大事件であったことは確かであるが、その四世紀後の日本の開国は、正反対の性質を持ちながらも、もう一つの大事件であった。北アメリカは住民はわずかだったが未開発の天然資源にあふれた新しい世界だった。日本は自然資源には恵まれていなかったが、そのかわり住民達が国の豊かさを作っていた。彼らは自分たちの価値を迷いなく信じることで活気に魅している人間のありようを示したのである。」

「日本は自然の富は乏しく、反対に人間性において非常に豊かです。人々が常に役に立とうとしている感じを与える、その人達の社会的地位がどれほど慎ましいものであっても、社会全体が必要としている役割を満たそうとする、それでいてまったくくつろいだ感じでそれを行うという人間性があります。」

「私が人類学者として賞賛してきたのは、日本がその最も近代的な表現においても、最も遠い過去との連携を内に秘めていることです。それに引き替え私たちフランス人は、私たちの“根っこ”があることはよく知っていますが、それに立ち戻るのがひどく難しいのです。日本には、一種の連続性ないしは連帯感が、永久に、ではおそらくないのかもしれませんが・・・・・今もまだ、存在しています。」

「日本は歴史の流れの中で、外国から多くの影響を受けてきました。とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響です。けれども、私に驚異的に思われるのは、日本はそれらを極めてよくどうかしたために、そこから別のものを作り出したことです。これらのどの影響も受ける前に、日本人は縄文文明という一つの文明を持っていました。縄文文明と比較できるものは、皆無です。」


本書の中で、日本の神話や宗教儀式を他の国・地域と比較して共通点を見いだすコメントがいくつもありました。
しかし「共通しているから起源が同じであると推測される」という結論で終わっているのが私にとっては少し不満です。
その意味への考察が乏しいのです。
人類が共通して以下帰る問題とその解決法が隠されているかもしれないのに。

訳者の好みなのでしょうか、所々に抽象表現の羅列があり、少々難解な文章も見かけました。
また、一部は公演記録なので、記録に残すべく校正した文章と異なり、表現がわかりにくい箇所もありました。


<備忘録>

・縄文の土器は、他のどんな土器にも似ていない。年代についても、これほど古く遡ることのできる土器作りの技術は他に知られていない。1万年続いたという長い期間も類を見ない。とりわけ「火焰様式」などの様式が独創的である。

・銅鐸に描かれている文様、埴輪、大和絵、浮世絵などには、表現の意図と手段の簡素さが共通して認められる。これは中国式のふんだんな複雑さからは、およそ遠いものである。

・日本文化は両極端の間を揺れ動く、驚くべき適応性を持っている。日本文化は反対のものを隣り合わせにすることさえ好む。この点で、日本文化は西洋文化と異なっている。西洋では一つのものを別のものと取り替えるのであり、後戻りするという発想はない。

・日本式「ディヴィジョニスム」(分析的精神)
 現実のあらゆる側面を、一つ残らず列挙し、区別し、しかもそれぞれに同じ重要性を持たせるという努力。
 職人が同じ注意深さで、内側も外側も、表も裏も、見える部分も見えない部分も扱う、日本の伝統的工芸品のうちにその精神が認められる。
 日本製の小型計算機、録音機、時計などは、領域は異なっても、完璧な出来映えという点で、かつての日本の鍔、根付け、印籠のように、触れても、眺めても魅力あるものであり続けている。
 料理では、自然の産物をそのままの状態に置き、中華料理やフランス料理とは反対に、素材や味を混ぜ合わせることを避ける。
 大和絵においても、描線と色を切り離し、色は平面的に塗られる。
 日本音楽には和音の体系がない。音を混ぜることを拒否しているのである。音を混ぜないで抑揚を付ける。音色には楽音と噪音が巧みに組み込まれている。西洋の音楽ではさまざまな音が同時に響き合って和音を産むが、日本の和音は同じ瞬間ではなく時間の流れの中で生まれる。

・フランスが、モンテーニュとデカルトの系譜の中で、おそらく他のどの民族にもまして思想の領域における分析と体系的な批判の能力を推し進め、一方で日本は、他のどの民族よりも、感情と感性のあらゆる領域で働く、分析を好む傾向と批判精神とを発達させた。
 日本人は、音も、色も、匂いも、味も、密度も、肌理(きめ)も、区別し並列し取り合わせる。

・東洋の思想と西洋の思想の違い
 西洋の哲学者達は、東洋の思想は“二つの拒否”により特徴づけられると考えた。
1.主体の拒否:
 ヒンドゥー教、道教、仏教とさまざまな形をとっているが、西洋にとって第一の明証である「私」が幻想であることを示そうとしている。これらの教義にとって、各々の存在は生物的で心理的な現象のかりそめの寄せ集めに過ぎず、一つの「自己」という持続的要素を持っていない。
 ゆえにデカルトの「われ思うゆえにわれあり」は厳密には日本語に翻訳不可能である。
 日本人は主体を消滅させてしまったわけではなく、主体を原因ではなく一つの結果にするという方法をとった。主体に対して西洋哲学は遠心的であるが、日本的思考が主体を思い描くやり方はむしろ求心的である。
2.言説の拒否:
 ギリシャ人以来、西洋は言葉を理性のために用いれば、人は世界を理解できると信じてきた。反対に東洋的な考え方では、どんな言葉も現実とは一致しない。
 西洋が他の思考体系に対抗するものとして提示したものから、日本は自分に合うものを取り、残りを遠ざけることにより対応した。

・・・このように日本文化は、東洋に対しても西洋に対しても一線を画している。日本文化は今日、東洋に社会的健康の模範を、西洋には精神的健康の模範を提供している。

・日本の職人仕事と西洋の職人仕事の根本的な違い
 前者と反対に後者がその継承にあまり成功しなかった理由は、古い技術の存続とはあまり関係がないという印象を持った。日本と西洋の違いは、家族構造が残っているかどうかと関係があると感じた。

・私が日本にいる理由は、日本人が自分たちを見るという機会を日本人に提供するためだと思う。

・日本の料理と木版画に共通する特徴は「独立主義」「分離主義」
 木版画は線描と色彩とが独立しており、表現力豊かな線と平面的に塗られた色彩が特徴である。この相互の独立は、他のどの技法にも増して版画がよく表現できる。線と色彩の二元性である。
 日本料理はほとんど死亡を使わず、自然の素材をそのまま盛りつけ、それをどう混ぜ合わせるかは食べる人の選択と主体性に任されている。これほど中華料理から遠く隔たっているものはない。
 純粋な日本のグラフィック・アートも純粋な日本料理も、混ぜ合わせることを拒否し、基本的な要素を強調する。
 中国の仏教と日本の仏教との違いの一つは、中国では同じ寺院の中に異なる宗派が共存しているのに対して、日本では9世紀から、ある寺院は天台宗だけ、ある寺院は真言宗だけという具合になった。

・日本人は虫の鳴き声を右脳ではなく左脳で捉える(神経学者:角田忠信)。日本人にとって虫の鳴き声は騒音ではなく、口に出して発音された言語活動の部類に入っている。これはアジア人も含む他のすべての民族とも異なる。

・「はたらく」ということを日本人がどのように考えているか。
 西洋式の、生命のない物質への人間の働きかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化と考える。

・人類を脅かす二つの災い
1.自らの根源を忘れてしまうこと。
2.自らの増殖で破滅すること。

・日本が近代に入ったのは「復古」によってであり、例えばフランスのように「革命」によってではなかった。
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新渡戸稲造「BUSHI-DO」

2017年05月01日 07時42分53秒 | 日本人論
録画してあったBS-TBS「THE歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜新渡戸稲造」をGWに観ました。
放送は2015年5月。



<内容紹介>
 今回の列伝は武士道を世界に広めた教育者・新渡戸稲造。明治時代、西洋列強から野蛮と思われていた日本。新渡戸は日本人の魂を体系化した本「武士道」を英語で出版、世界的なベストセラーになった。その後、日本が誇る国際人として国際連盟の事務次長として活躍。しかし、昭和8年、晩年の新渡戸にカナダでの国際会議の団長としての命が下った。それは軍国主義の道を突き進む日本に残された、唯一の外交の場であった。新渡戸は渾身の演説を残すも…


 新渡戸稲造は五千円札の肖像画としてお馴染みですが、詳しいことは知りませんでした。
 ただ、「武士道」の著者として時々話題になるので、気にはなっていました。

 この番組を観て、そのスケールの大きさに圧倒されました。

 諸外国から「刀を振り回す蛮族」として捉えられていた幕末〜明治時代の日本人。
 若き国際人としてその誤解を解くべく表したのが「BUSHI-DO」(英語)です。
 この書物は17カ国語に翻訳され、アメリカ大統領のルーズベルトも読んで感銘を受けたという記録が残っています。

 そして新渡戸稲造は、国際連盟の初代事務次長に就任し、世界平和を達成するべく尽力しました。
 しかしその意図に反して日本の軍国主義の勢いは止まらず、なし崩し的に第二次世界大戦へ突入。
 新渡戸による釈明の甲斐なく「やはり日本人は蛮族であった」とみなされることになり、新渡戸は失意に沈んだことでしょう。

 新渡戸稲造はクラーク博士が在籍した札幌農学校(現北海道大学)で勉学に励みました。
 新進気鋭の学舎には全国の秀才が集まり、授業はすべて英語だったそうです。
 当時の同期生には内村鑑三がいて、成績トップを競いました。記録によると、内村が1番、新渡戸は3番か4番だった様子。
 札幌農学校卒業後に東京大学にも一時在籍しましたが、そのレベルの低さに失望し(?!)、アメリカ留学を決意したそうです。
 東大よりも北大の方がレベルが高かった・・・そんな時代があったのですねえ。

 
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「日本人の心を解く」(河合隼雄著、河合俊雄訳)

2017年04月30日 06時07分49秒 | 日本人論
副題「夢・神話・物語の深層へ」
岩波現代全書、2013年発行

数年に一度のペースで河合隼雄さんの著書に手が伸びます。
何となく、生理的欲求が生まれるのです。
現実の生活に迷いが生じたとき、自分の立ち位置を再確認する作業なのかもしれません。

「無意識の構造」という彼の著書を初めて読んだのが、確か高校生の時。
それ以来、折に触れて教えを請うてきた人生の先生です。

さて、この本は「河合俊雄訳」というちょっと不思議なフレーズがくっついています。
河合俊雄氏は河合隼雄氏の息子さんで、やはり臨床心理学者。
この本はもともと英語で発表され、それを日本語に訳したと云うことです。

内容は5回分のエラノス会議の講演です。
後の彼の著書にキーワードとして現れてくる事項を扱っており、1980年代の研究のダイジェスト版と云ってよいかもしれません。

第一章:夢
第二章:明恵
第三章:日本神話
第四章:日本の昔話
第五章:とりかえばや

私がとりわけ興味を抱いたのは、第三章の日本神話でした。
『古事記』『日本書紀』に記されている日本神話ですが、私は「当時の政治情勢を反映させた天皇家の正当性を都合よく説明する内容」と捉えてきました。
しかし河合氏はそれを一歩も二歩も掘り下げ、その本質を「中心となる神の中空構造」と捉えており、目から鱗が落ちました。
そしてその中空構造は、現代にも繋がる日本社会の特質であると。
以下のフレーズが象徴しています;

「日本の天皇は太陽の女神アマテラスの子孫であると云われているけれども、人々の中心としての力という意味では、実際のところは月の神ツクヨミの性質を持っている」

この文章を読んで、いろんなことが腑に落ちるようになりました。
さすが、河合先生!

<備忘録>

【第一章】

□ 『宇治拾遺物語』
 逸話・伝説・そしてインド、中国、日本の歴史的出来事の記録が含まれており、僧侶達はこれを説教に用いた。夢と覚醒時の世界が相互浸透する際だった例が多く含まれる。
 当時のコスモロジーは死の世界や死後の世界を含んでいた。我々の生を本当に考えるためには、この世もあの世も包摂する立場をとることが重要である。

□ 日本語の「私」
 第一人称のいい方には「わたくし」「ぼく」「おれ」「うち」などのように多くのものがあり、どれを選ぶかは、状況と話しかける相手によって決まる。このような点で、日本人はもっぱら他者の存在を通じて「私」を見いだしていると云ってよい。

□ 自然(しぜん-じねん)の概念
 ユングは人間のことを「自然に反する作業」であるとしている。
 西洋文化との摂取句以前には日本人は自然の概念というものを持っていなかった。
 中世日本における夢についての物語を通じて、そこには生と死、現実と空想、自己と他者の間のはっきりとした区別はないことがわかる。同様のことはヒトと自然の関係についても当てはまる。
 西洋の歴史において、自然は文化や文明と対立する概念であって、常に人間により客観化されてきた。Natureという言葉は日本語で「自然」と翻訳されたが、これ以前には日本語に自然という概念がなかった。「自然」とはすべてが自発的に流れる状態を表現していた。常に変化する流れのようなものがあって、そこにはすべてー空、大地、人ーが含まれている。この「自然」の状態は、日本人により直観的に捉えられ、後に“Nature”を翻訳するために用いられた「しぜん」ではなく、もともとは「じねん」と読まれた。

【第三章】

□ 太陽の女神、アマテラス
 多くの他の文化において太陽は男性神で表されるのに、日本においては女神であり、日本の代々の天皇は、この女神の子孫であるとされている。アマテラスの孫の孫(玄孫:げんそん、やしゃご)が日本における最初の天皇になった。
 『古事記』によると、アマテラスは母親(イザナミ)が亡くなったあとに父親(イザナギ)の左目から生まれた「父親の娘」である。イザナギは穢れを禊ぐ目的で中つ瀬に背理、左の目を洗うとアマテラスが、右の目からは月の神であるツクヨミ、鼻からは嵐の神であるスサノオが生まれた。イザナギはアマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の国を、スサノヲに海の領域を支配するよう命じた。
 ・・・『日本書紀』での記述内容は異なる。

□ 中空としての月の神
 太陽の女神(アマテラス)と嵐の神(スサノヲ)はお互いに戦うが、どちらかが明らかに正しいわけでも、悪いわけでもない。嵐の神は太陽の女神の敵ではなく、微妙な対をなす存在である。
 『古事記』『日本書紀』において、月の神(ツクヨミ)に関する話がないのは奇妙である。ツクヨミは神々の中心に位置していながら何もしないという逆説的な役割を担っている。そしてこのトライアッド(三神一組)のうちの他の二つの神である太陽の女神も嵐の神も日本の神々の中心の神となる役割を担い切れていないこともポイントである。

□ 日本神話に登場する3つのトライアッド(三神一組)
1.天地のはじめー自ら誕生ータカミムスヒ、アメノミナカヌシ、カミムスヒ
2.天国と黄泉の国のはじめての接触ー父親からの水中出産ーアマテラス、ツクヨミ、スサノヲ
3.天つ神と国塚にとの間のはじめての結婚ー母親からの火中出産ーホデリ(=海幸彦)、ホスセリ、ホヲリ(=山幸彦)
・・・後に山幸彦とトヨタマビメの間の子どもが、日本の最初の天皇の父親となる。
 
 3つのトライアッドに共通する特徴は、何もしない神が中心に存在すること。
 一つ目は父性原理と母性原理を、二つ目は女性と男性、天と地を、三つ目は山と海の対立を内包している。
 この中空をめぐる動き・争いの目的が、権力を勝ち取ったり獲得することではなく、いかに均衡がとれるかに終始していることが最も大切である。
 これが古代日本のコスモロジーであり、キリスト教神話の構造と明確に対照をなしている。キリスト教においては、絶対的で常に正しい唯一神が中心に立っていて宇宙を支配している。日本神話の曖昧な性質とは対照的に善悪の区別は極めて明快である。
 キリスト教では中心がすべての要素を統合する力を持つのに対して、日本の神話においては、中心は力を持たないのである。
 この中空均衡モデルは、今日の日本においてもまだ機能している。このモデルの最大の欠点は、中心があまりにも弱いので、どのような要素も簡単に侵入できることである。
 日本の天皇は太陽の女神アマテラスの子孫であると云われているけれども、人々の中心としての力という意味では、実際のところは月の神ツクヨミの性質を持っている。

【第四章】

□ 西洋と日本の昔話における象徴の使い方には際だった対比が認められ、西洋の象徴が人間から構成されているのに対して、日本の象徴は自然から成り立っている。
 竜宮、つまり竜の宮殿と聞くと、西洋人はそこから竜との戦いを連想する傾向があるのに対して、日本人はそこから宮殿の美しさを連想する。

□ 日本人は「葛藤の美的解決」を好む(ジェイムズ・ヒルマン)

□ 日本神話においては、対をなす者同士の間で、戦いの代わりに多くの重要な妥協がなされる。
 イザナミとイザナキとの間の妥協は、男性と女性、あるいはこの世と黄泉の国との間になされたまさに最初のものである。

□ 日本神話とキリスト教神話の違い
1.双方の間で、禁止する者と禁止される者の性が逆になっている。西洋において男性原理が支配しているのに対して、日本においては女性原理が優勢であることを示唆している。
2.西洋において、人間が神に対して禁を破ることが行われるのに対して、日本においては神々の間でなされている。
3.西洋の神が厳しい罰を与えるのに対して、日本の神々はそのようなことを行わない。
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