知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「SONGS OF LIFE」ーComtemporary Remix "万葉集"

2009年06月16日 06時16分47秒 | 古典文学
DOS MASRAOS著、光村推古書院、1997年発刊。

万葉集は日本最古の歌集で、7世紀前半~8世紀半ばにかけて編纂されました。
歴史上の出来事でいえば「大化の改新」あたり。
それまで日本には文字が無く当然記録もありません。
中国から輸入した「漢字」を駆使して初めて記録に残そうとした意気込みを感じます。

さて、この本は万葉集の現代口語訳です。
といっても学者さんが書いた硬い本ではなく、ほとんど普通の会話レベルまで意訳するという離れ業。
従来の万葉集解説本は「1000年以上昔の日本に思いを馳せる・・・」という内容でしたが、この本は違います。歌の舞台を現在に移し「1300年前の日本人も今生きている我々も同じ感覚を持っていたんだ」という発想。
著者(訳者?)は1960年代前半生まれで私と同世代ですね。

目から鱗がポロポロ落ちました。
驚くのはその自由な精神。
仏教が伝来する以前の、苦しい生活ながらもおおらかな心を持った原日本人像がそこに在ります。
特に夫婦・親子間の強い絆が伺われ、むしろ現代の希薄な人間関係の方がおかしいのではないかと思うほど。
以下、気に入った句を並べてみます。

「春が過ぎて夏が来たようね
 新緑の山に干してある
 シャツの白さが眩しいわ」
・・・有名な歌で百人一首にも収録されていますね。

「金もダイヤもかなわない
 この世のどんな財宝よりも
 やっぱりわが子が最高さ」

「僕が旅立ったあの日から
 幾日経つかと指折り数え
 父さん母さんは待っているだろう
 今か今かと僕の帰りを」

「百貨店へひとりで出かけ
 ろくに見比べもしないまま
 衝動買いしたシルクのシャツは
 やっぱ失敗だったみたい」

「この世はつらく
 恥ずかしいことばかりだけれど
 空を飛んで逃げることはできない
 俺たちは鳥ではないのだから」

「いま 生きているこの時が
 楽しければそれでいいのさ
 今度生まれ変わるときは喜んで
 虫にも鳥にもなってやる」

「考えてもムダなことは
 クヨクヨ思い悩まずに
 コップ一杯の安酒を
 キュッと飲るのがいいらしい」

「どうしようもなく苦しくて
 何もかも捨てて逃げ出したいけれど
 あとに残る子供らのことを思うと
 そういうわけにもいかなくて」

「天使さま
 この子はまだ幼くて
 天国への道を知りません
 お礼は致しますから どうか
 背負って連れて行ってください」


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「日本の放浪芸」ー小沢昭一さんと探索した日々ー

2009年06月07日 07時36分55秒 | 民俗学
市川捷護(いちかわ かつもり)著、平凡社新書、2000年発行。

本書の著者は小沢昭一さんと共に消えゆく日本の放浪芸を採集・記録したレコード会社の方です。
「日本の放浪芸」シリーズはその後CD化されボックスセットになって発売されており、私も所有して時々聴いています。
大学研究者の学術的調査では味気ない報告書になり一般人が読むには敷居が高いのですが、俳優とレコード会社がタッグを組んで制作したレコードは聴くものの心をキャッチする魅力を備えています。

俳優の小沢昭一さんはちょっと変わったヒト。
俳優(芸能表現者)である一方で、その芸のルーツを探る仕事を精力的にしているひねりのある人物です。
もう15年以上前になりますが、ふと見ていた「NHKテレビ大学講座」に講師として登場し驚かされました。
その時の内容は、この本にも通じる放浪芸の一つテキ屋さんの「バナナのたたき売り」でした。

放浪芸とは何か・・・一言でいえば「日本各地域を歩き回って芸を披露してお金をもらう生業」でしょうか。
テレビやラジオ、映画などのメディアの発達していない昭和初期までは、お祭りの時の見せ物小屋やチンドン屋、紙芝居などが庶民の娯楽として大きな位置を占めていました。

大道芸人もこの範疇に入りますし、他にも宗教に絡んだ芸能とか、いろんな業種があったようです。
「辻説法」(道ばたで仏教をわかりやすく説教する)なんて歴史の教科書に出てくるものと思い込んでいましたが、消えたのはそう昔ではなさそうです。
・・・あ、瀬戸内寂静さんは今でも「辻説法」をしているか・・・。

私も幼少時期、地元の雷電神社(関東地方は雷が多いのであちこちにある)のお祭りの見せ物小屋を楽しみに観に行ったものです。確かその時の出し物は「蛇女」だったかなあ・・・子どもくらいの背丈しかないおばさんがダミ声でおどろおどろしく解説して客を呼び込みます。そのトークは人間の「怖いもの見たさ」という感情をチクチク刺激する絶妙のテクニック満載。蛇女がどんなだったかは忘れてしまいましたが、おばさんの姿とダミ声はインパクトが強烈で今でも脳裏に焼きつています。この本の中に蛇女そのものより呼び込みおばさんの方がギャラが高かったと書いてありました。なるほど!

古典芸能・文化財として残されている「能」「狂言」「歌舞伎」などはこの放浪芸の中から時の権力により拾い上げられ保護され、洗練されてきたもの、とのことです。

現在の「漫才」のルーツも放浪芸にあったことがわかります。
何かのお祝い事に神の代理人としてお祈りをする芸人集団が、その合間にくだけた小話で笑いを取るようになり、その「トーク」部分が独立・発展してきたのが漫才であると。

昭和中期以降、日本の放浪芸は先細りとなり、現在はほぼ消滅しました。
小沢さんのCDを聴くと情報過多の現代日本にはない素朴な芸の鄙びた感触が懐かしく、また新鮮に感じます。
おそらく、日本人の琴線に響く情感がそこに備わっており、私より年齢を重ねた方々には郷愁を誘うことでしょう。
日本以外のアジア、とくにインドではまだ放浪芸人たちが闊歩して活躍している風景も描かれています。
日常生活の中では楽しみが少なく放浪芸・大道芸に見入るインドの人達と、情報過多で何を信じてよいのか価値観も揺らぐ日本人とどちらが幸せなのか・・・。

「放浪芸人は『神の代理人』として畏怖される存在であったと共に『芸で金を稼ぐ』と蔑まされてきた歴史がある」との記載に、教科書には載らない日本の裏の歴史を支えてきた名も無き人々の影を見たような気がしました。

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