NHKラジオ第一で、早朝5:35頃から放送されている「健康ライフ」。
ちょうど通勤時間帯なので、車で聞いています。
11月に件名の放送を興味深く聴きました。
講師は日本大学医学部微生物学教授です。
■ 「蚊が歴史を左右した!?」(2018.11.19)
(西郷隆盛)フィラリア
蚊が媒介する寄生虫感染症。ミクロフィラリアがリンパ管を閉塞して下半身の浮腫を起こすことが特徴(象皮病)。二度目の流罪先であった沖永良部島で感染したと思われる。遺体検案で記録がある。歩行・長距離の旅行は困難だったようだ。彼が欧米に視察していれば歴史が変わったかもしれない・・・。
日本では完全に根絶されているが、南アジア・熱帯アフリカ・南米では現在もアクティブ。
(平清盛)マラリア
もともと持病がなく健康だった清盛が、突然の高熱で発症し短期間で死亡(63歳)。水風呂に入れたらお湯になったという伝説がある。腸チフツもう違われるが消化器症状の記録がない。
マラリアは当時の日本では「瘧疾(ぎゃくしつ)」「おこり」などと呼ばれた。9-12世紀の世界的に温暖な気候で日本でも瀬戸内海までマラリアが流行っていた。源頼朝のいた関東には存在しなかった。
■ 「生活習慣病で『無念』!」(2018.11.20)
(藤原道長)II型糖尿病
当時は太っていることがセレブの理想、富の象徴だった(源氏物語絵詞上の主人公は太っている)。糖尿病は当時「消渇」(しょうかつ)と呼ばれた。むくみ・しびれを取る漢方薬、鍼灸で治療された。
51歳の頃から水をたくさん飲むようになり、急にやせてきて、目が不自由になり(糖尿病性網膜症)、たびたび胸の痛み(狭心症)に苦しんだという記録がある。未治療の糖尿病の典型的な経過を辿っている。
(上杉謙信)脳卒中(高血圧性脳出血)
1587年、織田信長を討つため出陣しようとした矢先に厠で倒れ意識を失い、2日後に48歳で死亡。大の酒好きだった。
■ 「こころの障害と偉人」(2018.11.21)
(足利尊氏)双極性障害
言動に一貫性がなく、変動が激しかった。合戦の場で戦況が悪化するとすぐに切腹しようとしたエピソード、政務を捨てて部屋にこもって写経にいそしんだエピソード、などがあり、活動性が非常に高いときと低いときがあったことが窺える。
★ 他の双極性障害の偉人:ゲーテ、ヘンデル、北杜夫など。
(坂本龍馬)ADHD
剣術の達人であるが、脱藩を繰り返す。遠慮がない、衣服に無頓着。手紙では話が飛び飛び。
★ 他のADHDの偉人:モーツアルト、エジソン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、
(大村益次郎)Asperger症候群
彼の言葉は常に断定的でとりつく島がない、対人関係が苦手、人の神経を逆なでする言動など、社会性がない一方で、興味のあることはトコトン追求した。偉業を成し遂げた背景には桂小五郎のサポートが大きかった。こころの障害があっても周囲のサポートがあれば大成できるよい例。
■ 「過敏性腸症候群」(2018.11.22)
食あたり、炎症性腸疾患などの基礎疾患がなくても、胃腸症状(突然の腹痛/下痢、便秘)の反復に悩まされる疾患。環境ストレス、不安が要因で、真面目で几帳面な人に多い。
(西郷隆盛)
体格がよく、鷹揚な性格は後世に作られたイメージ(写真が残っていない)で、実は緻密で几帳面な性格だったようだ。壮年期にIBSに悩まされた。人間関係、政治的立場が難しかしく苦労した。
(石田三成)
寺の小坊主だったところを羽柴秀吉により見出された。事務能力に優れていた(早すぎた現代人)。
関ヶ原の合戦の時(西軍の旗頭を務めた)は腹痛・下痢に悩まされて十分な指揮が執れず、「石田腹」「光成腹」と揶揄された。合戦後、京都で処刑されるときにカキを食べることを拒否した理由は、果糖はIBSが悪化因子なので失禁するリスクを避けたと講師は推理。
■ 「長生きした将軍の秘訣」(2018.11.23)
将軍の平均寿命は、鎌倉幕府:38.1歳、室町幕府:38.7歳、江戸幕府:49.7歳。
長寿のポイントは、運動と節制、よい趣味を持つこと。
(徳川家康)75歳
ライバル達が短命で終わる中、ふだんから健康に留意した。運動(乗馬、鷹狩り)、暴飲暴食や女を断つ、中国の古典医学書を研究しかつ主治医と相談して自分で調合した薬を飲む(セルフ・メディケーション)。現在処方される漢方薬の半分は当時から存在した。
(徳川慶喜)77歳
徳川斉昭の7男。退位後も大正時代まで生きた。洋食を好んだ(動物性のたんぱく質、とくに豚肉を好んだ)。将軍在位1年、退位後は趣味に生き、ストレスレスな生活を営んだことがよかった。一方、先代の家茂は偏食で脚気で命を落とした。
ちょうど通勤時間帯なので、車で聞いています。
11月に件名の放送を興味深く聴きました。
講師は日本大学医学部微生物学教授です。
■ 「蚊が歴史を左右した!?」(2018.11.19)
(西郷隆盛)フィラリア
蚊が媒介する寄生虫感染症。ミクロフィラリアがリンパ管を閉塞して下半身の浮腫を起こすことが特徴(象皮病)。二度目の流罪先であった沖永良部島で感染したと思われる。遺体検案で記録がある。歩行・長距離の旅行は困難だったようだ。彼が欧米に視察していれば歴史が変わったかもしれない・・・。
日本では完全に根絶されているが、南アジア・熱帯アフリカ・南米では現在もアクティブ。
(平清盛)マラリア
もともと持病がなく健康だった清盛が、突然の高熱で発症し短期間で死亡(63歳)。水風呂に入れたらお湯になったという伝説がある。腸チフツもう違われるが消化器症状の記録がない。
マラリアは当時の日本では「瘧疾(ぎゃくしつ)」「おこり」などと呼ばれた。9-12世紀の世界的に温暖な気候で日本でも瀬戸内海までマラリアが流行っていた。源頼朝のいた関東には存在しなかった。
■ 「生活習慣病で『無念』!」(2018.11.20)
(藤原道長)II型糖尿病
当時は太っていることがセレブの理想、富の象徴だった(源氏物語絵詞上の主人公は太っている)。糖尿病は当時「消渇」(しょうかつ)と呼ばれた。むくみ・しびれを取る漢方薬、鍼灸で治療された。
51歳の頃から水をたくさん飲むようになり、急にやせてきて、目が不自由になり(糖尿病性網膜症)、たびたび胸の痛み(狭心症)に苦しんだという記録がある。未治療の糖尿病の典型的な経過を辿っている。
(上杉謙信)脳卒中(高血圧性脳出血)
1587年、織田信長を討つため出陣しようとした矢先に厠で倒れ意識を失い、2日後に48歳で死亡。大の酒好きだった。
■ 「こころの障害と偉人」(2018.11.21)
(足利尊氏)双極性障害
言動に一貫性がなく、変動が激しかった。合戦の場で戦況が悪化するとすぐに切腹しようとしたエピソード、政務を捨てて部屋にこもって写経にいそしんだエピソード、などがあり、活動性が非常に高いときと低いときがあったことが窺える。
★ 他の双極性障害の偉人:ゲーテ、ヘンデル、北杜夫など。
(坂本龍馬)ADHD
剣術の達人であるが、脱藩を繰り返す。遠慮がない、衣服に無頓着。手紙では話が飛び飛び。
★ 他のADHDの偉人:モーツアルト、エジソン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、
(大村益次郎)Asperger症候群
彼の言葉は常に断定的でとりつく島がない、対人関係が苦手、人の神経を逆なでする言動など、社会性がない一方で、興味のあることはトコトン追求した。偉業を成し遂げた背景には桂小五郎のサポートが大きかった。こころの障害があっても周囲のサポートがあれば大成できるよい例。
■ 「過敏性腸症候群」(2018.11.22)
食あたり、炎症性腸疾患などの基礎疾患がなくても、胃腸症状(突然の腹痛/下痢、便秘)の反復に悩まされる疾患。環境ストレス、不安が要因で、真面目で几帳面な人に多い。
(西郷隆盛)
体格がよく、鷹揚な性格は後世に作られたイメージ(写真が残っていない)で、実は緻密で几帳面な性格だったようだ。壮年期にIBSに悩まされた。人間関係、政治的立場が難しかしく苦労した。
(石田三成)
寺の小坊主だったところを羽柴秀吉により見出された。事務能力に優れていた(早すぎた現代人)。
関ヶ原の合戦の時(西軍の旗頭を務めた)は腹痛・下痢に悩まされて十分な指揮が執れず、「石田腹」「光成腹」と揶揄された。合戦後、京都で処刑されるときにカキを食べることを拒否した理由は、果糖はIBSが悪化因子なので失禁するリスクを避けたと講師は推理。
■ 「長生きした将軍の秘訣」(2018.11.23)
将軍の平均寿命は、鎌倉幕府:38.1歳、室町幕府:38.7歳、江戸幕府:49.7歳。
長寿のポイントは、運動と節制、よい趣味を持つこと。
(徳川家康)75歳
ライバル達が短命で終わる中、ふだんから健康に留意した。運動(乗馬、鷹狩り)、暴飲暴食や女を断つ、中国の古典医学書を研究しかつ主治医と相談して自分で調合した薬を飲む(セルフ・メディケーション)。現在処方される漢方薬の半分は当時から存在した。
(徳川慶喜)77歳
徳川斉昭の7男。退位後も大正時代まで生きた。洋食を好んだ(動物性のたんぱく質、とくに豚肉を好んだ)。将軍在位1年、退位後は趣味に生き、ストレスレスな生活を営んだことがよかった。一方、先代の家茂は偏食で脚気で命を落とした。