GWとなり世間一般では旅行に繰り出すのでしょうが、渋滞が嫌いな私は逆に家でゴロゴロ、録りためておいたTV番組をボチボチ見ています。
『源氏物語』に関する番組を2つ見つけたので続けて視聴しました。
■ BS歴史館「“源氏物語”誕生の秘密~千年の物語はスキャンダルから始まった」(NHK-BS)
「なぜ『源氏物語』は千年も日本文学の最高峰であり続けるのか?」
という問いに専門家達がディスカッション。
まずそのテーマがしょっぱなからスキャンダラス。
帝(=天皇)の子どもとして出生した光源氏は、母(桐壺)を幼児期に失い、後妻となった母にうり二つの義母(藤壺)を思慕するあまり恋い焦がれるようになり、その果てに密通してしまいます。つまり「義理の母との家庭内不倫」ということ。
さらに密通の結果、藤壺は不義の子どもを宿して出産します。帝はそれを自分の子として抱き、皇位継承権を与えることになります。つまり、「帝の実子以外の子が皇位を継承」するという、皇室の歴史にはあってはならないタブー。
天皇を中心とした律令制度の奈良時代にはあり得ない内容です。
しかし平安時代にはこれが流布することが許された・・・背後で操る強力な権力者の影が見え隠れします。
それは飛ぶ鳥を落とす勢いの実力者、藤原道長。
彼がスポンサーとなり、紫式部に『源氏物語』を書かせたのでした。
当時の和紙は今のコピー用紙とは異なり高級品で一般民衆には手の届かない代物でしたし。
古今東西、芸術にはお金がかかり、スポンサー~パトロンが必要でした。
道長の目的は、当時の帝(=一条天皇)に嫁がせた愛娘である彰子が帝の子どもを授かること。
帝はまだ10代前半の幼さの残る彰子に興味を示しませんでした。
そこへ第五帖「若紫」。10代前半の娘を自分好みの女性に育て上げる男の愉しみが描かれています。
一条天皇も『源氏物語』の読者の1人。
「若紫」の帖に感化された結果(?)、めでたく彰子は帝の子どもを身ごもり、道長は見事に目的を達して権力の基盤を固めることに成功したのでした。
当時の政略結婚を扱った作品ではあるものの、なぜ後世に残る作品になり得たのか?
それは紫式部の才能に他なりません。
いろいろなキャラの男女を描き分け、恋愛に寄せる日本人の心情を言霊に託したのです。
なにせ、光源氏のお相手は10歳台から60歳台と広範囲。さらに男色も厭わず・・・。
平安時代という風雅な世界を描き込んだ一方で、普遍的かつ多様な男女の愛の形が書き込まれており、時代が変わっても光を放ち続ける作品となりました。
瀬戸内寂静さんが「『源氏物語』を超える小説はその後ないですねえ」「『源氏物語』を読んでいない若い作家はダメねえ」と宣うのが印象に残りました。
その一方で、作家の島田雅彦氏が「まあ、今まで残ってきたのは結局エロ本だったからでしょ」とのコメントが対称的でこれもまた印象に残りました(笑)。
■ アーカイブス ハイビジョン特集 「源氏物語 一千年の旅~2500枚の源氏絵の謎~」(NHK-BS)
『源氏物語』は実に様々な「絵」として描かれました。
教科書でお馴染みの源氏絵巻は平安時代のものですが、それ以降も描かれ続けて数限りなく存在するそうです。
番組は源氏絵が時代とともに変化する様子を追う内容で、とても興味深く拝見しました。
平安時代:公家社会の優雅な雰囲気
室町・鎌倉・戦国時代):武士が勢力を伸ばし荒々しい雰囲気に変化
江戸時代:町人文化が花開き、デフォルメした浮世絵として描かれ、一部は春画(性行為を露骨に描くエロ本)として秘密裏に流布
明治時代:富国強兵の世の中となり、源氏物語は人気小説から一転して排斥対象となり紫式部は「罪人」とまで批判されることに
昭和前期:軍国主義が幅を利かせ世界大戦中も色恋沙汰はまずいと封印される
昭和後期:戦後ようやく復権して教科書に取りあげられるようになりました
持ち上げられたり排斥されたり、果ては作者が罪人扱いされたり・・・同じ作品なのに時代により評価がこんなに違うもの?
千年の旅をしてきた『源氏物語』は、時代に翻弄された歴史を経験してきたのですね。
その中で「異色の源氏絵」として江戸初期の作品が取りあげられました。
光源氏の情けない姿がリアルに描かれており、憧れの的として描かれた他の作品とは一線を画す路線。
作者不詳のこの謎の源氏絵を巡って日本の研究者が「誰の依頼で誰が描いたのか」を推理します。
ちょっとしたミステリー仕立て。
まず、松の枝のうねり具合、池の表面を細かく描き混むの画風から「京狩野」一派であることが推測されました。
さらに光源氏をあざ笑うかのようなスタンスから彼より高貴な階級、つまり皇室であることが推察され、時代を考えると後水尾天皇あたりが怪しいとのこと。
江戸幕府が開かれて二代将軍秀忠の時代に発せられた「禁中並公家諸法度」(天皇の政治力を封印した法律)への反発を「絵」に込めて表現した可能性あり。
なるほど。
さて昭和になり、現代の源氏絵としてマンガが紹介されました。
中でも大和和紀さんの「あさきゆめみし」は1700万部と驚異の販売数を誇り、現在もロングセラーを続けているそうです。
あ、私も昔読んだことがありますね。
その時代に応じてアレンジされながら『源氏物語』は連綿と伝えられていることを実感した次第です。
『源氏物語』はイギリス人のアーサー・ウェイリー氏により英訳されて世界に紹介され、「世界の12大小説の一つ」と高く評価されるようになりました。
それを読んで感動し日本文学の研究者になったのがドナルド・キーン氏です。彼は先年、日本に帰化して話題になりましたね。
『源氏物語』に関する番組を2つ見つけたので続けて視聴しました。
■ BS歴史館「“源氏物語”誕生の秘密~千年の物語はスキャンダルから始まった」(NHK-BS)
「なぜ『源氏物語』は千年も日本文学の最高峰であり続けるのか?」
という問いに専門家達がディスカッション。
まずそのテーマがしょっぱなからスキャンダラス。
帝(=天皇)の子どもとして出生した光源氏は、母(桐壺)を幼児期に失い、後妻となった母にうり二つの義母(藤壺)を思慕するあまり恋い焦がれるようになり、その果てに密通してしまいます。つまり「義理の母との家庭内不倫」ということ。
さらに密通の結果、藤壺は不義の子どもを宿して出産します。帝はそれを自分の子として抱き、皇位継承権を与えることになります。つまり、「帝の実子以外の子が皇位を継承」するという、皇室の歴史にはあってはならないタブー。
天皇を中心とした律令制度の奈良時代にはあり得ない内容です。
しかし平安時代にはこれが流布することが許された・・・背後で操る強力な権力者の影が見え隠れします。
それは飛ぶ鳥を落とす勢いの実力者、藤原道長。
彼がスポンサーとなり、紫式部に『源氏物語』を書かせたのでした。
当時の和紙は今のコピー用紙とは異なり高級品で一般民衆には手の届かない代物でしたし。
古今東西、芸術にはお金がかかり、スポンサー~パトロンが必要でした。
道長の目的は、当時の帝(=一条天皇)に嫁がせた愛娘である彰子が帝の子どもを授かること。
帝はまだ10代前半の幼さの残る彰子に興味を示しませんでした。
そこへ第五帖「若紫」。10代前半の娘を自分好みの女性に育て上げる男の愉しみが描かれています。
一条天皇も『源氏物語』の読者の1人。
「若紫」の帖に感化された結果(?)、めでたく彰子は帝の子どもを身ごもり、道長は見事に目的を達して権力の基盤を固めることに成功したのでした。
当時の政略結婚を扱った作品ではあるものの、なぜ後世に残る作品になり得たのか?
それは紫式部の才能に他なりません。
いろいろなキャラの男女を描き分け、恋愛に寄せる日本人の心情を言霊に託したのです。
なにせ、光源氏のお相手は10歳台から60歳台と広範囲。さらに男色も厭わず・・・。
平安時代という風雅な世界を描き込んだ一方で、普遍的かつ多様な男女の愛の形が書き込まれており、時代が変わっても光を放ち続ける作品となりました。
瀬戸内寂静さんが「『源氏物語』を超える小説はその後ないですねえ」「『源氏物語』を読んでいない若い作家はダメねえ」と宣うのが印象に残りました。
その一方で、作家の島田雅彦氏が「まあ、今まで残ってきたのは結局エロ本だったからでしょ」とのコメントが対称的でこれもまた印象に残りました(笑)。
■ アーカイブス ハイビジョン特集 「源氏物語 一千年の旅~2500枚の源氏絵の謎~」(NHK-BS)
『源氏物語』は実に様々な「絵」として描かれました。
教科書でお馴染みの源氏絵巻は平安時代のものですが、それ以降も描かれ続けて数限りなく存在するそうです。
番組は源氏絵が時代とともに変化する様子を追う内容で、とても興味深く拝見しました。
平安時代:公家社会の優雅な雰囲気
室町・鎌倉・戦国時代):武士が勢力を伸ばし荒々しい雰囲気に変化
江戸時代:町人文化が花開き、デフォルメした浮世絵として描かれ、一部は春画(性行為を露骨に描くエロ本)として秘密裏に流布
明治時代:富国強兵の世の中となり、源氏物語は人気小説から一転して排斥対象となり紫式部は「罪人」とまで批判されることに
昭和前期:軍国主義が幅を利かせ世界大戦中も色恋沙汰はまずいと封印される
昭和後期:戦後ようやく復権して教科書に取りあげられるようになりました
持ち上げられたり排斥されたり、果ては作者が罪人扱いされたり・・・同じ作品なのに時代により評価がこんなに違うもの?
千年の旅をしてきた『源氏物語』は、時代に翻弄された歴史を経験してきたのですね。
その中で「異色の源氏絵」として江戸初期の作品が取りあげられました。
光源氏の情けない姿がリアルに描かれており、憧れの的として描かれた他の作品とは一線を画す路線。
作者不詳のこの謎の源氏絵を巡って日本の研究者が「誰の依頼で誰が描いたのか」を推理します。
ちょっとしたミステリー仕立て。
まず、松の枝のうねり具合、池の表面を細かく描き混むの画風から「京狩野」一派であることが推測されました。
さらに光源氏をあざ笑うかのようなスタンスから彼より高貴な階級、つまり皇室であることが推察され、時代を考えると後水尾天皇あたりが怪しいとのこと。
江戸幕府が開かれて二代将軍秀忠の時代に発せられた「禁中並公家諸法度」(天皇の政治力を封印した法律)への反発を「絵」に込めて表現した可能性あり。
なるほど。
さて昭和になり、現代の源氏絵としてマンガが紹介されました。
中でも大和和紀さんの「あさきゆめみし」は1700万部と驚異の販売数を誇り、現在もロングセラーを続けているそうです。
あ、私も昔読んだことがありますね。
その時代に応じてアレンジされながら『源氏物語』は連綿と伝えられていることを実感した次第です。
『源氏物語』はイギリス人のアーサー・ウェイリー氏により英訳されて世界に紹介され、「世界の12大小説の一つ」と高く評価されるようになりました。
それを読んで感動し日本文学の研究者になったのがドナルド・キーン氏です。彼は先年、日本に帰化して話題になりましたね。