お~カナダ! たてよこナナメ歩き

主にカナダ🇨🇦西海岸の生活話と少しアメリカ🇺🇸のことと音楽について

2008年3月(11) 無事戻るが、大変な目に・・・

2012-09-17 12:34:13 | 中国へ
相変わらずまずい機内食をやり過ごし、眠れぬまま、あともう3時間ほどで到着という時、息子の呼吸が荒いことに気づく。発熱だ。ああ、どうしようと思うと同時に、これが行きの飛行機の中とか旅の途中とかでなくて良かったとほっとする気持ちもあった。応急に熱さましを飲ませる。発熱してていかにも具合悪そうで、検疫でひっかかったりしたら大変だもの。

無事に着陸。見慣れた風景がうれしい。
入国審査のフロアに出て目が点になった。今まで一度も見たことのない人数が列を成している。列が長すぎて、グネグネと折り曲げているが、それでも階段のところまで達しそうな勢いだ。春休み最終日の翌日だからなあ。今回の春休みはイースター休暇と重複したから例年より少し長かったのだ。もちろん私達もその休みを利用したのだけど。
帰国した私達には他の選択肢はないのだけど、この国を選んで訪ねてくださった方々には、入国審査のこの時間のかかりようは、第一印象悪くしただろうなあと思う。列を進むにつれて顔をあわせるいろんな人と嘆きの言葉を交わす。

あんまりひどい待ち行列だったので、ここには書きたくないほどだ。
疲れて、寝不足で、時差ぼけで、マシなもの食べてなくて、息子とダンナは病気で、その上、こんなひどい目に遭うなんて。思い出したくない。2時間半かかった。
荷物をターンテーブルで受け取った後も、出口へ向かう人の波、また波。
いつになったら外に出られるのだろうと絶望的になるほどだ。

やっと外に出て、長期駐車場へ向かうバスを待つ。行く時に降ろしてもらった場所だ。私はもう、自分が寝ているのか起きているのかわからないもうろうとした状態だった。無事に帰れてほっとしたせいもあるだろう。しかし、これからまた約40分、運転して家に帰るのだぞ。安心してボーっとしてる場合ではない。
バスから降りると、そこにちゃんと私の車があった。家の人に出迎えてもらったようなキモチ。
荷物を詰め込み、みんなが乗り込む。ダンナは一番後ろの席にもたれこんで目を閉じている。よほどしんどいのだろうな、よくここまでがんばったなと思う。

家までの運転なんて、目を閉じていてもできるほど慣れていて、そのまま家に着けそうな感じだけど、今は目を閉じると眠ってしまう。目を開けていても眠ってるのと同じ感じだ。全身しびれているみたい。娘達がサブウェイサンドイッチを食べたいと言うので、帰り道でサブウェイに寄る。ホントはクイズノーズのサブウェイサンドのほうがいいと贅沢を叫んでいたが無視。帰り道にないからだ。(ところが、その先に新たに店がオープンしていた、知らなかった) 駐車場で待っている間、その数分の間、眠りの淵に吸い込まれそうになった。でも、帰らなければならない。

ほんとに危なかった。世の中には、思いも寄らないことだけど、こんな状態で運転されてる車が走っているのだなぁとおそろしく思いながら、目をこすりながら、わざと大声でしゃべったりしながら、何とか家にたどり着いた。歓声を上げたいくらいだった。
何日も暖房を入れていない我が家はすっかり冷えて寒かったけど、家に帰れたことがとてもうれしかった。とてもいい旅ができたという満足な幸せな気持ちに包まれた。
着いたのが夕方だったので、簡単に食べてから、シャワーを浴びて、各自休むことになった。夜中に目が覚めるかも知れないが、でも、この時間なら少しは眠れるだろう。使い慣れたベッドに身体を預けていると、そのまま溶けていきそうだった。



2008年3月(10) 帰るぎりぎりまで観光で大騒ぎ・早く空港に着いたのにもう...

2012-09-17 12:32:20 | 中国へ
帰るぎりぎりまで観光で大騒ぎ・早く空港に着いたのにもう少しで乗り遅れる

いよいよ上海を離れる日の朝だ。
私と息子だけホテルのビュッフェに行く。ここのビュッフェは種類が少ないうえにおいしくないので息子以外誰も行きたがらないのだ。ウェイトレスのお姉さんに「今日はお父さんと一緒じゃないの?」と聞かれても、例によって知らない人には無愛想な息子。

1時に、前に会ったいとこの弟の方がホテルに会いに来ることになっているので、その前に悪あがきしてぎりぎりまで観光しようじゃないかということになった。ゆうべ寝る前に私は娘達に説教した。せっかくこうやって旅行しても、朝ぐずぐずしていたら時間がすぐに経って、一日が有効に使えない。明日少しでも観光したいなら、朝起きてさっとしたくしなさい、と。

息子とビュッフェで食べてる間に娘達の準備完了。ダンナも何とか出かけられそう。地下鉄に乗って、上海で一・二を争う観光地・外灘に行って、それからもっと時間があったら、黄浦江の向こう岸、新しい上海の顔、東方明珠に行こうという予定だ。東方明珠はテレビ塔としてはアジア一の高さの468m。タワーの上のほうに丸い真珠みたいな展望台がついている。

その前に腹ごしらえ。地下鉄の駅の続きの地下街にある、前にも行った日本のラーメンチェーン店でダンナと娘達が食べる。私はトイレへ。なんと、トイレットペーパーが、手を洗うところの横にひとつどーんと取り付けてあって、トイレに行く人はここで必要なだけとって個室に入って用を足すようになっている!

ラーメン食べ終わって、南京東路を歩いて外灘へ向かう。道々、狭い歩道の上でモノを売っている人がたくさんいる。タバコやなんだか訳のわからないもの。押しが強くて、怖いほどだ。中国のほかのところから来たツアー観光客もいる。人ごみをかき分けて、外灘に出る。懐かしい風景だ、テレビではよく映っているけど。租界時代の洋風建築がずらりと並ぶ。しかしながら、西洋から来た娘達には別に〜って感じのようだ。それより、対岸に見える新しい街にそびえる東方明珠には興味あるみたい。
私はこういうところに来るとなぜか、見知らぬ人に記念撮影のシャッター押してと言われる。いろんな人に声をかけられる。娘(小)が驚くほど。

対岸へは河の下にトンネルが通っているとダンナが言う。でも、どうなってるかはわからない。とりあえず【観光トンネル】という看板が出ているところへ行ってみる。すると、なんだか法外な値段(給料水準と比較してそう思う)のついたチケットを買う。東方明珠の入場料とセットだ。だけど、タワーの途中までしか行けないと言う。んん? てっぺんまで行きたい人は、タワーの中でもう一度チケット買うんだと。

あんまり期待しないで行ったトンネル。歩いてこの幅広い河の地下を渡ることになるのかと思っていた。ところが、そうじゃなかった。なんと、小型のモノレールみたいな(地下だけど)箱型車両が一台ずつ動いていて、それに乗って行くのだ。こりゃ面白そう。それに、五人家族で貸切になったからもっといい。ビデオカメラを構えつつ乗り込む。

これがスーッと走り出してから、興奮が最高潮に! なんと、トンネルになっている行く道々アトラクションが用意してあるのだ。ナレーションも流れる。光と空気?が織り成すストーリー展開まである。これは全く予想外。きゃーきゃー叫びまくる子供達。私もわくわくし通しだった。そうしているうちに到着して地上に上がる。外は暑いくらいだ。

さっきのチケットに息子のチケットが含まれてなかったので、売り場で買って、ついでにてっぺんまで行くチケット買おうとしたが、中で買ってくれと言われる。タワーをバックに記念撮影する人がたくさんいる。中に入ると、行列になっていた。一応荷物の検査をしていたけど、私達は何も見られなかった。
エレベーターガールが何人かずつ案内してエレベーターに乗せる。中国語と英語で説明しているのだけど、なんだか生気がない。鼻にかけてしゃべっているので、何を言ってるのかはっきりわからない。特に英語・・・。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたエレベーターの中で隣り合わせた女性が話しかけてきた。カナダの首都から来たと言って、しばらくしゃべる。

展望デッキに出ると上海の街を一望! と言いたいところだが、大気汚染でぼやけている。どこに行っても青空が広がらない。白い空だ。太陽も白い。でも、やはり高いところから見渡すと面白い。車がありんこより小さく見える。すぐ隣には日本の会社が建設中のアジア一だか世界一だかの高さを誇るビル。
チケットを買ってさらにてっぺんまで上る。こういうところが大好きな娘(小)はこたえられない様子。

見てまわっているうちに、いとこがホテルに訪ねてくる時間が迫ってきた。写真を撮りまくってから帰途につく。娘(大)は、東方明珠の隣にある、この前も来たスーパーブランドモールに寄りたかったみたいだが、時間切れ。急いで降りて、急いで地下鉄の駅へ。駅では中国人民解放軍の若い兵士達が行進していたのでビデオに撮る。娘(小)が「お母さん何でも撮影するんだから・・・」とあきれ顔。

ホテルに着くと、いとこはもう来ていた。いとこは、私達が今日帰りの飛行機に乗ることを知らなかった。ダンナは何も話してなかったのだ。おまけに、空港に向かう寸前にやっと肝心な観光をしていることに言葉もないようだった。
荷物が多いので、空港からホテルに来た時の大型タクシーの運ちゃんに連絡して予約してあった。ただ、今日はその運ちゃんは休みだったので、相棒が来た。女性だった。
いつも荷物を運んでくれたベルボーイが今日も荷物を運んでくれた。中国ではチップをあげる習慣がないが、この若い男の子があんまりマジメに働くので、ダンナはいつもチップをあげていた。今日は最後なので娘(大)がチップを渡したいと言う。ティーンエイジャーにチップ渡されて少し困惑した笑顔を浮かべる彼を見て、私は後悔したが。
いとこは急ぐ株取引があるというので、少しだけ方向は違うがタクシーに同乗した。
何はともあれ、ホテルを出た。

道々、どんな風に上海が変わってきたか、いとこの解説つき。ダンナの出身校(大学院)の近くも通る。その辺に住んでいたので懐かしいが、全く変わってしまっている。
そうそう、いとこもダンナより少し早く風邪で熱を出して寝込んだそうだ。どうやら、この風邪はいとこにもらったらしい。いとこは奥さんにうつされたそうだ。そんなオチもあった。大笑い。

上海に着いた時、空港から市内への高速が大渋滞でおそろしく時間がかかったので、今回は夕方遅い飛行機なのに、2時にタクシーを頼んだ。少し大回りしていとこを降ろす。
この女性運転手は運転がうまく、渋滞も上手に避けて回り道して、飛行機の時間の3時間半前には空港に着いた。やれやれ。早すぎるけど遅刻よりはずっといい。荷物を降ろして、荷物のそばでダンナが支払いするのを待つ。ところがいつまで経っても終わらない。
ダンナが来てから言うには、料金メーターの数字に20元(300円ほど)上乗せさせたと言うのだ。それも、20元余分に欲しいと言うのなら、運転もうまかったし払っても良かったのだが、あくまでも、20元上乗せした数字が正しいと言い張ったので気分が悪くなり、払う気がしなかったそうだ。何でそんなことしたのだろう。うちは大家族だから、また上海に来たら大型タクシーが要る。その時また予約したかったのに、なんだか残念だ。後味悪い。

時間が早いのでチェックインカウンターに列もなく、あっという間に終わる。お腹がすいたので何か食べようということになり、ぶらぶらしていると、到着ロビーの奥に日本のファミレスが。もちろんそこで食べることになる。(ホントは乗り継ぎ便に乗って、成田でこういう楽しみがあるはずだった・・・)
オーダーはまたラーメン・・・。デザートもOKだって、子ども達は大喜び。ただ、クリームソーダを飲みたいというので、氷なしで作ってくださいと頼んだら拒否された。ウエイトレスは、そんなことしたらアイスクリームが浮かばないと言い張る。そんなことないと思うが、作ってくれなければどうしようもない。私はどんな水で氷作ったか信用できないから、氷は一切拒否する。肝炎になるのはごめんだからだ。
それに、お客がいるのに、従業員が天井のふき掃除をしている。私のオーダー(五目野菜そば)が運ばれてきた時も、ちょうどその下を通った。ダンナが文句を言うと、お掃除隊は向こうの方へ移動しただけで、引き続き天井の汚れを拭いていた。

ちょうどいい時間だと思ったときに出発ロビーへ移動してパスポートチェック。来た時と同じく、評価マシーンが置いてあった。研修中の新人だったのでやたら時間がかかる。娘が【時間がかかりすぎ】のボタンを押したがったが制止した。

ホントは、ここからお店を見てまわろうと言っていた。ところが、よく耳をすませると、アナウンスでダンナの名前を連呼しているではないか。早く搭乗口へ来いと言っている。何〜? 出発時間までまだ30分以上あるのになんてこと。

動く平らなエスカレーターみたいなのに乗って、さらにその上を小走りに行くと、向こうから制服を着たお姉さんがダンナの名前を呼びながら走ってくる。目の端にはたくさんのお店が流れていく・・・ああ。買い物できない、何も見られない・・・。
「さがしたんですよ、早く来てください」
と言う。
「出発までまだ間があるでしょう、どういうことですか」
と聞くと、
「あなた方以外のお客さんはみんなもう席についています。早く出発できるなら早く出たいのです」
そんな。そんなこと聞いてませんよ。まあ、ずっと到着フロアにいたからアナウンス聞こえなかったのかもしれないけど・・・。

急いで機内に乗り込むと、もうきちんと着座した乗客の皆さんの冷たい視線を浴びる。
おまけに、席に着いてみると、他の人が座っていて、動こうとしない。男性客室乗務員が走ってきて、
「すみません、空席じゃなかったんです」とあやまると、しぶしぶ立とうとし始めた。
“Oh, bad luck!” とかなんとかスペイン語系の人みたいな英語で叫びながら。気分悪〜。

やっと席に着き、荷物を置いて、出発態勢に。だけど、何も遅くないんだよ、定刻出発なんです。
ひどい目に遭った。もうちょっとで飛行機に乗れないところだった。こんなこともあるんだなぁ。
ゆっくりと感傷に浸る暇もなく、あわただしく上海を後にすることになったのだった。




2008年3月(9) ヒルネとごちそう

2012-09-17 12:31:12 | 中国へ
朝6時、列車員がドンドンとコンパートメントのドアを叩いて「早く起きて〜、もうすぐ着くよ〜」と言う声で目が覚める。窓の外を見ると、もう上海南站付近に来ている。うわぁ大変、急いで子ども達を起こす。6時16分、駅に到着。長女は目が覚めなくてぐずぐずしていて、結局着替えられず、ゆうべ寝たときのヨガパンツはいたまま降りた。
列車のトイレはきれいじゃないと私が言ったから、寝る前と起きてからトイレに行ったのは私だけだった。

全く休めた感じのしない、疲れたままの身体を引きずるように、大荷物を持って出口へ向かう。親戚の知り合いが好意で出迎えに来てくれた。久しぶりに乗る日本製の新しいバンはその人の会社のもの。乗り心地は良いが、荷物が多すぎて座席が狭くなり、斜めに座ってしのぐ。この人は勘違いして、同じ名前の別のホテルに行ってしまう。なんか車窓の風景が変だなと思ったけど、言い出せずにいたら案の定。また引き返して、この前のホテルに。

朝の7時台についてもチェックインできるはずがない。仕方なく、11階のラウンジで部屋の掃除が終わるまで待てと言われた。椅子にどーっともたれ、お菓子を食べながら、昔あった【パンチdeデート】みたいなテレビ番組を見て、あれこれ出演者にけちをつけながら過ごす。不細工だとか、女みたいな男だとか言いたい放題。そのうち、9階の部屋が空いたと言われて移動。まだ例のお相手探しの番組が終わってなかったので、娘達が部屋に入るなりテレビをつけた。

ダンナは仕事の話があって出かけた。部屋はあてがわれたが、フロントに預けたままになっているスーツケースが届いていない。シャワーして着替えたいがそれもできず、ごろごろしていた。テレビでは、オリンピックに向けた啓蒙コマーシャルがよく流れている。
たとえば「他の国の人が勝っても暖かい拍手を送りましょう」とか「マラソン選手に飲み物や食べ物を渡してはいけません」とか「あまり人気のない種目でもちゃんと応援しましょう」などというもの。他にも、各種目のルールや見どころ、これまでの大会での試合などの紹介をしているのもある。上海では2010年の上海万博のPRが目立っていて、あんまりオリンピック色が濃くないと思ったが、全国的にはやはりこういう風に盛り上げてきているのだなぁ。

昼は付き合いでホテルの中のレストランに行くことになった。注文してからなかなか出てこない。炒飯が来たら、子供達があっという間に平らげてしまい、もう一皿追加。こういうものが食べたかったのだろう。レストランの入り口にフルーツバーがあった。スイカやオレンジ、ぶどうに混じって、珍しい、そして懐かしいものがあった。それはサトウキビ。硬い皮をむいてただけのサトウキビ。口の中でかんでいると甘い汁が出てくる。そして、硬い繊維は口から出す。昔住んでいた頃は、甘いものがあんまりなくて、こういうものがうれしかった。不思議そうに見ている子供達にも試すようすすめる。面白そうに食べる。

部屋に戻ったら、荷物を持ってきてもらってシャワー。次々にシャワーして、分厚いカーテンを閉めてヒルネ。もう眠くて眠くてどうしようもない。夜はダンナの大学院の同級生の集まりに呼ばれている。家族も来いと言う。私はあんまり気が進まなかった。上海最後の夜、ちょっとぶらぶらしたりしたいと思った。子供達がダンナの同級生の集まりに言っても面白いことはないはず。ダンナは8時には終わるからと言うけど、そんなわけないだろうと思ったし。でも、もう行くって言ってしまってある。それなら寝ておかなければ、夜出かけるなんてとんでもない。

夕方、集まりのあるレストランに向かうときタクシーがなかなかひろえない。もうひとつ心配が。ダンナが集まりの場所をちゃんと確認していないのだ。携帯に慣れるとこんな風に、きちんとチェックしなくなっている。だけど、モンダイは、今携帯がないのだ。公衆電話も少ない。
やっとのことで、交差点の赤信号で停まっている空車発見、ドアを開けて乗ろうとしたら、息子の動作がとろく、信号が青になってしまい、後ろの車からクラクションの嵐。運転手はあせって怒鳴りだす。おまけに、乗り込んだのが5人だから、怒りが噴火した。
「なんてこった、5人も乗って、正気の沙汰じゃないよ。警察に見つかったらいくら罰金取られると思ってんだ、そこの角で停まるからさあ、降りてくれ降りてくれ!」
まくし立てること。ダンナが「息子は赤ん坊同然だから大丈夫、このまま行ってくださいよ」となだめるが、怒りはおさまらない。たまたま行き先が近かったので、何とか行ってくれたけど。
きっと本当はこういう交通規制があるはずだけど、今まで何十回もタクシーに乗っても、怒られたのは初めてだ。ホントは、こういう運転手の方が正直でしっかりしてていいんだろうな。

さて、言われたところに着いたが、言われたようなレストランがない。
ダンナが公衆電話を探して同級生に電話をかけた。なんと、場所が変更になったとかならないとか・・・。またタクシー。こわごわ乗り込む。このタクシーには、テレビみたいな小さな液晶画面がついていて、ずっと広告を流している。タッチスクリーンで見たい広告を選んだり、商品に関するゲームをしたりできる。こんなの初めて見た。息子が喜んだ。渋滞でお客が怒ることが多いんだろうな、こんなのがあれば気がまぎれていいんだろう。

着いたところは超高級タイ料理と中華料理のレストラン。ひゃ〜。
ちなみに、中国では普通割り勘はありえない。誰が払うんだろう。
個室には、一人を除いてみんなそろっていた。6人。おお、久しぶりだな〜とあいさつあいさつ。私が日本人だと言うことはみなご存知で、中には会ったことある人もいる。こちらにはあんまり話題が振られないで、話は盛り上がっていく。子ども達はテレビを見ている。
誰も注文しないので、個室専属のウエイトレスが手持ち無沙汰そうに立っている。
と、最後の一人が現れた。上海人っぽくないなあと思ったら、やっぱり中国の北の方の人だった。なんかちょっと感じが違うんだよな。声も格段に大きい。
この人が「なんだお前ら、まだ注文してないのか」と言いながら、おもむろにメニューを手に取り、手際よくオーダーしていく。そうか、今日の集まりはこの人が持つんだな、とわかる。話も全部この人が仕切っている。自分の経営する会社の話を延々聞かされる。

続々出てきた料理は、見たことも食べたこともないようなものがたくさん。前菜のうなぎもおいしかった。ふかひれスープなんて、ふかひれがちょっと入ってるんじゃない。かたまりでどーんと入っているのだ。あんまり食べたそうじゃない娘達に「こういうものは滅多に食べられるものじゃないから、是非食べなさい」と小声で言う。(大声で言っても日本語だから誰にもわからないが・・・) 貝柱もお皿に所狭しと並んでいる。初めて食べるあわびも・・・。大きなカニも出てきたが、それまでにもうお腹200%いっぱいになって、誰も箸を伸ばさない。大きな円卓にずらり並んだ料理。ほとんどのお皿に残っている・・・ああ、もったいない・・・。

食事があらかた終わると、注文の主と、そのとなりの人がタバコを吸い始めた。個室でやられたらたまらない。同級生の話は終わることを知らない。私は息子が退屈し始めたのを言い訳に、子ども達を個室の外に出した。もう10時過ぎている。レストランの営業は終了し、他のウエイトレス達は仕事を終えて帰宅し始めている。この個室のウエイトレスは、世話している客が帰らない限り仕事が終われないのだろう、かわいそうになってきた。息子は空っぽのレストランの中を走り回る。

少し夜景が見える。結局夜の街に繰り出すことはできなかった。珍しいものが食べられたけど、ちょっと残念なキモチが残る。ダンナの故郷でも観光できなかった。無理すればできたけど、今回の残念を少し残しておいて、是非また来ましょう、ということにした。何でもやっちゃうと、今度来る理由が減っちゃうから・・・上海もまた来よう。

それからしばらくしてようやくお開き。同級生の一人が自家用車でホテルまで送ってくれると言う。新しいフォルクスワーゲン。いつも乗ってるポンコツガタガタタクシーとは違う。
静かに走るワーゲンの窓から、上海の夜の街をビデオに撮る。また来られますように。


2008年3月(8) また買い物・寝台列車で上海へ

2012-09-17 12:29:56 | 中国へ
寝る前と夜中に熱を下げる風邪薬を飲んだせいか、ダンナは汗をかいて、熱も37度台に下がった。朝ご飯はいらないと言うので、子ども三人連れて、このホテル最後のビュッフェに行く。バイキング形式のビュッフェにやっと慣れたような気がする。初めは興奮してたくさん食べ過ぎたけど、セーブ?できるようになった。飲むヨーグルトがおいしい。(時々厨房からコックさんが出てきて取って行ってしまうのでいつも品薄) 乳製品が手に入るようになったのは大きな変化だなぁ。

部屋に戻ると、もう10時過ぎ、お昼にはチェックアウトなので、大急ぎで片づけを始める。ダンナもだるそうだが起きてきた。どうやら何とか上海行きの列車に乗れそうだ。

義妹(大)のダンナの名前でホテルを予約したので、チェックアウトにもご足労願う。本当に気分よく滞在できた。大きく歴史もあるし、会議場もいくつかある。21日の午前中には、全国の共産党幹部の会議と記者会見があって、テレビのカメラなどがたくさん並んでいたのが見えた。父母宅でテレビニュースを見ていたらその模様が放送されたので、「私達あそこにいたよね〜!」と娘達の喜んだことと言ったら。またいつか来られるかな。いつになるかな。

荷物もたくさんあるので、今度はちゃんと二台のタクシーに分乗して父母宅に向かう。下ろした荷物を階上へ持って上がるのも一苦労。またまた義妹(大)が昼ごはんを用意してくれていた。いつもニコニコ大変なお世話をするこの義妹には本当に頭が下がる。自分もフルタイムで働きながら、自分の両親、ダンナの両親の世話をし、受験生の息子の世話をする。特に実の父母の方は病気がちで、炊事洗濯掃除にも不自由する上に、度々入院したりする。中国の病院は完全看護ではなく、親族が付きっ切りで世話をしなければならない。義妹は、と言っても私よりひとつ年上だが、中年太りしてる暇もないのだろう、13年前と何も変わらないスリムな体型だ。甥っ子の受験が終わったら、ぜひ自分の身体を大事にしてほしいと思う。

料理の中に黄にらの炒め物があった。義父が私の大好物を覚えていて、義妹にこの料理をするように言ったんだそうだ。まさにその通り、私は黄にらが大好きだ。みんながあらかた食事が終わった後で、私はお皿に残った分も全部いただいた。

片づけが終わって、義妹(大)がこれから買い物に出ようと言った。2008年北京オリンピックグッズのお店があるから、そこでお土産を買ったらいいし、地元民御用達の安くていい服屋がある通りがあるから、行ってみようと。買い物好きの娘(大)はもちろん名乗りを上げる。私は、留守宅に気をつけてくれてる近所の人たちにお土産を買いたかったので挙手。そしたら、息子も・・・・。ちょっともくろみ外れた感はあるけど、まあ、仕方ないです。義妹(大・小)と私、長女、息子の五人で出かける。もちろん一台のタクシー。オリンピックグッズの店はデパートの中、この建物の前は懐かしい湖。いろいろ思い出がある。

この日はとても暖かく、デパートの中は蒸し暑くなっていた。中国のデパートで買い物する時は、店員にまずどれがいくつ要るか言う。すると、店員は小さな明細書を書いてくれる。複写になっていて、そのうち2・3枚を持って、店の中にある支払いのブースに行く。この日は、暇だったのか、このブースのお姉さんは私が支払いに行った時船をこいでいた。申し訳ないが、起きてもらう。

一通りぐるっとデパートの中を見てから、歩いてその服屋の通りに向かう。いつもながら、年がら年中人通りが多い。服屋の店員はコミッション制になってるのか、試着室までついて来てしつこいのなんのって。試着した娘に、ああ、これはこっちの方がいいとか、指南までする。「もっと大きいサイズ持ってきて」と言ったら、「これでいいじゃない」と言って動こうとしない。サイズがないのか、なんだろう? そこの店の服は中高生に人気があるんだと義妹(大)が言う。値段は結構高いのだ。一人っ子のほしがるものは、親が自分の物を買わずに我慢してまで買ってやるんだそうだ。まあ、わからんでもない。

次に、エライ安い店に行く。服の質もデザインもまあまあなのに、なんでこんなに安いのか? 地元民だからこそ知っているのだなぁ。娘(大)は喜んでそこで何着か買った。そして、その道沿いに、これまたエライ安い靴屋があり、そこでタータンチェックのかわいいデザインの運動靴みたいなパンプス?を見つけた。しかし、二種類色があって決められないから娘はじーっと考えている。私は「妹の分も買ったら二足買えるでしょ」と言って、結局どっちも買う。でも安い。ウソみたいな値段。

時間も経ったし、そろそろ帰途につく。息子と娘は義妹(大)にアイスクリームを買ってもらって大喜びだ。もう、息子なんてますます義妹にメロメロ。タクシーがなかなかつかまらず、父母宅に着いたらもう夕方近い。
夕飯は近くのレストランで食べようということになっていた。歩いて行けるが、足の不自由な義父のために、また、まだ熱が下がらないダンナのために、一台タクシーを呼んだ。

レストランの入り口にはまたチャイナドレスの従業員がずらり並んで「歓迎光臨!」と大きな声のお出迎え。あの仕事は、立って声かけてるだけでお給料もらえるのかな。予約したのはまた個室。名物料理はトウガラシのきいた辛いのも多いが、他にもおいしいものがたくさんある。広東菜芯の炒め物がとてもおいしい。でも、この野菜はどこでも売ってるものじゃなさそうなのが残念。

食事の最中に義妹(大)の携帯が鳴った。甥っ子からだ。甥っ子は今日も学校で来られない。スピーカーフォーンに切り替える。
「今日はみんなで集まって食事をするのに僕だけいけなくてすみません。とても残念です。」という言葉に始まって、みんなへのあいさつが続く。祖父母を気遣う言葉、もうすぐ列車に乗って行ってしまう私達への別れの言葉、短い時間しか一緒にいられなかったけどすっかり仲良しになっているいとこ達(わが三人の子ども達)へのメッセージなどが続く。
バックには、学校の食堂でざわざわいう雑音が入っている。
なんてよく気がつく子なのだろう。一同ジーンと来る。

ダンナはしゃべるのがつらそうだが、何とかもっている。大丈夫みたいだ。
もうすぐ駅へ向かう時間になるので、今度は3台のタクシーに分乗して父母宅に帰る。
義妹が二人、別々に私の所に来て「泣いたらだめよ、子供達がもっと泣くから」と釘を刺す。私もわかってるけど、なかなか難しいんだよな、これが。
荷物をもう一度確認して、階下へ下ろしていく。暗い階段を気をつけながら下りる。
娘(大)が祖父母にあいさつしている。きっと禁煙して、元気で長生きしてくださいと言いながら、もう目が真っ赤になっているが、必死で涙をこらえている。泣き始めたら止まらないのは私と同じだから、わかっているからがんばってこらえている。父母とはそこで別れた。言いたいことはたくさんあるが、言葉にならない。さみしそうなその姿を見ていられなかった。せめてもの救いは義妹(小)達があと数日残ることだ。

義妹(大)夫婦が見送りに行ってくれることになった。二台のタクシーを呼ぶ。荷物を積んで、乗り込む前に、もう一度レンガ造りのアパートを見上げる。

駅に着いてタクシーの運転手が降ろしてくれたところは、乗車口ではなかった。エスカレーターが壊れていて、そこから階段で荷物を運び上げる羽目になった。この駅は上海南站のように空港みたいじゃないけど、やっぱり入り口でX線に荷物を通さないといけない。またここでも先をあせる乗客が殺到して、子供達が危ない。機械の出口でも自分の荷物を早く取ろうと人が押し合いへし合い。

私達の乗るのは一等寝台なので、待合室が普通の乗客とは別になっている。ベンチじゃなくて、ソファーだ。有料のインターネットサービスもある。まあ、ほんとに時代は変わったなぁ。中国の駅は乗客が勝手にプラットホームに出られない。自分の乗る列車がホームに入って準備完了したら、アナウンスがあって、駅員がゲートを開けて、それから移動になる。一等待合室の客は、一般の客より早くホームに入れてもらえる。息子が義妹に甘えてくっついて遊んでいる間に、程なくアナウンスがあり、ホームに入る。その途中で、一般の待合室の横を通る。多くの人が大きな荷物を持って、ベンチに整列して待っている。
「お母さんがバックパッカーで来た時は、ああやって大勢の人の中で待ったんだよ」
と娘達に言う。だけど、何でわざわざあちらの待合室で待つような旅をしなければならなかったのか、それが理解できないようだった。そんな旅をしたいと思わないようだ。

いつもながら、列車に乗るのは大興奮。写真をたくさん撮る。
でも、今回は義妹夫婦との別れが待っている。列車はゆっくりゆっくりホームを離れるから、別れが余計つらくなるものだ。
一等寝台は四人でひとつのコンパートメントだ。ドアを締め切れるし、カギもかけられる。まだ出発まで時間があるので、義妹夫婦も一緒に乗り込む。
本当は帰りも【和諧号】で帰ろうかと言っていたけど、それだと日中の5時間も移動に使うことになる。寝台なら夜乗って早朝着くので、その方が良い。それに、寝台に乗るなんて経験は子供達にもなかなかできるものではない。来る時は、高速で走り抜けてしまった列車にちょっと不満が残ったので、寝台に乗れたのは大正解だった。
列車の中のベッドを見て、子ども達は目を輝かせ、特に息子は上ったり下りたり忙しい。これも良かった。つらい別れが少しは薄まる。義妹夫婦は、まだ発車まで時間があるのにもう帰ると言う。また私に「泣いたらだめよ」とささやいた。娘達の目は涙でいっぱいだ。発車してからホームで手を振られるより、この方が良かったと思う。

明日朝6時には上海南站に到着だ。もう夜十時前、遊んでいる暇はない。早く寝ないと。ダンナにまたお薬。発車してしばらくして、ゆれが気持ちいいのか、息子はあっという間に寝息を立て始めた。娘達はちょっと寝返りを打ったりしていたが、程なく眠った。私は、と言えば、寝るどころではない。窓のカーテンを少し開けて、車窓の夜景を眺め、ガタンゴトン、ガタンゴトン、という音を楽しんだ。でも、やっぱり寝ないと。それなのに、横になろうにも、先に寝てしまった息子がスペースとりすぎで、どう横になっても具合が悪い。むむむ、仕方ない、息子と互い違いに横になる。なかなか寝付けなかった。たぶん寝台のせいだけじゃなく。


2008年3月(7) 晴れの日・金婚式のお祝い

2012-09-17 12:28:18 | 中国へ
今日は晴れの金婚式のお祝いの日。お昼前から宴会に入る。
朝はまたホテルのビュッフェに行く。この前も話しかけてきた女性コックさん、今日も息子の所に来て「毎日お父さんお母さんと一緒にいられていいね、保育園に行かなくていいね」と話しかける。同じ年の息子さんを保育園に預けて働いているとか。中国は共働きがほとんどだ。子どもは日中親と離れている。ここでも「なんで子どもが三人???」視線にさらされっぱなし、しかし面と向かって聞いてきた人は、あの福建のお姉さん以外にはない。

昨日熱さましを飲んで寝たせいか、何とか体がもっているダンナは一足先に義妹(大)のだんなと一緒に宴会会場のレストランに行く。ホテルのすぐ近くだ。当代流行のレストランらしい。
ダンナの両親と、母方の祖母、そして上海のいとこ兄弟のお姉さん(私は初対面)がホテルの部屋で時間まで待つことになった。
祖母、つまり義母の母は生母ではない。しかし、本当の母娘のように仲が良い。ダンナはこの祖母と、もう亡くなってしまった祖父に育てられた。祖母は私を見るなり話しかけてきた。言葉は地方なまりが強いが、私には何が言いたいかよくわかる。ダンナを助けて、息子も産んでくれて、ここまで会いに来てくれて、本当に感謝していると言った。(中国では家族間でありがとうと言うことはめったにないが。) 私のことを、本当にえらいとほめてくれた。話しているうちに、先年なくなった大叔父(祖母の実の長男)の話になり、祖母は涙を流し始めた。年をとって、今は老人ホームにいて、会いたい子どもにもなかなか会えないし、からだもつらいし・・・話が悲しい方向にばかり行く。私を抱きしめて、オイオイ泣き出した。そこへ上海のお姉さんが来て「今日はうれしい日なんだから、つらい過去の話しちゃだめ。こんなかわいいひ孫達が遠くから会いに来てくれて、喜ばなきゃ」と話しつつ、お姉さんも泣いている。人に会って、こんなに魂を揺り動かされるようなことはめったにない。でも、このとき、私の心はどーっと何かが流れ込んでくるような感じだった。

時間が来て、レストランに歩いて行った。息子はいつもニコニコやさしい義妹(大)が大好き。人見知りが激しくて困るくらいな息子だが、もうすっかりなついていて、レストランに行く間ずっと手をつないでいる。

レストランには入り口にたくさん若いウエイトレスが並んで立っていて、大きな声で「歓迎光臨〜!(いらっしゃいませ)」とあいさつされる。昔の中国では絶対になかったことだ。すぐそこには巨大な水槽が天井までつながっていて、中に大きな金魚?がたくさん泳いでいて度肝を抜かれる。階段を上がっていくと、予約したのは個室。最近の流行だそうだ。個室に専属のウエイトレスがいて、小さなキッチンも、トイレもある。

個室の中には、お祝いの気分を盛り上げる文字が貼られていた。赤い紙に黒い墨で大きく書かれた「福」の字。その両脇には、みんなが集まったこと、金婚式のお祝いのことが書かれている。今日の主役の両親はおろしたての中国服を来て、その文字の前に座っている。
私達が一番最後だった。みんなそろっている。全部で20人。13年ぶりに会う親戚達に声をかけられる。こんな遠くまで大変だったね、三人の子どもを自分で育てるのは大変だね、などと言ってくれる。今日は甥っ子も特別にこの時間だけ補習を抜けて来た。
ダンナは、今ではめったに着ることのないスーツを着て、娘に「かっこいいよ〜、お父さん!」と言われている。私は一生懸命写真とビデオを撮った。

ダンナが乾杯の音頭を取った。少しあいさつもする。なんだか晴れの舞台って感じ。
それこそ、今度こんなに人が集まれるのはいつのことだろう。集まっているときは当たり前のようだが、よく考えてみると、本当に容易ではない。
主役の義父もあいさつする。顔が輝いている。心から嬉しそうだ。次に立った上海のお姉さんは、もと教師だけあってあいさつがうまい。
料理がどんどん運ばれてくる。話が弾む。ビール瓶を持ってついでまわる人もいる。あちこちで盛り上がる。

食事のあとは、お祝いの文字をバックに記念撮影。義妹(大)のダンナは写真がプロ級なので、機材もそろって、お任せだ。今はデジタルの時代なので、ちゃんと撮れたか、チェックもできる。みんな、どんな風に撮れたか気になって覗き込む。全員で撮ったり、祖父母と孫だけ撮ったり、三兄妹だけで撮ったり、わいわい大騒ぎ。

そのあとはだんだんお開きになる。
甥っ子もまた学校に戻っていった。私達一人一人にちゃんとあいさつをした。私は「自分の将来は明るいと信じて前を向いて歩いて行って」と言った。甥っ子は「努力して、海を渡ります。父母もつれて出ます」と言った。私の目をまっすぐに見て。望む大学に入れますように、心から強く強く祈っている。

ホテルに帰って休む。クルマ待ちで、一部親戚が一緒にホテルの部屋に来る。親戚が帰って行ったあと、ダンナは相当疲れているようで、クスリを飲んで横になる。よく今日一日、大事な役目を果たせてよかったなと思う、ほんとにほっとした。

夕方になって義妹(大)夫婦が来た。昼に宴会で食べ過ぎてお腹がすかないだろうと、軽い晩ご飯に肉まんを少しとおかゆを持ってきてくれた。それから、私達が何も観光をしていないので、中国共産党革命関係の広場に行ってみよう、夜もキレイだから、と言って、出かけることになった。ホテルから歩いて行ける。広大な広場は繁華街にも近いから、いつも人がいっぱいだ。特に暑い夏の夜には涼みがてら多くの人が来る。娘が私に聞く「今日はお祭りか何かなの? なんで人がこんなにいっぱい?」いえいえ、普段からこんなに人が多いのだ。ぶらぶらと見て歩く。風船売りが出ていて、息子が義妹にねだって買ってもらった。

百貨店にも入る。服を選んでいると、必ず店員が声をかけてくる。決まり文句がある。
「そこの美女、試してみない?」「美女、どんな色がいいの?」
誰でも彼でも美女なのだ。私も美女、アナタも美女。笑ってしまった。ほんとに美女に会ったらなんていうんだろう?

明日の夜はまた列車に乗って、今度は寝台列車に乗って上海に戻る。
なんだか名残惜しい。今度ここに来られるのは、今度義妹(大)達に、父母に会いに来られるのはいつだろう。ライトアップされた広場を写真に撮りながら、さみしい思いにとらわれていた。

カップラーメンが食べたいと娘が言う。明日の列車に持ち込むジュースやお菓子がほしいとも言う。それでウォルマートへ行った。ウォルマートはうちの近くにもある。変な感じ。
エスカレーターを降りて地下へ行く。のぼりのエスカレーターとくだりのエスカレーターの間の隙間にいっぱい商品が並べてある。価格も表示してある。エスカレーターに乗った客がそこから気に入った商品を取って買うのだろうか? でも、危なくない? それに、下のほうの商品には手が届かない・・・。不思議なことするなぁ。

買い物終わって、またぶらぶら歩いてホテルに帰る。至近距離だからすぐだ。ホテルのロビーで義妹夫婦にさよなら。明日また父母の家で会うことになった。

部屋に戻ってみると、ダンナは元気がない。測ってみると熱が高くなっている。夜風に当たったのが良くなかったんだ。スーツケースに荷物を詰めながら、明日ほんとに列車に乗って上海に戻れるのかと不安になった。




2008年3月(5) いよいよ父母と会う

2012-09-17 12:25:14 | 中国へ
時差はまだあるから、夜中に目が覚める。二度寝すると、今度は外を通る車の音で目が覚めた。ホテルは大きな通りに面している。窓の外見下ろすと、そこは大学付属病院の玄関だ。診察に訪れる人、救急車、その他の車が忙しく出入りしている。

朝必ずぐずぐずする子供達をせきたて、ホテルのビュッフェへ行く。チャイナドレスを着たお姉さんが入り口で人数を聞く。上海のホテルと同じく、一部屋につき一人だけが無料で、あとは有料だ。
いつも朝食ビュッフェ終了間際に行くから、食べ物の種類が少なくなってる。それでも、上海のホテルと比べて格段に豊富。少しケーキのようなものもあるし、ヨーグルトもある。ケンタッキーフライドチキンとか、ポテトフライもあれば、伝統的中国の朝ご飯(おかゆとか油条とか)もある。この街の名物・炒米粉(太めのビーフン)もあってうれしくなる。

朝ご飯を楽しんだ後、義妹(大)のダンナが迎えに来てくれた。タクシーでいよいよダンナの両親宅へ向かうのだ。
その前に、ショッピング好きな娘(大)のために、ホテルのすぐとなりにあるデパートへ見に行くことになった。外は肌寒い。
以前のデパートとは違って、品物が手に取れるようになっている。前は、品物はみんなカウンターの奥にあって、店員にいちいち頼んで取ってもらわないと見ることができなかった。
服を見たが、めちゃくちゃ高い!! 日本より高い。なんじゃそら! 私にしたら、日本より高いものを中国で買うなんてありえない。ぐるっと見ただけで外に出る。義妹(大)のダンナによれば、もっと安い店があるということだけど。

さあ、タクシーに乗って両親宅へ。大人三人、十代二人、3歳児一人、普通のタクシーに乗った。(ここでギモンをはさんではいけない)
「どこにいるの? まだなの?」
と電話がかかってくる。お昼ごはんを用意して待っているのだ。ドキドキしてきた。どんどん近づく。前には店がなかったところに所狭しと店が並んでいるほかは、それほど変化ない。タクシーを降りて、レンガ造りのアパートの懐かしい階段を上がっていく。
ドアが開くと、どっと歓声が沸く。
名前を呼ぶ声、久しぶり、どうだったこうだった、めいめいが話す声が聞こえる。義妹(小)の家族は早くに到着していた。料理もほぼ出来上がっていた。テーブルの上に大きな丸い板を載せた、来客用の臨時円卓にはもうこれ以上載せるスペースがないくらいに料理が並んでいる。
みんな義妹(大)が作ったものだ。エプロンをつけた義妹が満面に笑みをたたえて台所から出てくる。20年近く、ダンナと妹二人、兄妹三人がこうやってそろったことはない。高3の甥っ子は学校の関係で来られなかったけど、遠いところから孫達も来て、父母にとってこれほどうれしいことはないだろう。私も三人の子どもを持ち、その気持ちがよくわかる。
皆が口々にしゃべっているのを、父母はニコニコして聴いている。義妹(大)は料理がうまい。誰もが喜んで食べている。皆の好物をよく覚えていて、作ってくれるのだ。

あらかた食べ終わって、席を立つ人もあり、片づける人もあり、好きなことを始めた。そう、私は思い立って、古いアルバムを出してもらう。おじいさんおばあさんの若い頃の写真とか、お父さんの子どもの頃の写真など、もし娘達に見せたら面白いだろうなと思ったからだ。
昔の中国では、今のように気軽に写真を撮ることはなかった。写真館で撮ったり、特別な時に撮影したりって感じだった。だから、そんなにたくさんはない。
そのアルバムで思いがけなく見つけたのは、ダンナが大学生か大学院生の時の、すでに少し変色した写真。芝生の上に横になって、上体を少し起こし、片肘をついて手はあごに。ポーズを決めているやつだ! 今はどうか知らないが、中国では写真撮る時にポーズ決める人が多い。今ここに住んでいても、時々ポーズを決めて写真撮ってる中国人に会う。
まあ、マジメにポーズ決めて写真におさまってるお父さんを見て、娘達の笑ったこと笑ったこと。上の娘などはナミダをぽろぽろ流している。お腹が痛いといいながらまだ笑っている。他の写真も十分面白いらしい。ダンナが「同級生がこうやって撮れって言うから撮っただけ」なんて言い訳してるけど、爆笑中の娘には聞こえない。
笑い声を聞いて、みんな何事かと思ってその部屋に入ってきた。笑った理由を聞いて、その写真を見て、またみんな笑う。娘達がまた笑う。笑いのウェーブがあふれる。

義妹(小)の家族がホテルのプールに行くと言って帰った。義妹(大)夫婦も、息子が帰宅するので帰った。そんな時、私たちまで去ってしまうと、父母がさみしかろうと思い、私たちは残って夕飯も父母宅で食べることにした。

娘達は、本棚からお父さん(ダンナ)が若い頃買った洋書(読んだかどうかはここでは追究しない)を見つけて読み始めた。二人とも私と同じく活字中毒だ。
揚子江以南の中国のうちには暖房がついていない。この日も底冷えがした。持ってきたジャケットなど全部着込んだ。
ここからは静かな時間だ。もうボケが始まっている義母は、ゴムひももって行け、とかこの袋やるから、と言ってベッドの上に広げたが、何分も経たぬ間にまた全部しまい始めた。
ご飯の前にまたみんなで写真を撮った。
夕飯を食べ、片付け終わると、私達は父母宅を後にした。本当は一緒にホテルに泊まるように部屋をひとつ予約してあったのだが、上海で会ったいとこ兄弟のお姉さんが明日訪ねてくるので、父母は家に残った。
タクシーでホテルに帰る。私は手洗いで洗濯物を片付け、子ども達はテレビを見たりシャワーしたり本読んだり、少しリラックスして、大興奮の一日を終えた。


2008年3月(6) 義妹(大)宅へ

2012-09-17 12:25:14 | 中国へ
昨日書き忘れたが、長女と二女は中国の祖父母に会ったことがある。長女は一歳と二歳の時祖父母の家に行ったことがある。二女は祖父母がこちらに訪ねて来た時に会ったことがある。三年前に生まれたばかりの息子は当然会ったことは一度もない。
ダンナは三人兄妹で、一人息子だ。息子も三人姉弟、一人息子だ。
今は一人っ子政策で、そんなこと言ってられないが、中国ではその家に男の子が生まれるかどうかは一大事だ。男の子が一人も生まれなければ、その家系が終わってしまうからだ。ダンナも兄弟があればリスク分散だが、自分が一人息子な以上、責任は自分ひとりにかかってくる。だから、二人の娘のあと、長い年月を経てやっと息子が生まれたということは、皆にとって喜びであり、安心でもある。
そんな祖父母と内孫の初対面は、今回の感動のメインイベントのひとつであると言える。
まあ、つまり、元気なうちに祖父母に息子を会わせるというそのためにわざわざ来たようなものなのだ。

もうひとつのメインイベントは、ダンナの両親の金婚式の祝いだ。
23日にレストランを予約して、地元在住の親戚を招待して宴会をすることになっている。
20日の夜到着してから、みな顔を合わせるたびに、段取りの打ち合わせに忙しい。いつものことだけど、くわしいことは事前に何も決めていないのだ。背景にどんな字を貼るとか誰に字を書いてもらうとか、なんだかんだ相談していた。偶然だがこのタイミングで父母を訪ねている上海のいとこ兄弟のお姉さんも、宴席に出てくれることになった。

朝またホテルのビュッフェで食べてから、タクシーを捕まえて、義妹(大)の家に行く。
まだ行った事はないが、うわさではとてもキレイだそうだ。前も書いたが、中国の家は売り渡す時に内装仕上げをしていない。だから、各自で好きなように手配して内装するのだ。どんな風に仕上がってどんな風に暮らしているのか、見るのが楽しみ。
両親の家より新しいアパート、階段を上がってドアが開くと、そこには明るい茶色で家具やドアが統一された、美しい部屋が待っていた。清潔で、フローリングの床も輝くばかり。インテリアだけではない、収納をよく考えて作られているので、物が全く散らかってない。ベランダも部屋のように作り変え、広々とした感じがとてもいい。すっかり感心してしまった。

義妹(大)は、昨日のように、またたくさんのおいしい料理を作ってくれていた。今日も甥っ子は学校に行っていたが、お昼に父兄懇談があるので、一時家に帰れるそうだ。4歳の時に会ったのが最後で、写真は見ていたが、どんな若者に成長したか会うのが待ち遠しい。

中国の受験戦争は日本のよりはるかにはるかに厳しい。土日も休みなし、朝早く学校に行き、昼も学食、夜も学食、補習に試験に、帰宅は夜遅く、それから宿題予習・・・寝る時間も何も十分取れないそうだ。甥っ子は高3で、6月初めには統一試験が待っている。複雑な制度になっていて、先が不透明だ。どの大学にいけるのか戦々恐々。義妹(大)は心配しすぎてすっかり胃を悪くした上に、不眠症で悩んでいる。

しかし、今日は私達家族、義妹(小)の家族(お姑さんは一人でツアーに出かけて不在)が集まったうれしい日。今度三兄妹が一堂に会するのはいつの日か、子どもたちまでみんな集合となれば、ますます難しいのだ。時々こんな風にみんなで集まれたらどんなにいいかなぁと、義妹(大)のダンナが言う。料理をテーブルいっぱいに並べて、乾杯して、わいわい冗談を言いながら、箸を動かす。みんな心のこもった料理だ。

そのうち、突然義妹(大)が立ち上がり、
「あ、息子が帰って来た!」
と言う。何も聞こえないけど?とみんな首をかしげる。
「いつもなぜか直感がはたらくのよ」
とニコニコしている義妹。二分後、ピンポーン、ドアを開けると甥っ子。まあ、体格の良い青年がそこに立っている。ひげを生やして、めがねをかけて。ニコニコと笑いながらみんなに明るくあいさつをする。その場がもっと明るくなった。小さい頃から漫才をしていただけあって、話術が素晴らしい。何を言われてもうまく切り返して笑いを取る。

息子も姪っ子(7歳)もすっかりこの甥っ子のとりこ。ベランダで仲良く遊び始めた。そのうち、義妹(大)のダンナは息子の学校の父兄懇談に出かけ、その他は有志を募ってぶらぶらショッピングに行くという話になった。わが息子が行かないので私は留守番になった。二女は甥っ子の英語教材(世界の名作文学集)を借りて読みふける。穏やかな午後、甥っ子ももちろん一人っ子、おまけに受験生、こんな風に時間が流れることは一年に何度もないだろう。

義妹(大)のダンナは撮影がシュミで、腕もプロ級だ。各地出張に行った時に撮った写真を見せてもらう。そのあと、服を買ってもらって大満足の長女、みんなが戻ってきて、夕飯になる。この日一日、とても和やかで平和で、みんなニコニコとうれしい日だった。
またタクシーに乗って、ホテルに帰る。

ダンナの調子が変だ。のどが痛いと言っていたが、測ってみると微熱がある。明日がいよいよ最高潮のイベントだと言うのに。何とかもってくれ〜と祈るような気持ち。




2008年3月(4) 上海で観光・いよいよダンナの故郷へ

2012-09-17 12:23:59 | 中国へ
午後の列車でいよいよダンナの故郷に向かう。
本当なら、正午にチェックアウトしないといけないが、長く泊まっているし、また上海に戻ってきたら泊まるので、特別に二時まで延長してもらう。それまでの時間、朝ご飯を食べないで豫園に行って、かの有名な南翔小籠包を食べようということになった。
豫園はホテルからそんなに遠くないのに、渋滞でエライ時間がかかった。

豫園は懐かしいところ。学生時代も中国で仕事してた時も何度か来た。入り口は、いかにも中国らしい、観光客なら間違いなく写真に収めたくなるような瓦葺の建物が並ぶ豫園商場。小さな店がずらりと軒を並べている。500年の歴史があるという。今はもう絶滅したブリキのおもちゃや、古きよき中国グッズを喜んで買ったものだ。しかし、今の中国にそんなノスタルジーを持つのはやめた方がいい。相変わらずおみやげ物屋は並んでいるけれど、その先にはファーストフードチェーン店・スタバ・ハーゲンダッツ何でも来い! 風景に全くマッチしてない。

娘達は「中国に来て初めて観光してるね♪」とはしゃいでいる。それはそうだ。

お腹がすいた〜の合唱とともに、小籠包の店へと急ぐ。朝10時ですでに大行列。何時間待ったら食べられるんだろう? それはテイクアウトの店。
階段を上がって2階へ。ほぼ満席。ちなみに3階もあるが、上に行くほど高くなる。
食券を買って座る。部屋の奥のほう。ちょっといやな予感が・・・そう、小籠包はどうやら食券を買った順番じゃなくて、部屋の入り口から配られていくのだ。だから、小籠包が蒸しあがってカートに載せられて来ても、入り口の方ですぐに配り終わってしまう、だから、奥に座ってる私達の方には来ない。

そのうち、立って待つ人が現れ始めた。席がないのだ。
中国式、込んだレストランでの空席の待ち方はこうだ。もうすぐ食べ終わりそうだな、という感じの人のめぼしをつける。そして、その食べている人の後ろにぴったりとくっついたまま立って待つ。食べている人をじーっと見ながら・・・。はい、それをやられました。おまけに、5人で座ってもういっぱいいっぱいのテーブルに、椅子を持ってきて私達の隙間に座る姉妹まで現れた。

この姉妹は福建からツアーで来たそうな。お姉さんのほうは、生後3ヶ月の赤ちゃんを抱いている。パワーあるな〜。はじめは私達のことを観察してたんだけど、我慢できなくなってついに口を開いた。
「どうして子どもが三人もいるの?」
「上海の人なの?」
「上海では子ども三人産んでもいいの?」
もう立て続け。中国に来てからどこでもこのテの視線を感じてきたが、ズバッと聞いてきたのはこのお姉さんが初めてだ。

そうしているうちに、アツアツのスープがいっぱいつまった小籠包がやってきた。もう周りには空席待ちの人がいっぱい立ってこっちをじーっと見ている。なんだか、ゆっくり味わうこともできず、ちょっと急いで食べる。懐かしい味。うれしい。

外に出ると、池がある。池にはくねくね折れ曲がった橋が架かっていて、そこを歩いていく。周りの建物を背景に写真を撮りたい人、池の鯉を眺める人、ツアーの旅行客、写真撮影の屋台を出している人、いつでも橋の上は人で大混雑。でも、きっちり写真を撮る。

屋台がたくさん出てる中で、「亀を池に放そう」というのがあって面白い。もちろんお金を払って池に亀を放すのだ。しかし、よく見ていると、池の中に亀を捕まえるおじさんがいる。そう、お客さんはお金を払って亀を放す、しばらくしておじさんがそれを捕まえてくる、そして、また違うお客がお金を払ってその亀を放すのだ。なんのこっちゃ。

庭園を鑑賞している時間がないので、商場へ買い物に行く。子ども達は、自分の名前を印鑑に彫ってもらうことにした。私は大好きな無錫泥人形を見つけて大喜び。以前のようにたくさん種類がないが、それでもうれしい。こんな手工芸は儲けにならないから廃れる一方だろうな。
娘が「上海」と大書きされたTシャツがほしいと言ってさがし始めた。
あるにはある、しかし値段が法外だ。こんなところは相場を知らない、そして買い物を急ぐ外国人を簡単にだます値段がついている。ダンナが交渉を始めたが、相手は慣れたもの。しまいに、
「あんたねぇ、何言ってんのよ、私が物の道理を教えてやるよ」などと発言。ダンナはキレた。娘は驚いて制止しようとしたが、火に油。私はとっとと避難した。
もう、その後も、あちこちで無礼で強力に売りつけようとするおばチャン続出で、ダンナの火はおさまらない。早くホテルに帰ることにした。

帰る時に乗ったタクシーの運ちゃんはうまくハイウェイを走って、あっという間にホテルに着く。朝のタクシーは何だったんだ?

緊急事態発生。トイレ!トイレ!と叫ぶ息子を抱いて部屋に帰ってみると、部屋がロックされてて入れない。私はそんなにうまく事が運ぶわけないと思ったんだよね。思ったとおりだった。おかげで、息子のトイレは間に合わず大失敗! フロントに文句を言ってやっと開けてもらう。

要らない荷物をフロントに預けて、タクシーつかまえて、いざ鉄道の駅へ!
新しく建てた駅だから、私はもちろん初めて。
NHKの「関口知宏の中国鉄道大紀行」で見たけど。息子も私も、あの番組のファン。もうすぐ列車に乗るということで、息子は「中国鉄道大紀行!」と大騒ぎだ。

駅までまた渋滞。上海の街中を通っていく。本当にあちこち変わったものだな。ふと地名を見かけても、過去の記憶と一致しないほどだ。相変わらず空気が汚い。変な話だけど、鼻の穴が詰まっていく。白い服がずず黒くなる。呼吸が苦しい。肺の中にごみがたくさんたまるような気がする。

タクシーは上海南站に近づく。ドーム球場みたいだ。あれが汽車の駅? 
中に入ると、新しい空港みたいだ。線路は全く見えない。思わず写真を取りまくる。
飛行機に乗る前みたいに、荷物をX線検査の機械に通さないといけない。あせる人たちが横入りしてきて、ぎゅうぎゅう押してきたり、荷物ぶつかったりして危ないことこの上ない。
空港みたいなところで、どこから列車に乗るんだろうな〜と思いながらも、心はハッピー。私も鉄道大好き、列車に乗ってれば幸せな人だもの、心躍る。
歩いていると、声をかけられた。んん? 見ると、同じく故郷へ向かうダンナの妹夫婦と、姪っ子と、義妹のダンナのお母さん。うひゃ〜、こんなところで知ってる人に会うのはびっくり。

スロープを降り、階段を降り、やっとホームへ着く。真新しい列車だ。新幹線の技術を導入した高速列車。以前は20時間以上寝台に揺られた旅程を5時間で走り抜ける。名前は【和諧号】。和諧というのは、調和が取れて和やかってこと。今の中国は貧富の差が激しくて不満を持つ人もあるし、いろいろモンダイあるので、指導部がこのコトバを好んで使うそうだ。
この列車は完全禁煙。これは中国の人にとってつらいこと。昔中国で列車に乗ると、あちこちで煙突立ってたもの・・・タバコ勧めあって吸うから空気が白かった。出発前に、みんな吸いだめ。おかげでホームから煙が入ってくる。

【和諧号】が軽やかに走り出す。ダンナが張り込んでファーストクラスを買ってくれたので、一両に16人分しか席がなくゆったり。(運転席のある車両だったから余計座席が少ない)
車窓の風景に、躍り上がらんばかりに喜ぶ私。また中国で列車に乗れるなんて、うれしくてうれしくて。上海郊外は日本の有名企業もたくさん工場を建てていて、時々日本の風景かと錯覚。
農村部の風景が懐かしい。
ファーストクラスなので、ミネラルウォーターのサービス。なんとチベットの氷河の水だそうな。
スチュワーデスさんみたいな制服の、美しい女性列車員が各車両についている。
しばらくするとアナウンス。
「○号車のトイレの中で喫煙中の人、すぐに出てきなさい」
これが何度もあった。罰金らしい。やっぱり我慢できないよね。4回しか停車しないが、新幹線のように一分しか停車しないので、タバコを吸う時間がないじゃないか、と列車員に食って掛かる人も。
この車両にはコンセントがついていて、電源が取れるので、パソコンで遊ぶ人、音楽をかける人、うるさい。ここならではなんだけど。
列車の時速は200キロを超えたりしている。外が暗くなると風景は見えない。日本のように明るい電灯がついたりしてないので。夕方五時ごろ車内販売のまずくて辛い弁当を少し食べる。昼ごはんを食べる時間がなくて、お菓子ばかり食べていた。娘が、
「これは中国に来て初めて食べるご飯(米飯)だねえ」と言う。全くその通り。

いよいよ、ダンナの故郷に到着。夜8時前、もう真っ暗。
ダンナの妹(大きいほう)夫婦がホームまで迎えに来てくれていた。13年ぶりだ、声が高ぶる。出口に向かって歩きながら、わーわーと大声で話す。
この駅も新しい。手配してくれたバンでホテルに向かう。小さい方の妹家族を先に違うホテルに下ろして、私達はその街で一番古くて格式あるホテルに。ダンナが、めったに中国に来ない私達のために選んだ。もうひとつの理由は、5人が一部屋に泊まれるホテルは限られているのだ。
昔々に泊まった大きなホテルのように、門から入ると大きな庭があって、車寄せがある。中もゆったりしていて、中国らしさがある。部屋もバスルームも大きい。天井も高い。
積もる話はまた明日、ということにして、早く休むことに。ああ、やっとここまで来た。




2008年3月(3) 節約の精神

2012-09-17 12:22:39 | 中国へ
朝はダンナと息子だけビュッフェに行き、そのあと5人で、今度は南京路の伊勢丹の地下に食べに行った。日本で言えばデパ地下、期待したけど、そんなんじゃなくて、スーパーが一軒、あとはパン屋とフードコートだった。
スーパーで飲み物を買い、パンやら香港式点心やら買って食べる。
娘(大)がお待ちかね、上海のコカコーラを試し、まるで日本の焼きたてパン屋さんみたいなお店でアンパンマンの顔になったあんぱんを買い、それはそれで面白かった。

伊勢丹のビルのつくりは、中心が空洞になっていて、周りにぐるりと店が取り囲んでいる。それが何階も積み重なっているので、下から見ると圧倒される。
超高級ブランドの店に入っては、お値段を見て「ほぉ〜〜〜ぉ」と声を上げて出てくる。娘(大)は楽しんでいるが、その他4人はすぐに飽きる。
オフィスビルもあるらしく、外国のビジネスマンがたくさん出入りしている。

昼ごはんは、ダンナの父方のいとこ(40代半ば)の家へ、地下鉄を乗り継いでいく。
新しく開発された住宅地は、川の下のトンネルを通って向こう岸。
「お母さんが住んでいた頃はね、川の向こう岸は一面原っぱで何もなかったけどね」と言っても、「むかしむかし・・・」のお話でまるで説得力なし。
昔からありましたよ、みたいな顔で高層ビルが立ち並んでいる。

お腹の調子最悪の私は、いとこの奥さんが大きな丸いテーブルいっぱいに並べてくれた料理を楽しめない。
皆して、私があんまり変わっていないと言う。お世辞を差し引いてもやっぱり少しうれしい。
招待してくれたいとこの兄夫婦も来ていたが、その兄さんときたら、わが二人の娘を見比べて、「姉ちゃんの方がきれいだなあ、妹の方はいまいち」などと訳わからんことを言い出す。娘が気にしなければよいが・・・と思いやきもき。

この兄弟と父母は10数年前までは上海の中心部のにぎやかな地区に住んでいたが、再開発で立ち退きとなり、この新しい住宅地に移住した。
中心部では、古い洋館の部屋ひとつずつに一家族が住み、トイレも台所も共用、夜はトイレにいけないから「しびん」で用を足し、朝になってそのしびんを洗うのはおばあさんの仕事と言われ、中国のほかの地方の人に「上海人はトイレもない」と揶揄されたもの。
いまや、新開発の住宅地は。世帯ごとにトイレシャワーのある生活だ。
しかし、この弟は、にぎやかな昔の生活が懐かしい、こちらはさびしいと言う。

この人は、若い頃からほとんど働いたことがなく、個人の株売買で財を成した。
でも、人生は節約だと言う。兄の方も株で相当儲けたが、貯金がシュミだ。
そんなに貯めたお金をどうするのだろう、とギモンに思うのは私だけ?

ゆっくりご飯を食べて、夕方になった。
この兄弟の両親、つまりダンナのおじおば(90代間近)の家にあいさつに行く。歩いてすぐの距離だ。その家は、兄の方の所有物。兄夫婦の息子(大学生)が将来結婚したら住むようにと買ったもの。
中国の家は買ったときに内装仕上げがしていないので、購入後自分で手配するのだが、将来の若夫婦のものなので、いまだ内装仕上げしないまま両親を住まわせている。それで、コンクリートむき出しになってるし、ダンボールも積み上げてある。
あとになってホテルに戻ってから、娘(大)が泣き出す。
「あんなところに自分の親、それもあんな高齢者を住ませるなんて・・・」と。
ショックだったと。
年老いた親(おじおば)は何も恨んだりしてないと思う。だけど、娘には、上海人の節約の精神はもっと不可解だろうなぁ。

ホテルに戻って、しばらく休んでから、夜、また地下鉄で川底を渡り、向こう岸のスーパーブランドモールへ。ホテルの最寄りの駅から3駅目。
すぐ横には、上海の新しいランドマーク、東方明珠(オリエンタルパールタワー)がきらきら輝いている。

ウィンドーショッピングにしばらく付き合ってみたものの、元気の在庫切れ。眠ってしまった息子、ベンチに座ってうとうとする娘(小)と一緒に、娘(大)とダンナが買い物終えるのをボーっと待っていた。
女の子同士手をつないだり、腕組んだりして歩いてるのが多い。以前と変わらない、ちょっとフシギな光景だなあ。
カップルで来て、女の子にねだられて高級ブランド品を買ったり、女の子が試着するのに辛抱強く付き合う男性が多い。大変そうだなあ。
一人っ子政策になり、ひとりしか産めないとなると、故意に男の子を産もうとする夫婦が多くなり、若い男女の人口バランスはくずれ、男性の方が多くなっている。そうなると、女性の売り手市場! だから、女性をひきつけようと思ったら、高級ブランドモールで女性を喜ばせる経済力が必要になるのだろうな〜。

閉店間際になって、日本から進出しているラーメン屋でラーメンを食べる。ダイエットしているダンナはビールのみ。息子は眠ったまま。

閉店は10時。外に出るとタクシー客待ちの列。
ためしに聞いてみると「メーター倒さず現金で100元以上でないと行かないよ」と言う。ぼったくりだ!上海のタクシーは初乗りが11元、そのあとは1キロ当たり2.10元。空港から延々2時間近く乗っても150元だったのに。
腹を立てて地下鉄で帰る。たった3駅の距離。キップは一人当たり3元、合計12元。200円にもならない。

夜十時を過ぎても、上海にあふれる人波は絶えることなし。




2008年3月(2) 段取りの悪さサイテー

2012-09-17 12:19:23 | 中国へ
前日は晩御飯を食べに出る元気がなく、近くの麺や点心を売る、昔ながらのお店で少し買ってきてもらってホテルの部屋で食べる。
これが中国上陸1回目のご飯。
味つきの麺だから、お湯かけて食べろといわれたそうで、お湯を沸かす。味はまあまあだけど、油がすごい。お湯の表面に浮いてくる。上に乗せる野菜は、あっさりしておいしい。別々に食べた。

以前なら、ホテルの部屋には、アツアツのお湯が入ってて、コルク栓をする古式の大きなマホービンがおいてあったけど、今は電気湯沸かし器になってる。お湯のおかわりのために従業員をいちいち呼ぶような、のどかな時代は終わったんだなあ。

中国の水は、そのままなまでは飲めないから、必ず沸かして飲む。湯沸しから出る湯気のにおいが懐かしい。思わず少しだけカップに入れて飲んでみる。
ああ、この味、ちょっと生臭い川魚のようなにおい。
上海の水だ〜。変わってない。
子ども達は嫌がってミネラルウォーターのビンに手を伸ばす。
お茶をいれても、コーヒーにしても、このにおいがついてくる。
「上海で作ったコカコーラにもこのにおいがあるよ」
と言うと、娘は興味津々。

ホテルは南京路という、上海でも指折りの繁華街で観光スポットにもなっている道から少しだけ入ったところにあるから、行きかう車のクラクションが夜中でもよく聞こえた。

朝は、ホテルのビュッフェの朝食を試す。
一部屋につき一人分だけ無料券が出る。あとは一人700円くらいかかる。中華式の上、食べ物の種類が少なく、おいしくないと言って文句たらたらの子ども達。上海式焼きそば(麺が太い)ばかり食べている。

そうしていると、レストランの一角で歓声が。
何と野良ネコの闖入。
従業員が空きダンボール箱を持って追いかけ回している。ネコが追い詰められて、素直に空き箱に入ったりするかい?
しまいには厨房に入って行き、御用。
外にほり出されてしまった。

その後、ダンナは出張の用を片づけに行き、私が三人の子どもをつれて、南京路をぶらぶらすることになった。
ところが、膀胱炎の治療で飲んだ抗生剤の副作用で、お腹がゆるい。歩くと余計にたよりない。不安でウィンドーショッピングどころではない。
ファッションに目のない娘(大)は、どこで仕入れた知識か、上海はアジアのファッションの中心だとか言って、目を輝かせ、あっちこっちの店に入っていくが付き合いきれない。
人が多い上に、歩道に電動自転車が走っていたりして、あぶなくて仕方ない。しまいに、アタマもくらくらしてきて、やっとの思いでホテルに帰る。

しばらく休んだ後、ダンナも帰ってきて、遅い昼食をとりがてら、買い物もしようと言って、タクシーで淮海路に向かう。淮海路は南京路と並ぶ上海の繁華街。同じく名だたるブランドの店が競って軒を並べている。淮海路のほうが道幅が広い分、もっと壮観だ。
私たちの降りたったのは伊勢丹。中を歩くと、一瞬日本のデパートに迷い込んだかのような錯覚・・・よく見るとやっぱり違うけど・・・

上海が思ったより寒かったので、半額セールになっている薄手のスポーツジャケットを買おうと見ていると、販売のお兄さんが寄ってくる。元からそういうデザインなんだろうけど、前のファスナーが少し斜めになっているし、普段着ない黄色っぽい色なので迷う。娘(小)が、薄紫色のが気に入って買うことにしたら、お兄さんがまた私の所に来て
「どっちも60%引きにします!」
と自分で言ってきた、で、二着とも買った。
何も交渉してないのになぁ・・・

そのあと、H&Mに入る。こちらの店よりずっと大きく、5階建て。いろんな人種の人たちが買い物していた。値段、こちらより安い。娘(大)も薄手のジャケットが買えたので、近くの麺とワンタンの店に入る。

新しい店の並ぶ淮海路に珍しく、昔からある、観光客のちょっと遠慮しそうな店。しかし、地元の人でにぎわってる。生き残っているだけあって、おいしい。
こういうときのために、もって来ていた「マイ箸」を5人分出して使う。

ここのトイレがまたコワかった。エレベーターがあるのに、階段で三階に上がれと言われた。(エレベーターでは行けないと言う) 電気もついてない狭い階段、その脇にあるのはマッサージの店、入れ墨の店、あやしげなラウンジ・・・トイレには裸電球ひとつ、きれいじゃない(書けない)・・・やっぱり中国旅行の大きなネックはトイレだなあ〜、私は覚悟できてるほうだと思うけど、そうじゃない方には・・・・

淮海路でぶらぶらしていて遅くなり、風が出て寒くなってきた。それと関係ないと思うけど、交差点にあやしげな人たちがいっぱい出てきた。通行人に声をかけている。
「見て行ってよ、見て行ってよ。」
さて、それは何でしょう。
はい、それは偽ブランド品。
表通りでは売れないから、客引きしているのだ。
「いらない」と答えたら、女の人がからんできた。
「見るくらいいいじゃねーか、なんだよーコノヤロ」
おーこわ。

すぐ横には、新しい、超高いナイキストアがあった。
見てまわっている娘(大)の元気さにあきれつつ、興味のない娘(小)と息子とともに、玄関近くのベンチで待つ。ふと見ると、玄関脇に汚いモップが置きっぱなし・・・こういうところは新しくなれないのだなあ。

夜は、ダンナの母方のおば(50代半ば)のうちに行くことになっていた。淮海路からそのまま行けばいいのに、住所を持ってくるの忘れたと言って、いったんホテルに帰る。
寒いし、息子はタクシーの中で寝てしまうし、疲れたし、そのままホテルで寝てしまいたかったが、約束は約束、仕方がない。

寝たままの息子を抱きかかえ、タクシーを待つ。
しかし、おばのうちがかなり辺鄙なところにあるので、何台も何台も乗車拒否して去っていく。
(ホントは違法なんだぞ、罰金モノなんだぞ)
やっとのことで乗せてくれた運ちゃんは、
「そんな辺鄙なとこに行きたかったら、”その家に寄ったあと、空港に行くんです〜”って言って運転手だますしかないよ」
などと言う。運転しながら、さんざん商売の難しさと自分の人生の苦労(文化大革命のこととかその後のこととか)についてぼやきまくった。
おまけに、おろしてくれたところが見当違いの場所で、こっちは眠った息子を抱いたまま、冷たい雨の降る中、延々おばの家をさがして歩き回る羽目になった。(ケータイがあると便利なのにね)

おじが腕を振るって、大きなテーブルいっぱいに料理が用意してあった。それなのに、こちらは時差のせいでお腹がもう眠ってるzzzzzz
「どうして食べてくれないの?」
「おいしくないの?」
かなしそうなおじさんの顔・・・・申し訳なかった。

あとで、この夜の段取りの悪さを責められたのは、もちろんダンナでした。