1990年前後だったでしょうか、七尾線でSLときめき号が運行された際に訪れた七尾運転所(正式名失念)で真新しいSL動輪碑を発見、そのスポーク動輪から縁のC56動輪と思いきやなんとなく1400mmよりは小さいような...そして刻印を見て驚くことに!!
そこには、1975年12月に追分にて自分にとっての最後の現役国鉄SL撮影の1機となった79602の刻印がありました。その時は当然写真を撮ってはいるのですが、スキャンをする機材の手持ちも無く、またネガを引っ張り出すのも面倒でお蔵入りとなっておりました。そんな折、去る7月9日に再訪することが叶い、スマホですが再撮影をすることが出来ました。残念ながらペンキ塗りの厚さと錆びなどで刻印は2の文字しか判別確認できませんでしたが、79602の主動輪であると確信しております。
なぜ、ここにと思うところですが、やはり国鉄最後の現役SLの内の1両で追分の火災に合わなかったのに解体されてしまった39679の動輪が北陸のある場所に後年に飾られていた(現在は行方不明とのこと)こともあり、憶測になりますが、追分区火災での被災後に解体され、動輪などはそのまま苗穂工場で保管(と言っても野ざらしの暫定留置?)されていたものがたまたま七尾の記念碑製作発注元(金沢支社?)が全国の旧国鉄工場へオファーで目に留まったのではないかと思います。真相は不明ですがおそらく現場で働き毎日目にしていた人もそんなことなど分かるすべも無くと考えると不思議な感覚に見舞われてしまいます。
2016年7月9日(土) 当日、許可を貰い撮影
そこには、1975年12月に追分にて自分にとっての最後の現役国鉄SL撮影の1機となった79602の刻印がありました。その時は当然写真を撮ってはいるのですが、スキャンをする機材の手持ちも無く、またネガを引っ張り出すのも面倒でお蔵入りとなっておりました。そんな折、去る7月9日に再訪することが叶い、スマホですが再撮影をすることが出来ました。残念ながらペンキ塗りの厚さと錆びなどで刻印は2の文字しか判別確認できませんでしたが、79602の主動輪であると確信しております。
なぜ、ここにと思うところですが、やはり国鉄最後の現役SLの内の1両で追分の火災に合わなかったのに解体されてしまった39679の動輪が北陸のある場所に後年に飾られていた(現在は行方不明とのこと)こともあり、憶測になりますが、追分区火災での被災後に解体され、動輪などはそのまま苗穂工場で保管(と言っても野ざらしの暫定留置?)されていたものがたまたま七尾の記念碑製作発注元(金沢支社?)が全国の旧国鉄工場へオファーで目に留まったのではないかと思います。真相は不明ですがおそらく現場で働き毎日目にしていた人もそんなことなど分かるすべも無くと考えると不思議な感覚に見舞われてしまいます。
2016年7月9日(土) 当日、許可を貰い撮影