普段の業務でも趣味でも、案外軽視ができない言葉がありますね。
それは、『山勘』とか『感性』といったものかな…と、小生は最近感じます。
『山勘』が意外に大事であることは、畑村 洋太郎 先生の数多くの著書でも触れられています。
この本…凄く前に読んで、大変勉強になったのですが、この本にも『山勘』の大切さが述べられています。
経験のみでものを語ると、案外危険なことがありますが、経験から培われた『山勘』は、失敗を自ずと避けられる要素があるのだとか…。
例えば、小生が勤務する総合化学メーカーのプラントの運転でも、安定操業時とちょっと異なる挙動を示していても、「プラントオペレーター」の皆さんの『山勘』で、安定域の誤差範囲なのか、それとも極端に逸脱しそうな危ない状況なのかが判断できるようです。
小生も、現在は小さな研究所のフラスコレベルでの実験で、物事を判断していますが、入社間もないころや前職では、プラントに近いところで製品開発に携わっていたので、よく「プラントオペレーター」の方と話をしながら仕事を進めていましたが、やはり小生では推し量れない『山勘』の部分に救われたように思います。
そして、『感性』…。
これは、色々な写真家の写真展や、芸術家の作品を美術館や博物館に出かけると、それに触れることができます。
小生自身も、独身の頃は、よく風景写真を撮りに出かけていましたが、その時に必要なのが『感性』なのかな…と思っています。
ここでいう『感性』は、自分自身の中の基準で、「素晴らしい」とか「きれい」とか「美しい」と直感で感じたその瞬間を指して言っています。
では、『山勘』や『感性』が、何故重要で、軽視できないか…。
それは、『山勘』にしても『感性』にしても、実はどちらも説明を求められても、口頭では説明ができないものだからです。
『山勘』は、その人が何十年にもわたって経験したことから自然と身についたもので、学習して身につけたことではないから…というようなことを、畑村先生も著書で述べています。
小生が考える『感性』も、この『山勘』と同様で、美しいものを見た時に、なぜ美しいのか…という根拠を求められても、答えられません。
それは、小生の趣味である美術館・博物館めぐりを通じてや、写真をたくさん撮ってきた中で培われたもので、他人の『感性』とは、当然ながら違うわけですし、小生が「美しい」と思っても、他の誰かはそうではない可能性があります。
それが、『感性』ではないかと小生は考えています。
『山勘』に戻ると、例えば口コミで「名店」と噂が広がる店の主人の味覚なども、ある意味『山勘』の部分に当たると思います。
おいしいラーメンを提供する店のスープでも、どの程度まで煮込み、どの程度の火加減で…など、事細かに主人の「基準」のようなものがあると思います。
ですが、別の主人にとってはそれは程度か微妙に異なっているかもしれません。
『山勘』や『感性』とは、そういうことではないか…と、小生は考えています。
小生も、現業や趣味を通して『山勘』や『感性』をこれからも培っていけるようになりたいと思っています。
それは、『山勘』とか『感性』といったものかな…と、小生は最近感じます。
『山勘』が意外に大事であることは、畑村 洋太郎 先生の数多くの著書でも触れられています。
決定版 失敗学の法則畑村 洋太郎文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
この本…凄く前に読んで、大変勉強になったのですが、この本にも『山勘』の大切さが述べられています。
経験のみでものを語ると、案外危険なことがありますが、経験から培われた『山勘』は、失敗を自ずと避けられる要素があるのだとか…。
例えば、小生が勤務する総合化学メーカーのプラントの運転でも、安定操業時とちょっと異なる挙動を示していても、「プラントオペレーター」の皆さんの『山勘』で、安定域の誤差範囲なのか、それとも極端に逸脱しそうな危ない状況なのかが判断できるようです。
小生も、現在は小さな研究所のフラスコレベルでの実験で、物事を判断していますが、入社間もないころや前職では、プラントに近いところで製品開発に携わっていたので、よく「プラントオペレーター」の方と話をしながら仕事を進めていましたが、やはり小生では推し量れない『山勘』の部分に救われたように思います。
そして、『感性』…。
これは、色々な写真家の写真展や、芸術家の作品を美術館や博物館に出かけると、それに触れることができます。
小生自身も、独身の頃は、よく風景写真を撮りに出かけていましたが、その時に必要なのが『感性』なのかな…と思っています。
ここでいう『感性』は、自分自身の中の基準で、「素晴らしい」とか「きれい」とか「美しい」と直感で感じたその瞬間を指して言っています。
では、『山勘』や『感性』が、何故重要で、軽視できないか…。
それは、『山勘』にしても『感性』にしても、実はどちらも説明を求められても、口頭では説明ができないものだからです。
『山勘』は、その人が何十年にもわたって経験したことから自然と身についたもので、学習して身につけたことではないから…というようなことを、畑村先生も著書で述べています。
小生が考える『感性』も、この『山勘』と同様で、美しいものを見た時に、なぜ美しいのか…という根拠を求められても、答えられません。
それは、小生の趣味である美術館・博物館めぐりを通じてや、写真をたくさん撮ってきた中で培われたもので、他人の『感性』とは、当然ながら違うわけですし、小生が「美しい」と思っても、他の誰かはそうではない可能性があります。
それが、『感性』ではないかと小生は考えています。
『山勘』に戻ると、例えば口コミで「名店」と噂が広がる店の主人の味覚なども、ある意味『山勘』の部分に当たると思います。
おいしいラーメンを提供する店のスープでも、どの程度まで煮込み、どの程度の火加減で…など、事細かに主人の「基準」のようなものがあると思います。
ですが、別の主人にとってはそれは程度か微妙に異なっているかもしれません。
『山勘』や『感性』とは、そういうことではないか…と、小生は考えています。
小生も、現業や趣味を通して『山勘』や『感性』をこれからも培っていけるようになりたいと思っています。