子供の頃から旅が好きだった。
14か16インチの子供用の自転車で、家の前の道を知らないところまで走ったことが最初のひとり旅だったのかもしれない。
いつからか覚えていないが、ひとり旅の相棒は、カメラになった。
移動手段が、自転車からバス、鉄道、船、飛行機、バイク、乗用車と変わっても、カメラを携帯しない旅は、僕にとって、あり得ない。
僕は、友人のフォトグラファー(プロ)に自慢の旅写真を見せた。
その時、彼は、「これは、作品じゃないですね。旅の記念写真ってやつだね。」とサラリと言った。
確かに撮影者である僕の意思よりも被写体の意思が優っていた。
開き直る訳ではないが、僕にとって、1枚の写真を作品にする必要はなかった。
個人的な思いでとして、自分の中に留めるのでも良い。
しかし、あえて社会的な価値を見いだすとすれば、記録としての価値だ。
幕末や明治の記録写真の多くは、日本を旅した西洋人の物見遊山の1枚なのである。
記録写真が、日本人によって撮影されていないのは、高価な写真機を日本人が所有していなかったからではないと思う。
当時の日本人にとって、日常の風景を写真に収めるといったインセンティブはなかった。
それは、今も、日本人に限らず、写真に収めるのは非日常なのである。
ゆえに日常の記録は、古今東西、異邦人によって残される。
多くの人は、旅を日常からの脱出と言うが、それは違うかもしれない。
就職や転勤で転居するのも旅であり、毎日、オフィスに出勤するのも旅だ。
つまり、日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。
輪廻転生を信ずるなら、人生そのものが旅である。
大宇宙の中に小宇宙が存在するように、旅の中に旅があるのだ。
(次回からは、もっと軽く、柔らかくいきます!)
元々は、異国の街なみにカメラを向けていた。しかし、子供たちの笑顔に吸い寄せられるように街角スナップに傾斜していった。(東トルキスタン・クチャ)
街角でスナップを撮る、そしてプリントを渡すために再訪する。いつしか、それが僕の旅のスタイルになった。(インドネシア・ブカシ)
機材も写真と同じく引き算、使わない機材を捨ててゆく。仕事用にポケットマネーで10年以上も前に買ったクールピクスP5100。仕事用はスマホに置き換わったが、お散歩用は、P5100+WC-E67(約24mm)を超えるカメラには出会えていない。