Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/上海漕宝路

2021-09-23 18:11:32 | 旅行

2001年の記録

 

僕が初めて上海に行ったのが20世紀末。人民中国の残像は、2008年の北京オリンピック前までの写真を順不同、順次ご紹介していきたいと思っている。僕のカメラライフのデジタル転換は比較的遅く、大半の写真は、銀塩カメラで撮影したものになる。

 

 

2001年からしばらくは、漕宝路の安ホテルを常宿にしていた。地下鉄1号線で、上海火車站(鉄道駅)まで1本で行けるなど便も良かったが、1番の理由は、取引先の総経理(社長)の自宅があったことだ。

 

 

僕が上海に行く3年前まで、兄が上海に住んでいたので、上海のことを断片的に聞いていた。実際に自分の目で確かめると、ほんとうのこともあったし、首を傾げることもあった。

「上海の治安は悪い、女子供を連れて行けるところではない」と兄は言って、姉や姪が上海に行くことはなかったが、僕が見た上海は、そんなに治安の悪い街ではなかった。そのことを指摘すると、兄曰く、「『我々が、こんなことじゃ外資は来ないよ』と抗議したので、中国政府は、全国から公安(警察官)を集め、上海の治安を回復したのだ。今、治安がいいのは、我々のお陰だよ。」

兄の説明も、あながち嘘ではないと思う。以前の中国は、外国の目を意識する国だったので、外国人に対する犯罪は厳罰だった。誤って外国人をクルマやバイクで撥ねれば、死刑とも言われていた。また、国家的事業として開港した直後の上海浦東国際空港は綺麗で、空港から市内へと続く道路の中央分離帯は、何キロも続く長大な花壇そのものだったのを覚えている。

 

 

上海市内では、自転車から電動バイクへと転換が始まった頃だが、まだまだ山のような荷物を運ぶ自転車が、ふつうに走り回っていた。

 

 

子供たちは、おどけてポーズを取ってくれた。

 

 

珠江(Pearl River)S-201(国営明光兵器廠1972年製)は、千代田光学(現・コニカミノルタ)ミノルタSR-2のコピーモデルである。オリジナルはファインダー固定式であるが、本機はニコンFシリーズを模し、ファインダー交換式となっている。

上海火車站前の中古カメラ屋で買ったものだが、しばしば、巻き上げ不良になるのだが、持参すれば即座にオヤジさんが修理してくれるので、それはそれで良かった。(もちろん無料)

 

 

【メモ】

約1年前に2019年4月以降の記録投稿を開始して、やっと“今”に追いついたことを機に2000~2008年北京オリンピックまでの約10年間の記録を「人民中国の残像」というタイトルで、順不同で順次アップしていく。(なお、2009年以降は、mixi日記にて公開済)

写真を整理していて気がついたが、デジタル連写と違って、銀塩時代は、1枚1枚に想いを込めてシャッターを切っている。経済的な制約もあり、今とはコマ数も違えう。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第5回

2021-09-23 10:23:47 | 旅行

2021年の記録

 

1週間ほど前から電信柱に貼られていた猫探しのチラシ、帰宅するとポストにも入っていた。飼い主は、彼女を家族として愛していたのだろう。その一方で、ゴミと一緒に生きている仔猫をポリ袋に入れて、ゴミ捨て場に遺棄する飼い主もいる。ペットは飼い主を選べない。

捜索中のハクちゃんが、無事飼い主のところに戻れることを願いたい。(メモに続く)

 

 

カトリック赤羽教会に彩湖、いずれも以前に紹介している定番の散歩コース。

 

 

白亜のカトリック赤羽教会は、青空に映えて美しい。付属幼稚園の園児が遊ぶ、穏やかな午後。

 

 

夕焼けを撮影しに彩湖に行くと、足元に彼岸花を見つけた。彼岸花を見ると、僕は何とも悲しい気持ちになる。過ぎた夏への想いのためだろうか。

 

 

残照の中に富士山と巣に帰る鳥が見える。今日1日、無事に終えることに感謝!

 

 

【メモ】

最近、「親ガチャ」という言葉が、論争の種になっている。「親ガチャ」とは、子供は親を選べない→成育環境によって人生が決まってしまう→格差社会、貧困の連鎖→将来の夢を持てない、持たない、努力の放棄へと繋がる負のスパイラルの起点。

※ガチャ:カプセルトイの無作為販売機の通称ガチャガチャ、ガチャポンに由来する。

 

海外の底辺に近い人たちを知っている僕からすると、日本の格差など、誤差みたいなものと思ってしまう反面、格差の本質は、意識そのものなのかもしれない。

 

インドネシアにいた8年ほど前のことを思い出した。インドネシアのマジョリティに立身出世のない時代があった。貧しい家庭に生まれた若者は、どんなに頑張って大学を卒業しても、それに見合う職に就くことはできなかった。なぜなら、行政機関や国営企業に就職するためには、コネと賄賂が必須だったからだ。(コネや賄賂がなくとも優秀ならば採用される外資系企業が進出したのは最近のことだ)

「俺は貧しい家庭に生まれたから貧しいのだ」と、皆が異口同音に話す。救いは宗教、コーランの戒律を守り、1日5回の礼拝に勤めれば、来世は裕福な家庭に生まれられると信じている。

インドネシア経済の中心の官から民への移行は、マジョリティの若者の生き方を変えたのかもしれない。

 

一方、同じインドネシアでも華僑は違っていた。貧しくとも優秀な子供には、一族が支援という名の投資をするシステムがあるからだ。中華民族には、“蜘蛛の糸のような科挙”という希望が、意識の根底にあったからではないだろうか。そう、あったという過去形、中国大陸では、急速にその希望は、日本と同様萎みつつある。

 

仔犬を遺棄した人の育った環境は、幸せなものではなかった気がする。仔犬の遺棄は、人間社会の縮図であり、不幸の連鎖だ。

人間もペットも親(飼い主)を選べないのは一緒で、これを変えることはできない。できることは、どんな親のもとに生まれても、どんな飼い主に飼われても、幸せになれる社会にすることだ。

 

 

旅は続く