Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第11回

2021-10-04 21:32:14 | 旅行

2021年の記録

 

どうしても見たい映画の終演が迫り、緊急事態宣言中だが、渋谷まで映画を見に行った。僕なりに注意して、表参道から青山、渋谷と散策し、映画館(シアター・イメージフォーラム)に行ったときの記録。

 

 

渋谷も表参道、青山も東京では、最も馴染みのない街だ。実業団時代は、織田フィールド(代々木公園陸上競技場)で、毎日練習していたが、会社~競技場~自宅の直行、寄り道なしだった。

 

 

表参道ヒルズは、1926年(大正15年)に第一期、翌1927年(昭和2年)に第二期が竣工した鉄筋コンクリート造りで3階建ての同潤会青山アパートの再開発プロジェクトとして、2006年(平成18年)に開業した。

 

 

セントグレース大聖堂は、教会ではなくお洒落な結婚式場である。それでも、パッと見美しい。

 

 

ポルトフィーノは、お洒落な店舗が入居する扇型の建築物だ。僕は上海の夜を思い出してしまう。

 

 

メゾン・ド・ミュゼは、昭和9年築の実業家の洋館(旧千葉邸)を転用したフレンチレストランである。正直なところ、フランス料理は、ガサツな僕に似合わない。ここで、食事をすることもないだろう。

 

 

映画「東京クルド」は、遠いい国の物語ではない。僕の住む街・ワラビスタンを舞台にしたドキュメンタリーだ。

 

ワラビスタンに住むクルド人は、クルド独立運動に関与したとみなされ、トルコ政府の迫害から逃れるために訪日した人たちである。(トルコ人は、ノービザで日本に入国できる) 政治難民の申請をしているが、日本政府は一切認めていない。なぜなら政治難民として申請を受理すれば、親日国・トルコ政府の迫害を認めることになるからだ。しかし、クルド人がトルコ国内で受けている迫害は、グローバル基準だと政治難民に認定されるべき状況にあるので、日本政府が強制送還を選べば、国際的な非難を受ける。トルコ政府にも国際社会にも非難されたくない日本政府は、“仮放免”という健康保険も、就労許可も、県境を越える移動の自由もない “生殺し”をクルド人に対して約20年も続けている。

 

映画「東京クルド」の主人公のオザンとラマザンは、小学生の時に来日し、日本で義務教育を受けた。オザンは、タレントを志望するものの就労許可のないことを理由に事務所登録を拒否され、不法就労の解体の仕事を続けている。ラマザンは、通訳として働くことを夢見て勉強を続けたが、その夢を断たれる。

 

僕が街で見る年配のクルド人は、生活のために真っ黒になって働いているが、若者は、何となくプラプラしている。家庭を持てば、生きていくために不法就労であっても働かざるを得なくなるが、そうなるまでは、働く意味も、学ぶ目的もなく、プラプラしていることが、仮放免者の正しい生き方なのだろうか。

 

「働くことが許されたとき、後悔しないために学び続ける」といったラマザンの健気な言葉に僕は目頭を熱くせずにはいられなかった。

 

日本人は、議論を極端に忌避するが、世界的には異端だ。徹底的に議論をすることで、双方の理解が進み、信頼を構築すれるのが、グローバルスタンダードだと僕は思う。親日国・トルコを大切に思うならば、腹を割って話をすることができるはずだ。本音として、トルコ政府は、在日クルド人に帰国して欲しいとは思っていないはずだし、日本政府にとっても、日本語を話し、真面目に働く在日クルド人は、貴重労働力になるはずだ。外務省には、僕以上にグローバルスタンダードを理解している人材がいるはずなのだけど・・・・・・・。

 

 

【メモ】

9月30日で、緊急事態宣言が解除された。東京の感染者数も週ごとに減少している。正直なところ、緊急事態宣言が解除になろうが、なるまいが、すべて自己責任であることに変わりはない。

緊急事態宣言解除で、人目を気にすることなく街を散策できるようになることが、唯一の嬉しいことだ。

 

 

旅は続く