Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/蓋州 第5回

2022-07-10 12:32:33 | 旅行

2005年の記録

北京オリンピック(2008年)以前の中国の記録を順不同でご紹介する「人民中国の残像」シリーズ。いずれもフィルムカメラで、1枚1枚丁寧にシャッターをきっている。

 

 

僕は、比較的時間に余裕のある昼休みは、火車站方面に散歩に、時間のない時は、駐在していた工場内をウロウロして、昼休みに寛いでいる現場労働者を撮影した。街でも工場内でも挨拶して、撮影許可を取って撮影している。いわゆる隠し撮りはしていないので、プロカメラマンの友人には、「作品ではなく記念写真」と揶揄されるが、それで良いと思っている。カメラに向かって、緊張していたり、作り笑いをしていたりしても、それもリアルな2005年の中国人民である。

声を掛けると、躊躇されることも多い。「没関係吧、你很師!(いいじゃない、ハンサムだよ!)」といった感じで声を掛けると、7~8割の人は応じてくれる。(2005年のこと、さすがにSNSにアップする許可は取っていない)

 

 

蓋州の僕が駐在していた下請工場も元々は国営企業だった。改革開放を機に現在のオーナーが買収、民営化していたが、国営企業の空気を色濃く残していた。

かつての日本の製造業もそうだったが、基本的に一貫生産指向で、小規模ながらも鋳造、鍛造、熱処理、製缶溶接、機械加工、組立、塗装工場があった。本業の石炭ボイラの運炭設備製造は、ほぼ開店休業状態、下請部品の賃加工で経営を維持していた。それでも、北京オリンピック前の好景気で、フル操業だった。

 

 

職場で、昼休みにトランプや囲碁に興じるのは、中国の一般的な光景で、工場内のあちこちで、プレーヤーとギャラリーを見ることができた。囲碁の碁盤は、合板にマジックで線を引いたものだし、碁石はワッシャーや鉄片で代用している。まだまだ中国の労働者が貧しかったことが窺える。

現場労働者の賃金は、日給20元(当時のレートで240円ほど)ほどだったと思う。生産管理のホワイトカラーの30代担当者が、日給30元、月給1万円にも満たない。彼の奥さんは、小学校教員だったが、彼よりちょっと多く貰っているとかで、彼は頭があがらないと笑って話してくれた。

 

 

僕が仲良くなった30代の労働者は、工場内では底辺の賃金で働いていたのだと思う。本業は防火服を着て作業する過酷な職場で働いていたが、休日にトラックへの積み込みなど、彼でもできる仕事があれば、出勤して日銭を稼いでいた。彼は自分と家族の名前くらいしか書けない人だったが、妻と息子を養うためによく働いていた。その彼でさえ、中古のガラケーを所持していた。相当にムリしたのだろうが、人目に触れる携帯電話を持つのは、面子のためだろうか。

 

 

 

 

【回想録】

だんだんと納期が迫り、日々決めたポイントに到達するまでは、退勤させない強権を発動した。その日は、17時なっても、作業が終わらず、目途は22時頃。僕のデスクのある事務棟は、18時閉鎖されるので、一旦、ホテルに戻って、夕食を摂った。僕は、退勤する時から21時すぎに再び工場に行くと決めていた。

「『終わるまで帰るな!』と指示した僕が、暖かいホテルのベッドで寝転がっている訳にはいかない」と、代わりに来ていた通訳に話した。

通訳曰く、「Zhenさんの真面目な気持ちを中国の労働者は、理解しませんよ。ちゃんと働いているか監視に来たと思うかもしれませんよ。」 

「彼らが、どう思うかじゃない、僕自身の問題」と、僕が話すと、呆れたように「輪タクは、(夜でもバッテリーの消耗を回避するためライトを点灯しない) 危ないから、絶対にタクシー使ってくださいよ。それに歩道は、盗難で蓋のないマンホールがあるので、注意してください。」と念を押された。

 

僕はタバコを3カートン、みかんを一袋買ってタクシーに乗った。

21時半頃、工場に着くと、ちょうど作業が終わったところだった。僕は白髪で大柄な作業長に「辛苦了、非常感謝!(お疲れ様、感謝しているよ!)」声を掛けた。

実は、作業長と僕の関係は良くなかった。「確認してくれ!」と作業長の持って来たピンは、機能はOKかもしれないが、外観品質が、酷いものだった。チラット見ただけで、僕が「ダメ!」と言ったものだから、作業長はスクラップ入れの箱に叩きつけるといったことがあったのだ。

 

作業長は、一瞬驚いたような表情になったが、すぐに満面の笑みで握手を求めてきたので、僕は握手と同時にタバコを差し出して、1カートンは作業長に、もう1カートンは、作業員に分けてやってくれとだけ伝えた。残業の成果を確認するため工場を一周したあと、「辛苦了、明天見!(お疲れ様、また明日)」と声を掛けると、作業長、作業員は、満面の笑顔と敬礼で僕を送ってくれた。

 

そのあと、工場敷地内にある国さん(仮名)と郭さん(仮名)が泊っている宿舎を訪問した。ベッドとトイレ兼シャワーだけの寒々とした部屋で、2人は寒さを凌ぐためすでにベッドに潜り込んでいた。僕の突然の訪問に驚いた2人だが、大歓迎してくれて、持参したみかんを食べながらしばらく話をした。(意外なことに、国さんは、タバコも酒もやらない)

 

宿舎をでると息が真っ白になるほど寒かったが、心は温かかった。足元に気をつけながらホテル方向にしばらく歩いたところで、タクシーが拾えてホテルに戻った。

 

 

【Just Now】

昨日(2022年7月8日)、安倍元総理が暗殺された。僕は安倍シンパでもアンチでもないが、どうにも気が晴れず、モヤモヤ感が拭えない。

日本の数少ない魅力である“安全神話”崩壊のためだろうか。

沢木耕太郎著「テロルの決算」の題材となった社会党委員長(当時)浅沼氏刺殺を想起する人もいるが、あの事件とは、明らかに違うと思う。浅沼氏刺殺犯・山口二矢の動機は、歪んでいるとは言え愛国の志に基づくものだが、安倍元総理暗殺容疑者・山上徹也の動機は、安倍元総理の関係する宗教団体への個人的怨恨によるものだ。山口二矢を美化するつもりはないが、まったく次元の違う動機だ。事件を「民主主義への挑戦」と怒りを露にする政治家もいたが、まったくそんなレベルの話ではない。誤解を恐れずに書くと、どちらかと言えば、「無差別通り魔殺人」に寄った、容疑者以外には理解できない動機だ。もしかすると、僕のモヤモヤ感は、そこに起因するのかもしれない。「何故に殺されたかさえ理解できぬまま殺される恐怖」である。

 

 

旅は続く