Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ クチャ 第4回

2023-08-02 23:43:08 | 旅行

2016年の記録

カシュガルのマヌケなシクジリから1年、やっぱり東トルキスタンへの想いを断ち切れず、お世話になった人たちのいるクチャを再訪した時の記録。

 

 

ウイグルの人たちが、ナン、ラグメン、ポロ・・・・といった主食を、どのような比率で食べているのか知らないが、ナン屋が、町のあちこちにあることは間違いない。まぁ、ラグメンは小麦粉から、ポロは白米から自宅で作れるが、自宅に窯があって、ナンを焼く家庭は少ないのだろう。

 

 

地図を眺めると、あらためて東トルキスタンが、西域であることを実感する。夕陽の時刻の西行のフライトでは、何時間も夕陽を見続けることになる。

 

 

かつては、馬、ロバが荷車を牽いていたのだろうが、今は、電動スクータが、あたりまえになってしまった。中国東北部の方が、馬、ロバが、依然として活躍している。

 

 

使っていないのかもしれないが、綺麗な状態のナン窯。

 

 

町の小さなモスク、モスクがレストランを経営しているのではないと思うが、人の集まるところでレストランを営業するのは、自然の流れ。

 

 

紺色の服を着て、両手ピースサインの中央にいる男の子以外は、すべて女の子。幼い女の子が、坊主頭なのは、「1度坊主にすると、その後に美しい髪になる。」というウイグルの慣わしによる。幼くてもピアスをし、スカートをあげて、目一杯のおしゃれアピールが、可愛い。

 

 

街区を抜けるとポプラ並木があり、その奥には、カラート(地下水路)から引いた冷たい水が、農地を潤す。番をしているのか、遊んでいるのか、棍棒を持った男の子が一人。

 

 

街から外れたところに廃虚化したモスクがあった。

 

 

再び街区に戻る。

たいてい、ナンを焼く窯は、店先にあり、店舗の中で小麦粉を捏ねて生地を作り、小窓から差し出してナンを焼く。一連の作業は、リズミカルで、見ていても心地よい。熱い窯にナン生地を貼り付け、すぐに取り出す作業は、なかなかの重労働なんだけどね。

 

 

イスラム帽に顎髭、ウイグルのおじいちゃんのスタンダード。一方、ヒジャブで髪を隠す敬虔なムスリムのおばあちゃんは、最初は横を向いてしまったが、ちょっと片言で会話をしたら快く撮影に応じてくれた。盗撮、無理強いは、もちろんのこと、説得もご法度だ。

 

 

クマのぬいぐるみを持った男の子の足元。なぜか、この類のゴミ(アイスクリームや牛乳の包装)が、ポツンと1個だけ落ちていることが、あるんだよなぁ~。

 

 

異邦人に対するオヤジの笑顔って、商売の下心でもないと、なかにか目にしないが、東トルキスタンに限っては、街中に溢れている。

 

 

東トルキスタンは、夏になるとハミ瓜、西瓜、葡萄・・・・と果物が豊富だが、5月にはバナナ、林檎、キウイ、サクランボまでもが移入されている。1年中、果物が豊富で、廉価なのは、中国共通。

 

 

三輪の電動荷車に乗った3人が親子なのか、否かは、わからないけれど、ウイグル人の中にも、そして親子間でも、浅黒い肌の黒髪もいれば、色白の栗毛もいる。東西、様々な民族の交流を感じてしまう。

 

 

6枚目の写真の女の子グループと再び遭遇、あらためて撮影に応じてもらう、と言うよりせがまれてカシャ。彼女たちが、悲しい涙を流すことがない世界を作ることが、僕たち大人に果された義務だ。

 

 

【JUST NOW】

今年の土用の丑の日・7月30日を避けて、前日の29日に鰻を頂いた。以前に書いたかもしれないが、僕は、「最後の晩餐は、鰻の蒲焼」と決めているほどの鰻好きだ。

ご存知のように、鰻の稚魚は、天然捕獲に頼っている。それなのに調理を効率化して、販価を安くすれば、大量消費が進み、天然資源の稚魚が枯渇するのは、火を見るより明らかだ。鰻の完全養殖が実現するまでは、修練を重ねた職人だけに調理を許し、高嶺の花のままにしておくべきだと思っている。美味い鰻の蒲焼ほど、美味いものはないと思っているので、孫の代にも食べてもらいたい。そのためにも、稚魚と職人技を継承しなくてはならないと思っている。

 

 

旅は続く