Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・冬物語

2024-05-06 17:35:54 | 旅行

【お知らせ】 下記に順次、引っ越しますので、宜しくお願い致します。(当面併行)

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen2

 

2024年の記録

赴任準備のため2023年12月の訪問時と2024年1月から3月までの旧足尾町「冬」の散策記録。

 

 

冬は寒く、交通アクセスも悪い過疎地だが、「住めば都」だ。

 

 

足尾銅山、足尾鉱毒事件の舞台となった旧足尾町は、旧今市市、旧日光市ほか町村との合併により、現在は日光市足尾地区となっている。

20世紀初頭、日本の銅産出量の40%ほどを占める世界有数の大銅山は、東京から意外に近いところにある。(現在でも、埋蔵量は世界上位に位置するものの、鉱石の品位が悲しいほど低く、採掘されていない。)

 

 

旧足尾町は、群馬県みどり市、桐生市とわたらせ渓谷鐡道(旧JR足尾線)で結ばれているにも関わらず、行政区画は、(細尾峠を越えた)栃木県となっている。奇異に思い調べてみた。

 

旧国鉄足尾線開通以前の群馬県側へのアクセスは、細尾峠越え以上に悪かったようで、廃藩置県以前から下野国(現栃木県)に属している。群馬県側へ流れる渡良瀬川は、海運に利用できる河川ではなく、足尾銅山で採掘された銅鉱石は、足尾で粗銅(純度約99%)に製錬され、馬で細尾峠を越えて、日光市清滝にある精錬所に運ばれ、電気銅(純度約99.5%)に精錬されていた。

 

旧国鉄足尾線が開通すると、足尾で製錬された粗銅は、旧国鉄足尾線経由で、出荷されるようになった。その後の足尾銅山閉山後は、旧国鉄足尾線で、輸入銅鉱石を足尾製錬所へ搬入していた。そんな関係で、群馬県との関係が深まり、旧足尾町の市外局番は、群馬県の局番となっていた。

 

その一方で、群馬県庁との確執もあった。旧足尾町は、栃木県に属していたので、足尾の税収は、栃木県に納税されるが、重金属を含んだ鉱廃水は、渡良瀬川を流れ、群馬県側に公害被害をもたらした。群馬県庁が、面白くないのも、理解できる。

 

銅山閉山、輸入銅鉱石の製錬休止で、旧国鉄足尾線の輸送量は、激減する。一方で、旧日光市と繋ぐ日足トンネルが開通すると、再び栃木県側との関係が深まり、市街局番は、栃木県上都賀地区の「0288」に変更された。

 

 

鉱都と呼ばれている足尾は、閉山以降衰退の一途を辿る。製錬所休止、警察署閉署、銀行の支店閉店、県立高校廃校となった。商店街のほとんどが閉店。日足トンネル近くに奇跡的にコンビニがあるものの夜になると棚はガラ空き。

 

そんな訳で、近隣にスーパーマーケット、ドラックストア、コンビニ、ガソリンスタンドのある日光市七里の物件を見に行った。リゾート感のある街なみ、ペット可の物件だったのだが、職場まで峠を越えて30~40分と遠いいことが唯一の難点。

 

僕は二番札で、僕のあとに内覧した一番札の人が、即決してしまったので、結果的に悩むこともなく、旧足尾町にある社宅に入居することになった。

 

 

着任の朝は、雪掻きから始まった。降雪は10日に1回ほどで、晴天になれば、嘘のように道路上の雪は消える。もちろん、除雪で積みあげられた雪と山肌の雪は残る。

 

 

社宅は、駅前の一等地にある、と言っても、足尾駅は、無人駅。島式ホーム、線路が複数あり、かつての繁栄が偲ばれる。

 

 

足尾駅構内の留置線には、JR足尾線時代の気動車、ディーゼル機関車、貨車が保存されている。

 

社宅から徒歩圏内唯一の萬屋・北村商店。足尾駅前にあり、ひと通りのものは揃うが、品揃え、価格は、それなりである。1週間分の食料品を旧今市市で、調達することが、日課となった。

 

 

足尾の街の中心は、足尾駅ではなく通洞駅となる。かつての商店街も通洞駅周辺に広がり、足尾町役場(現・日光市役所足尾支所)も通洞駅近くにある。

 

駅舎は、柱や梁が外に出ている北方ヨーロッパの木造建築技法であるハーフティンバー様式である。駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されている。

 

 

わたらせ渓谷鉄道の終着駅となる間藤駅。旧JR足尾線時代は1.9km先の足尾本山駅まで貨物専用線が伸びていた。

 

わたらせ渓谷鉄道の駅舎は、冬季はイルミネーションで飾られる。

 

 

間藤駅頭上の岩壁、かつては、煙害で岩肌が剝きだしていたが、30年に及ぶ植林事業で、少しずつであるが、植生が蘇ってきている。

 

 

渡良瀬川上流の松木川沿いに北進し、半月峠を越えた山の向う側は、中禅寺湖である。

 

 

15時をすぎると急激に寒くなる。山に囲まれた谷に位置するので、日没は早く、再び厚い雲に覆われると、明朝は、雪掻きか?

 

 

田元交差点から足尾市街に向かう旧道は、渡良瀬川上流の松木川と神子内川に挟まれて進む。僅か1㎞ほどの僕の通勤路でもある。

 

 

足尾は、ほぼ南北に延びた谷あいの街なので、夕焼けを見ることが、ほとんどない。夕焼けを映した山肌が、紅く染まった。

 

 

【メモ】

「鉱都足尾・冬物語」の投稿が、1ヶ月以上も滞ってしまい、季節は冬から春へ、さらに初夏へと移ろうとしている。この1ヶ月、色々なことがあった。

仕事が、想定以上に繁忙を極めたこともあったし、愛犬の具合が悪くなり(脳梗塞か何かで痙攣を2度発症し、動物病院に1泊した)、退院後も視力を失い、真っ直ぐ歩けなくなり、1日中右旋回を繰り返し日々が続いた。(お陰様で、痙攣前の8、9割まで回復した。) そんな訳で、毎週帰省していたため、執筆する精神的な余裕も無くなっていた。それに加え、決定的だったのは、ブログのログインができなくなり、ログイン状態を維持しているPCが唯一のアクセス危機になってしまったことだ。事務局へ連絡しても、解決の糸口を見つけられず、やむなく新しくBeing on the Road2 (https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen2)を立ちあげた。当面の投稿は、両サイトにアップしていく予定です。

 

 

旅は続く