2022年の記録
久しぶりの高崎1泊出張で、仕事あとの散策の記録。
高崎市は関東平野の制北端、背後には千メートル超級の山々が連なる。
高崎の宿泊出張は、今までに何度もしているので、散策ルートもお初は少ない。それでも、毎回新しい発見がある。そもそも街も日々変化しているのだ。
群馬県庁のある前橋市は、行政の中心。そして、高崎市は、商業の中心で交通の要所でもある。新幹線の停車駅は高崎、前橋はローカル線のJR両毛線が走る。
商都・高崎らしく市内のあちこちに蔵や黒い板壁の商家が見られる。
高崎中央銀座商店街は、地方によくあるシャッター通り化した全長430メートルのアーケード型商店街である。空き店舗のあとに入居したキャバクラが軒を連ねる。夜、20時ごろをすぎるとキャッチ(水商売の客引き)で賑わう。
「氷 日本一」は、1929年(昭和4年)に創業の氷問屋である。削氷組合の消滅、かき氷店の減少を憂えた先代店主が、1976年(昭和51年)にかき氷店を併設。
一度は食してみたいと思っているが、営業時間が短いことと、学校帰りの女子高生がたむろしている中に分け入る勇気のなさで、未知の味のままである。
日本聖公会高崎聖オーガスチン教会は、1929年(昭和4年)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建の単廊式のネオ・ゴシック風教会堂である。前回の訪問時は、改修中であったが、改修が完了し、白亜の凛とした佇まいである。
聖オーガスチン教会からしばらく歩き、上越線の東側にある日本基督教団高崎教会に寄る。見ての通りの歴史的建造物ではないが、僕は教会を訪れると心に平安を感じる。
高崎駅前の豊田屋旅館本館は、1932年(昭和7年)に建築され、今も現役として守り続けている。豊田屋旅館は、タイムスリップしたような空間であり、高崎のシンボル、ランドマークである。
高崎市役所庁舎の展望台から西北方向を眺めると烏川の彼方の山影に沈む夕陽が目に飛び込んできた。
高崎名物カツ丼、注記にあるようにソースカツ丼ではなく、和風ダレカツ丼。友人曰く、「映えてないけど、コスパが良くて、美味しそう。」(450円)
【メモ】
上海の友人(日本国籍と中国永住権を取得した上海人)とWeChatで長話した。ロックダウンで、暇で暇でしょうがなぃことに加え、相当ストレスが溜まっているようだ。元々、中国語で政権批判することはないが、日本語だと不満を漏らすことがあったが、今回は尋常ではない。何しろ、WeChatの無料通話だ、「オイ、オイ、それヤバクないか」といった勢いだった。
彼曰く、「食料を配給しているので、餓死ないし、コロナ死もほとんどない。食料だけ与えていれば良いのは、貧困層だけだ。発表されないが、コロナ死者以上の人数の飛び降り自殺者がいる。」
「中国は、政治を除けば自由だと、上海人は思っていたが、習〇平のアホンダラに裏切られた。」
「ロックダウンが解除されても、かつての上海には戻らない。」
「カネのある上海人は、みんな海外に出て行ってる。俺だって、(養老院にいる)母親が亡くなれば、日本に住むよ。」
すべての上海人が、彼のように考えているとは思えないが、かつての上海には戻らないかもしれない。
散々な目にあっている上海人の一方で、上海人以外の中国人の上海を見る目は醒めているように感じる。上海人は、他の中国人を野暮ったいと小馬鹿にするようなところがあって、中国内の評判が良くなかったこともあるのかもしれない。武漢市が閉鎖になった頃、中国各地から「武漢加油!(武漢、頑張れ!)」といった声援を耳にしたが、「上海加油!」という言葉は聞かない。
コロナが終息し、訪中した時に見る上海は、かつて見た上海とは、まったく別の街になっているのかもしれない。
旅は続く
お邪魔します。
高崎中央銀座商店街、
430mの通りの往時を想像すると、時の流れを感じます。
時代の移り変わりによって商売の形態や
人流、人心が変わるのは致し方ないことですが、
そこにあった賑わいが消えた今を見ると哀惜を覚えます。
シャッター通りとは趣が異なるでしょうが、
かつて目にした上海の変貌ぶりも気になるところです。
6/1からロックダウン解除のニュースも聞こえてきましたが、
どうなるのでしょう。
上海人気質と、その他広大な中国の精神的隔たり。
そんな点も興味が湧く投稿。
色々と考えさせられ勉強になりました。
では、また。
ビジネスチャンスが 潜んでいるように思うんですが・・・
スクラップ&ビルド というのは、こういうシャッター街では、住民がご高齢な場合が多くて 難しいんでしょうね。。。
上海 毎日1万人くらい脱出しているみたいですね。
お金のある人は、国外へ 無い人は、近隣地区や田舎へ
今回の事で、ホント上海政府に対する気持ち 冷めてしまったでしょうね。
言われるように 上海人は、お高くとまっている 的印象持ってる人多いですよね。
良い気味だ までは、行かないでしょうが、上海の人も悪い
という言い方 よく耳にします。
私も、主人が現役のころ、出張先に一緒についていきました。
半分だけ自腹ですから、安上がりの旅行です。(笑)
高崎は観音様とだるまさん。 よい街ですね~。
伊香保温泉の帰りに寄ったことがあります。
それにしても、関東平野。 広くいて素晴しいですね。
こんないい場所を、家康に与えてしまった秀吉は何考えていたのでしょうか…。
いつも、不思議に思ってます。(笑)
こんばんわ
〇〇銀座の名前で親しまれた商店街、我々の世代には、何らかの思い出として刻まれているのではないでしょうか?
僕の記憶では、賑やかな高度成長期の繁栄の象徴として刻まれています。
上海の街は、コロナ前も変わり続けていましたから見た目の変化よりも人々の心の変化かな、と思います。
件の上海人の友人は、中国のコロナが一旦収束した時に中国の永住権を取得しました。彼は中国籍を捨て、日本国籍を取りながら、あらためて中国の永住権。高齢の母親の存在もありますが、永住権を取得した時は、「やっぱり中国が一番安心だ」と誇らしそうに話していました。
次の次ぐらいに不定期連載「人民中国の残影」を書こうと思っています。乞うご期待!
では、また
件の商店街の衰退は、寂しいですが、むずかしいようです。
テレビで放映される東京の昭和風情の商店街も賑わうのは土、日だけで、平日は休業が多いようです。観光客で賑わっていたので、コロナ影響もあるようですし。
Maruさんは、ご存知でしょうが、中国内の地方ごとの偏見など、日本人の理解を越えるものがあります。
実は、上海法人の機能の大半を山東省に移すのですが、中国の地方間の偏見、格差・・・を普通の日本人は理解できないようで、苦労することしばしば。
では、また。
もちろん、仕事ですよ、今回は。
それにしても、アミさんは、ご主人と仲良いのですねぇ、羨ましい。
関西だって、素晴らしいんじゃないかなぁ、関西は、知らないところ多いけど。(笑)
では、また。
卵とじは好きじゃないけれどタレカツ丼は好きなんです。
福井、新潟と食べ比べしないと。
上海は確かにあんなに大変そうなのに「加油」が全く聞こえませんでしたね。
上海は便利だけれど北京の方が人がいい、とは在住外国人も言っていましたっけ。
高崎は、隠れた名物があるみたいです。
パスタも名物のようです。(僕が知らなかっただけかも)
ソースかつ丼は、会津でも名物。新潟は、最近知りました。福井は知らなかったです。
次は50円プラスの玉子ひきを食べたいと思っています。「とじ」ではありません、あくまで「敷」ですね。
僕は上海の方が、馴染みなんですが、北京人は、「堅い」「整然」「地味(≒野暮ったい)」感じですね。
では、また。
注意が必要でしょう。