2021年の記録
山手イタリア山庭園にある横浜の西洋館のジオラマ。
横浜市の石川町まで、約1時間半。8月最後の土曜日の朝、早めにワラビスタンを出発して、2~3時間散策、帰宅してから遅い昼食。横浜には何度も行っているが、山手の洋館巡りをするのは初めてのことだ。
外交官の家は、1910年(明治43年)に明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられた塔屋付き木造2階建の西洋館である。1997年(平成9年)に内田定槌の孫の宮入久子から横浜市に寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元され、国の重要文化財に指定それた。
ブラフ18番館は、大正末期の関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として1991年(平成3年)まで使用されていた。同年に横浜市が部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元した。
山手イタリア山庭園を出たところで、周辺の風景に溶け込んだお洒落なレンガ造りの特徴的な一般住宅を見つけた。
山手カトリック教会は、禁教令の緩和直後、横浜居留地(現在の山下町)にパリ外国宣教会が創建した横浜天主堂が、1906年(明治39年)現在地に移転した。関東大震災で倒壊後1933年(昭和8年)に再建された。尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築で、日本一美しい聖堂とも呼ばれている。
山手公園の入り口に横浜山手テニス発祥記念館がある。山手公園&テニス発祥120周年を記念して建設された建物で、ぱっと見洋館風の建物だが、歴史的な価値があるという訳ではない。それでも建築後31年、時とともに味がでてくるかもしれない。竣工したときから歴史的建造物などないのだから。
山手68番館は、公園の最奥部にある。1934年(昭和9年)に、外国人向け賃貸住宅として山手68番地に建てられた平屋建ての洋館で、1986年(昭和61年)に現在地へ移築され、山手公園管理事務所として、また横浜市営のテニスコート利用者のためのレストハウスとして活用されている現役である。
ベーリック・ホールは、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として、1930年(昭和5年)に建設それた。山手地区に現存する、戦前からある住宅としては最大規模の地上2階・地下1階建で、地下は鉄筋コンクリート構造、地上部分は木造建築である。スパニッシュ様式で、クリーム色の壁やオレンジ色のスパニッシュ瓦、アーチ型の玄関ポーチ、クワットレフォイル(英語版)と呼ばれる窓の様式などに特徴が現れている。
ベリック没後にカトリック・マリア会に寄贈され、同会の運営するセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用され「ベーリック・ホール」と命名それた。
2000年(平成12年)に同校が閉校となったのちは横浜市が敷地を取得し、建物も市に寄贈され一般公開されるとともに結婚式場として貸し出しも行われている。
スイス人貿易商フリッツ・エリスマンの邸宅として、1926年(昭和元年)に山手127番地(現在地より南東に400mほどの位置)に建設された地上2階・地下1階建の木造建築である。1982年(昭和57年)に解体され部材を横浜市が買い取り、1990年(平成2年)に元町公園内に移築・復元した。
山手234番館は、関東大震災後に外国人向けの集合住宅(3LDKの同一形式4戸からなる)として、1927年(昭和2年)に竣工している。地上2階建木造建築で寄棟造の屋根はセメント瓦で葺かれた。
1980年(昭和55年)ごろまで外国人向けアパートメントとして使用されていた。1997年(平成9年)に保全改修工事が行われ、1999年(平成11年)には横浜市認定歴史的建造物に選定された。
横浜山手聖公会は、外壁は大谷石を使ったノルマン様式の聖堂として1931年(昭和6年)竣工。1945年(昭和20年)横浜大空襲により内部を焼失、1947年(昭和22年)聖堂再建、1993年(平成5年) 聖堂修復、2005年(平成17年)1月4日 放火と思われる火災により内部を全焼、11月に修復完成と波乱の歴史を持つ。
山手資料館は、横浜市諏訪町の牧場経営者が、1909年(明治42年)に建設した邸宅で、当初は和風住宅に洋館が連結した和洋折衷の大邸宅であった。洋館部分を旧牧場地に移築し、さらに1977年(昭和52年)に現在地に再移築され、民間の資料館として利用されている。
山手十番館は、1967年(昭和42年)明治100年を記念して建てられた異国情緒を感じる建物である。いわゆる歴史的建築物ではないが、すでに半世紀以上の歳月を経ている。1階はカフェ、2階はフレンチレストランとして使われている。
横浜市イギリス館は、1937年に鉄筋コンクリート構造地上2階・地下1階建のイギリス総領事公邸として竣工した。
アメリカ人の両替商ラフィンが、結婚する長男のために1926年(大正15年)に建てた山手111番館は、地上2階・地下1階建で、地上部分は木造、地下は鉄筋コンクリート構造。スタッコ仕上げの外壁と赤い瓦で、スパニッシュスタイルでまとめられている。
【メモ】
8月31日、アメリカ軍のアフガニスタン撤退が完了。アフガニスタンでは、タリバン政権下のカオスが始まった。
明らかになったことは、「西側の価値観(≒民主主義)は、すべての国で人々を幸せにするとは限らない」 ということ。20年間、数えきれない人命が失われ、250兆円もの巨費を投じてもアフガニスタンの人は、これっぽっちも幸せになれなかった。アメリカ(連合国)による統治で、民主主義が根付いた日本は、希有な存在だったのかもしれない。
そもそも、日本で見聞きする報道の大半は、日本を含めた西側報道機関の目を通したもの。報道は事実を伝えるが、1つの報道では真実を伝えられない。西側の価値観で、無意識の取捨選択がなされている。アフガニスタンの真実に触れたければ、アルジャジーラ(カタールに本社を置くイスラーム視点の衛星TV局)を視聴する程度の努力は必要だ。
旅は続く