Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ ホッシュ 東トルキスタン!

2023-08-20 22:55:57 | 旅行

2016年の記録

東トルキスタンへの想いを断ち切れず、再訪。素敵な人々の再会、息をのむ絶景散策の幸せな日々も終わり、帰路 ウルムチ・上海空路の記録。

 

 

東トルキスタンは、カラッカラに乾燥した土漠の彼方に雪をいただく天山を望む。

 

 

地図を眺めると、中国のすぐ先には、中東なのが良くわかる。

 

 

オアシス都市、土漠の荒野から遠くにあった天山の雪が、間近に迫る。

 

 

青々とした山々、水の張られた棚田が見える。四川省、貴州省、湖南省まで来たのだろう。

 

 

【JUST NOW】

かなり政治的なことを書く。

 

“東トルキスタン”という言葉を使うと、独立支持者と思われるかもしれないが、僕自身は、まったく逆、つまり「独立はウイグルの人たちを幸せにしない」と確信している。「なぁ~んだ、Zhenは、中共の回し者かよ。」ってことではない。

 

誤解を恐れずに書くと、リアルなウイグルを知ると、民度(住民の生活の貧富や文明の進歩の程度) の低さを否めない。日本人ならもちろん漢族ならば、誰もが知っている知識さえ持ち合わせていないのである。

中国政府の資金投下がなくなれば、すでにあるインフラ(空港、鉄道、道路、通信、エネルギーほか)も機能しなくなるだろう。貧困化→貧富の差の拡大とともに(中共政権といった“共通の敵”を失い)まとまっていたはずのウイグルの民族内対立が生じる。その負の連鎖の先にあるものは、内戦やバラマキ選挙によって生まれる独裁政権だ。

それは、僕の妄想ではない。欧州宗主国の植民地から独立した多くのアフリカ新興国の現実である。また、ウイグル自治区内には、カザフ族、キルギス族、タジク族といった少数民族も居住している。彼らは、ウイグル族と違って、カザフスタン共和国、キルギス共和国、タジキスタン共和国といった民族の独立国があり、往来の自由もある。それにも関わらず、中国内に留まる理由ってなんだろうと考えた時、経済的基盤のない地域、民族が独立したところで、幸せが待っている訳のないことを実感しているのではないだろうか? いずれの独立国も経済的に恵まれていないし、政治的な自由がある訳でもない。

中共政府に求めるべきは、政治的な自由ではなく、文化(言語、宗教)的な自由なのだと思う。

 

朝鮮族の友人が、満州族のことを“気の毒な人々”と言ったことがあった。多くの朝鮮族が、漢語とともにハングル語を使える。それに対し、多くの満州族は、満州語が使えない。実際、満州族の知人は、満州語研究者の日本人教官から満州語を教わったと話していた。言語は、民族の基本的なアイデンティティである。

 

 

旅は続く


東トルキスタンの青い空/クチャ 第5回

2023-08-14 22:40:52 | 旅行

2016年の記録

東トルキスタンへの想いを断ち切れず、再訪したクチャを離れる日が来た。郊外の景勝地を恩人・Rさんのタクシーで、クチャ郊外を観光した時の記録。

 

 

オアシス都市のクチャ市街を外れると、赤茶けた土漠が、どこまでも、どこまでも続く。

 

 

クチャの南は、なだらかなタクラマカン沙漠が続くが、逆方向の北方は、赤茶けた岩山と土漠が続く。

 

 

“金字塔自然旅游区:雅丹地貌”、和訳すると“ピラミッド自然観光エリア:ヤルダン地形”といったところか。(Zhen訳) ピラミッドの形をした岩山ということだが、かなり無理がある。なお、ヤルダン地形とは、風雨などによって、地面の柔らかい部分が侵食されて、堅い岩部分が、小山または堆積物のように数多く残る乾燥帯を指し、中央アジアなどによく見られる地形である。

 

 

ポタラ(布達拉)宮景点は、チベット自治区ラサのポタラ宮の形をした岩山が見えるところなのだが、これも無理がある命名かな。カラッカラに乾燥した岩山の眼下を雪解けの水が流れる光景は、なかなかの見応えがある。

 

 

目的地の天山神秘大峡谷の手前にあるキジリア勝景。“キジル”は、ウイグル語の“赤”を意味する。

はじめてRさんを撮影させてもらったが、愛車の前での直立不動になってしまうところが、実直な漢族らしい。(笑)

 

 

最終目的地・天山神秘大峡谷、クチャの自然景観では、僕のお薦め。見ての通りの赤茶けた岩山の間を進む。“東洋のグランドキャニオン”といった説明書きがされていることもあるが、“Red rocky mountain”として、東洋の××といったイミテーションにする必要のない凄さがある。

 

 

前回の訪問時は、まだまだ先に道があり、最奥部に到達できずに引き返してきた。今回は、崩落のため先に進めず、安全第一で、引き返すことにした。(入山口ケートから約1時間弱の地点)

 

 

一本道なのだが、登りと降りでは、景色も微妙に異なる。良くも悪くも、すれ違う入山者は皆無。

 

 

「1ヶ所くらいは、有名観光地に寄ろうよ」と、Rさんの提案で立ち寄ったのが、スパシ故城。

スパシ故城は、「大唐西域記」(唐僧玄奘が天竺インドまでの見聞を口述し、弟子の弁機がそれを筆録したもので、フィクション作品「西遊記」の基。) で言及されているアーシュチャリニ寺と考えられ、それが正しければ亀茲国最大の仏教寺院で、第一次大谷探検隊も訪れている。2014年に世界遺産に登録された「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の構成資産でもある。

 

 

【JUST NOW】

2023年、今までで一番暑い夏に思える、まったくの個人的な感覚だけど。オフィスで仕事をしている、あるいは、ライオン宮殿で、グダグダしていれば、暑い、涼しいは、クーラーの効き如何なのだが・・・・・・。世界中、四季を通じて、睡眠時は、エアコンをオフにしている。そもそも、訳あって、ここしばらくは、エアコンのない農家で、日中をすごしている。

 

日々の暑さ、台風の異常な動きを見ていると、やっぱり“地球温暖化”が、確実に進行しているのかな、との思いに至る。“地球温暖化”のいやらしいところは、“茹でガエル” のように少しずつ気温が上昇していき、解っちゃいるけど、緊急事態にならないことだ。ほんとうは、ロシア・ウクライナ戦争などといった二酸化炭素を大量発生させる破壊活動などやっている場合ではないのだ。我々にしても、不要不急に関わらず、徒歩と自転車にシフトしなくてはならないのかもしれない。でも、そんなことを考えている人は、極めて少なく、ガソリン代が高騰しているからクルマの利用を控える程度なのだ。偉そうなことを書いている僕自身が、二酸化炭素排出抑制に真剣に取り組んでいるとは言い難い。

 

ある研究者は、「“地球温暖化”は、閾値を超えると進行を止めることができなくなる」と発信している。気温上昇のため、エアコンをガンガン使うと、そのための電力が必要になり、その発電で、多量の二酸化炭素を排出する。すると、気温上昇が進む、無限ループである。

 

二酸化炭素を排出しない発電、いわゆる再エネ(太陽光、風力、地熱、水力発電)で、必要な電気を賄えるかというと、期待できない。だからといって、原発に傾注できるかというと、別の問題で、「No!」だろう。

 

そこまで解っていても、「何とかなる」と思っている脳天気な我々は、“茹でガエル”以下の存在でしかないのだ。

 

 

旅は続く


東トルキスタンの青い空/ クチャ 第4回

2023-08-02 23:43:08 | 旅行

2016年の記録

カシュガルのマヌケなシクジリから1年、やっぱり東トルキスタンへの想いを断ち切れず、お世話になった人たちのいるクチャを再訪した時の記録。

 

 

ウイグルの人たちが、ナン、ラグメン、ポロ・・・・といった主食を、どのような比率で食べているのか知らないが、ナン屋が、町のあちこちにあることは間違いない。まぁ、ラグメンは小麦粉から、ポロは白米から自宅で作れるが、自宅に窯があって、ナンを焼く家庭は少ないのだろう。

 

 

地図を眺めると、あらためて東トルキスタンが、西域であることを実感する。夕陽の時刻の西行のフライトでは、何時間も夕陽を見続けることになる。

 

 

かつては、馬、ロバが荷車を牽いていたのだろうが、今は、電動スクータが、あたりまえになってしまった。中国東北部の方が、馬、ロバが、依然として活躍している。

 

 

使っていないのかもしれないが、綺麗な状態のナン窯。

 

 

町の小さなモスク、モスクがレストランを経営しているのではないと思うが、人の集まるところでレストランを営業するのは、自然の流れ。

 

 

紺色の服を着て、両手ピースサインの中央にいる男の子以外は、すべて女の子。幼い女の子が、坊主頭なのは、「1度坊主にすると、その後に美しい髪になる。」というウイグルの慣わしによる。幼くてもピアスをし、スカートをあげて、目一杯のおしゃれアピールが、可愛い。

 

 

街区を抜けるとポプラ並木があり、その奥には、カラート(地下水路)から引いた冷たい水が、農地を潤す。番をしているのか、遊んでいるのか、棍棒を持った男の子が一人。

 

 

街から外れたところに廃虚化したモスクがあった。

 

 

再び街区に戻る。

たいてい、ナンを焼く窯は、店先にあり、店舗の中で小麦粉を捏ねて生地を作り、小窓から差し出してナンを焼く。一連の作業は、リズミカルで、見ていても心地よい。熱い窯にナン生地を貼り付け、すぐに取り出す作業は、なかなかの重労働なんだけどね。

 

 

イスラム帽に顎髭、ウイグルのおじいちゃんのスタンダード。一方、ヒジャブで髪を隠す敬虔なムスリムのおばあちゃんは、最初は横を向いてしまったが、ちょっと片言で会話をしたら快く撮影に応じてくれた。盗撮、無理強いは、もちろんのこと、説得もご法度だ。

 

 

クマのぬいぐるみを持った男の子の足元。なぜか、この類のゴミ(アイスクリームや牛乳の包装)が、ポツンと1個だけ落ちていることが、あるんだよなぁ~。

 

 

異邦人に対するオヤジの笑顔って、商売の下心でもないと、なかにか目にしないが、東トルキスタンに限っては、街中に溢れている。

 

 

東トルキスタンは、夏になるとハミ瓜、西瓜、葡萄・・・・と果物が豊富だが、5月にはバナナ、林檎、キウイ、サクランボまでもが移入されている。1年中、果物が豊富で、廉価なのは、中国共通。

 

 

三輪の電動荷車に乗った3人が親子なのか、否かは、わからないけれど、ウイグル人の中にも、そして親子間でも、浅黒い肌の黒髪もいれば、色白の栗毛もいる。東西、様々な民族の交流を感じてしまう。

 

 

6枚目の写真の女の子グループと再び遭遇、あらためて撮影に応じてもらう、と言うよりせがまれてカシャ。彼女たちが、悲しい涙を流すことがない世界を作ることが、僕たち大人に果された義務だ。

 

 

【JUST NOW】

今年の土用の丑の日・7月30日を避けて、前日の29日に鰻を頂いた。以前に書いたかもしれないが、僕は、「最後の晩餐は、鰻の蒲焼」と決めているほどの鰻好きだ。

ご存知のように、鰻の稚魚は、天然捕獲に頼っている。それなのに調理を効率化して、販価を安くすれば、大量消費が進み、天然資源の稚魚が枯渇するのは、火を見るより明らかだ。鰻の完全養殖が実現するまでは、修練を重ねた職人だけに調理を許し、高嶺の花のままにしておくべきだと思っている。美味い鰻の蒲焼ほど、美味いものはないと思っているので、孫の代にも食べてもらいたい。そのためにも、稚魚と職人技を継承しなくてはならないと思っている。

 

 

旅は続く