<管理人より>
1月の19日行動で「戦争をさせない1000人委員会」の弁護士さんから韓国徴用工問題について正しい理解をしてほしいというスピーチがあったとのことです。当日のネットワークの参加者からもわかりにくかったという声があったということで、徴用工など戦後補償に関する日本政府の対処や見解について安倍首相、河野外相の言説を検証する情報のご寄稿を大久保厚さんからいただきました。
以下、大久保さんのご寄稿を紹介いたします。
【情報】徴用工など戦後補償に関する日本政府の対処見解の変遷について
岩波書店『世界』1月号「世界の潮」に『韓国徴用工判決「解釈」を変えたのは誰か?』との記事(著者:山本晴太)が掲載された。
この記事は、日本政府の戦後賠償に関する対処経緯とその変遷を取り上げており、日本政府の「国際法上あり得ない判決」(安倍首相)、「両国関係の法的基盤を根本から覆す暴挙」(河野外相)とのコメントを検証する上で有用であり、紹介したい。
経緯①:広島の原爆被爆者、シベリア抑留者訴訟への対処
1951年サンフランシスコ条約及び1956年日ソ共同宣言にて「その国民のすべての請求権を放棄する」との条項に対して、広島の原爆被爆者やシベリア抑留被害者が日本国に対して補償請求訴訟を起こした。その主張は、「日本政府は、損害賠償請求権を消滅させたので、それに代わる補償をすべきである」ということにあった。
日本政府はこれに対して1963年12月東京地裁裁判で「条約によって放棄したのは、外国と交渉する国家の権利(外交保護権)のみであ」り、「国民自身の請求権はこれによって消滅しない」から、日本国は「被害者に補償する責任はない」と主張した。
経緯②:日韓請求権協定締結時対応
1965年日韓請求権協定は、両国と国民の財産、権利、利益及び請求権を「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認した」と規定したが、締結当初から、上記(経緯①)主旨の解釈を維持していた。朝鮮半島に資産を残す日本人から日本政府への補償を求める訴訟に対処するためである。
経緯③:外務省の基本見解
1991年3月外務省はシベリア抑留で「外交保護権」を放棄した以上、国として何もできないので個人がこれを行使したければ、ソ連の国内法に従って行使するしかない」と答弁し(3月26日参議院内閣委)、91年8月、日本の国内法の手続きに従い、日本で訴訟を提起した韓国人訴訟に対して、この答弁と矛盾する答弁はできず、「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的意味で消滅させたということではありません。」と答弁した。(8月27日参議院予算委柳井俊二外務省条約局長)。これが現在まで外務省ホームジページにも掲載される「外務省調査月報」である。
経緯④:解釈の突然変更
政府は2000年頃から戦後賠償裁判で企業と国に不利な判決が出はじめると解釈を変更し、「条約で解決ずみ」と主張し始める。日本人被害者には「加害国の国内手続きにより請求する道が残っているので、日本には補償責任はない」とするが、外国人被害者には、「条約により日本の国内手続きで請求することは、不可能になったので、日本は補償責任がない」と変更した。つまり、「個人の実体的権利は消滅しないが、訴訟によっては行使することができなくなった」という内容に変更されたのである。
(筆者注:2000年頃とあるが、中国人強制連行事件としても著名な花岡事件は2000年11月29日東京高裁で和解が成立した。この「五億円規模の基金設立」の波及効果を恐れて、この解釈変更がされたのだと思う。)
経緯⑤:最高裁判例:日本政府解釈変更を追認
2007年4月27日最高裁は、上記解釈の変更を支持する判決をする。サンフランシスコ平和条約の枠組みとして「民事訴訟上の権利行使はできない」とした。しかし、判決末尾に以下の原文にある「個別具体的な請求権そのものは消滅していない」ことを認めた。
(筆者注:西松建設中国人強制連行事件:判決原文)
「サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても、個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ、本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」。
(筆者注)上記 西松建設中国人強制連行事件:判決原文にある「更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情」とは、徴用工を受け入れた企業が戦後1946年「被害を被った」として受け取った総額5672万円(当時の金額)の補償金のことを指す。
経緯⑥:2007年9月地裁判決:最高裁判例を援用
「サンフランシスコ条約の枠組み」として訴訟による権利行使を不能とする最高裁判決は、日韓請求権協定に対して同じ解釈を適用し、韓国人被害者訴訟も、この最高裁判例を援用し、「個人の請求権が消滅したのではないが請求権協定により訴訟で請求できなくなった」と主張し、地裁がこれを認める判決を出した。(2007年9月19日富山地裁判決)
結語:問題の本質
①日本政府は国際司法裁判所への提訴を検討するというが、日韓で争う余地があるとすれば、それは「請求権協定によって権利行使ができなくなった」という日本の最高裁と政府の見解の是非である。
日韓両国に裁判を受ける権利を保障することを義務付けられた国際人権規約の下では、「個人の実体的権利は消滅しないが、訴訟によっては行使することができなくなった」とする主張こそ、「国際法上あり得ない判断」である。
②また企業は、国家政策に従って徴用工を使用したのであり、政府は、本来その和解に積極的に関与すべき立場にある。現在の政権には期待すべくもないが、被害者個人と民間企業の訴訟に介入し、支払いと和解を妨害し、事実を隠蔽したまま、隣国への憎悪を煽ることだけはやめるべきである。
※(管理人)冒頭の写真は、岩波書店『世界』2019年1月号の表紙。わかりにくかったのは日本政府が解釈を変えていたせいだったようです。日本人が外国に補償請求する際は個人の請求権は消えていないといい、外国人が日本に補償請求するようになるとその解釈が差し障るからと。自分に都合よく主張をころころ変えている日本政府。確かに恥ずかしい限りです。
(管理人追記)
大久保さんからの追加の注記にあった補償金はどこが払ったのかお聞きしました。
>徴用工を受け入れた企業が戦後1946年「被害を被った」として受け取った総額5672万円(当時の金額)の補償金
大久保さんからの回答は以下です。
「日本政府です。実際に補助金を受けた企業は35社でした。この企業で現在存在する企業は20社前後のようです。とすると35社平均金額は8億1千万円になります。花岡事件で鹿島建設が拠出した5億円でも収支は成り立つと計算できますね。」
戦後のどさくさに紛れて戦前からの企業がたちゆくように国庫から支払ったのでしょうか?日本は国民全体で納得できるような戦争の総括ができていないことが今に至る禍根を残していることを痛感しました。
なお、『世界』2月号「特集2 戦争の記憶と向き合いつづける」に弁護士の内田雅敏さんの『提言 強制労働問題の和解への道筋-花岡、西松、三菱マテリアルの事例に学ぶ』が掲載されています。