9月10日は大好きだったおばさんの命日。
母のところに行って「今日はばあばんの命日やから写真見よか」と言うと、
「よう知ってるね」と。
亡くなってからもう40年も経つ。
数年前までその日を知らず、母が家計簿を整理した時に見つけたよと教えてくれたのだった。
「ママが教えてくれたよ」と言い、私の2番目のアルバムを見始めた。
生まれて数ヶ月から始まっている。私の知らないうちにアルバムが古くて汚くなったと新しく貼り替えていたが、それももう古くなっていた。
貼り替えたのを知った時はすごく悲しくて、「そういうのは古いからいいのに…」と少しばかりの憤りと虚しさを訴えた。そんなこと言っても仕方ないのに…
「きれいに出来たね」と言ってあげればよかった。
話を戻しましょう。
母とアルバムを見て、ああそうだったのかと思ったことがたくさんあったのでここに残そうと思います。
ばあばんの歳は今まで全然わからなかったのだけど、この日は45歳くらいやったかな?と話してくれた。それだと母より20歳くらい上だ。
私が遊んでもらっていた頃、それくらいの歳だったのかとその日初めて知った。それにしても母は今まで「さあ何歳くらいやったかなぁ」と言うばかりだったのに、突然思い出したように言った。なんか認知症のせいなのかしら?昔の記憶が鮮明になったの?
久しぶりに見る私の写真に
「男の子みたいや。えっこんな顔してた?全然思い出されへんわ。自分でわかる?男の子みたいやけどかわいいわ」と言う。
「髪が坊ちゃん刈りみたいやからと違う?誰が切ったの?」と聞くと、
「小さい時はみんな坊ちゃん刈りやったよ」と。
「1歳にならへんうちに歩いてたわ、早かってんよ10ヶ月くらいやったかな 1歳過ぎてもまだ歩けへんって言うてる人もいてた」
これは見てるあいだ何回も言っていた。母も初めての子が早く歩いて嬉しかったみたいだ。
「パンツ履いてなかった時に、おしっこしたあとにおしっこって言うから、「おしっこする前に言わなあかんやん」て背中ちょっとたたいたら手の形が赤くついて、「手のかたちついてるわ」って笑っててん」と言うので
「それ虐待やん」というと
「違うわ、小さいときはちょっと触っただけでも赤くなるねんやん。手のかたちついてておかしかったわ」と。
写真がなくてもてっばんのおもしろ話だったみたいで、その時も笑いながら話してくれた。
乳母車が最新式だったようだ。このことは前から聞いていて知ってたのだけど、
「こんな乳母車誰も持ってなくて初めてやった。みんな編んだカゴみたいなんやってん。ハイカラなん珍しかってんよ。大丸まで買いに行ってん」と。
私の記憶では確かばあばんが買ってくれたと思う。
若夫婦だったウチと違って子どものいないはあばんのウチはとても裕福だった。
「この頃の服全部作っててんよ。子どもいてるのにようやるわって言われてたわ」
そのことはアルバムにも「私の服はみんなママの手作りです」って書いてあった。
「ママとお揃いで作ってたんでしょ」と言うと、
「そうこれ、お揃いで作ってたわ。と写ってる写真を指差した。「ほんとようやってたわ。今やったらでけへんねー」と。
1歳5ヶ月
屋上で乗り物に乗っている。
「大丸や阪急によう行ってたわ。乗ってて降りてきたらまたすぐ乗るって何べんも乗ってたわ」
へぇ〜全然知らなかった。私はわりと聞きわけのいい子だったので一回乗ったら満足していたのだと思っていた。意外。
もっと色々話して発見があったはずなのだけど、また何かの機会に思い出すことでしょう。
一緒にアルバムを見てあれこれ話すのは面白くて。
母の認知機能もうんとアップしたのでは?
今度実家に行ったら、もっともっとたくさんのアルバムを送ってまたたくさん話したい。
※じつは今母のところで書いています。すでに11日に書いていて写真を入れようと4時頃来てアルバムを撮って…
母の写真をボカそうかと思ったけどそのままにしました。
母は今相撲に見入っています。