戦後の復興を象徴するできごとのひとつに、マナスル遠征がある。3回にわたる遠征の物語は、私が小学生のときには国語の教科書に載っていた。
ヒマラヤの未踏峰マナスルに国を挙げて挑んだ日本の登山隊は、苦心惨憺、3回目の遠征でついに登頂に成功した。その粘り強い努力のなかで、特に印象深いのは第1次遠征隊の登頂断念である。
第1次隊のメンバーは、国民の期待を背負い、日本初のヒマラヤ登山に挑んだ。われわれは「第1次」遠征隊とよぶが、彼ら自身は次はないと思っていただろう。海外渡航もヒマラヤ入りも、現在とは比較にならない困難をともなった。その彼らが、山頂を目前にして前進をやめ、引き返した。酸素ボンベの残量が足りなくなったからである。アタック隊の少数精鋭は、あとわずかのところまで迫っていた。しかし、リーダーは危ない橋を渡ることを許さず、登頂中止を指示したのである。
この「引き返す勇気」は本当の勇気として、国の内外から広く賞賛されたという。
ヒマラヤの未踏峰マナスルに国を挙げて挑んだ日本の登山隊は、苦心惨憺、3回目の遠征でついに登頂に成功した。その粘り強い努力のなかで、特に印象深いのは第1次遠征隊の登頂断念である。
第1次隊のメンバーは、国民の期待を背負い、日本初のヒマラヤ登山に挑んだ。われわれは「第1次」遠征隊とよぶが、彼ら自身は次はないと思っていただろう。海外渡航もヒマラヤ入りも、現在とは比較にならない困難をともなった。その彼らが、山頂を目前にして前進をやめ、引き返した。酸素ボンベの残量が足りなくなったからである。アタック隊の少数精鋭は、あとわずかのところまで迫っていた。しかし、リーダーは危ない橋を渡ることを許さず、登頂中止を指示したのである。
この「引き返す勇気」は本当の勇気として、国の内外から広く賞賛されたという。