1月1日の記事に引き続き香月美夜『本好きの下剋上』の話です。大長編だし設定が丁寧でしっかりしているので事細かに語ると延々と語れそうなのですが、ちょっと大まとめの評価をしてみたいと思います。内容にかなり踏み込みますので【ネタバレ注意】です。
前回紹介した通り、出だしは下層階級から見たリアルで地味な展開ですが、『第2部:神殿の見込み巫女見習い』に入るあたりから、実はマインには強力な魔力があることがわかってきて、「やっぱりチートかあ」となります。が、それでつまらなくはならないのでご安心を。話しが進むにつれてわかってくるのですが、マインの魔力はこの異世界でも常識外れに近いような超強力な魔力でまさに典型的なチートなのですが、そうなるべき理論武装もちゃんとそれなりにできているのがすごいところです。
ただしそのコントロールはうまくできなくて、魔力に関する知識など皆無のマイン/麗乃(うらの)自身も戸惑うばかり。周囲は「魔力の暴走」を抑えるべくあたふたする始末です。あれ、なんだか『ワールドトリガー』の千佳ちゃんと重なってくる(^_^)。いや千佳ちゃんは暴走はしないけど。
先にも述べたようにこの作品はもともとweb版として発表されていますが、書籍化にあたり幾分手直しされています。私の見るところ、さすがに書籍の方が細かい表現が良くなっているように思えます。が、主人公以外の視点のエピソードのいくつかが書籍版ではなくなっています。お奨めとしては、書籍版をまず読んだ後にweb版にしかないエピソードを楽しんだり、書籍版との違いを楽しんだりするのが良いのではないでしょうか。まあ、書籍版になってない部分を早く読みたい、先が待ちきれない、という人は仕方ありませんが。実は私自身も現時点でweb版の最後まではあえて読んでいません。
さてこの作品の見どころ/よくできているところのひとつは、多様な価値観の持主の視点を見せてくれる点です。書き方の工夫としても、頻繁に主人公以外の視点のエピソードがはさまれていて楽しめますが、それが実に様々なのです[*1]。この異世界の人々の常識が現代の日本人であった麗乃(うらの)の常識とは異なるのは当然ですが、この世界でも貴族と平民の常識は違いますし、平民の中でも職業や経済状況により常識に大きな違いがあります。『第1部:兵士の娘』では貧しい職人の子のルッツと富裕な商人であるベンノの子供時代との違いがそれとなく描かれて、両者の落差を見せてくれます。
そして現代人なら大きな落差を感じるだろう点は貴族の倫理観です。『第2部:神殿の見込み巫女見習い』では「平民だから」という理由だけでマインを見下しイジワルをする典型的な「悪役上流階級者」の神殿長とかシキコーザなどという輩が登場します。神殿長などは現代の日本人から見ると、立場を利用して善良な平民を苦しめたり汚職のやり放題の悪い奴なんですが、マインの保護者となったフェルディナンド曰く、「それは別に悪いことではなかろう」。では何が罪に問われたのかと言えば「領主への攻撃・反逆に決まっているではないか」。
それだけではありません。『第3部:領主の養女』に至りマインはついに貴族に成り上がるのですが、そこで気持ちの良い友人や家族も得ます。ところがあるとき、マインのために作られた建物がそこの土地の住民(多くは農民)に襲撃されるという事件が起きます。魔力で守られていたおかげで建物にも傷ひとつ付かずマインは大したことでもないと考えたのですが、それを聞いたふだんはとても気持ちの良い人達の反応が「領主の建物への攻撃ではないか。なぜすぐに奴らを討伐しないのだ。」・・・。まるで人を襲った野生動物を駆除するみたいな感覚ではありませんか! そう、普通の貴族の心の中では平民の命は家畜や野獣の命なみに軽いのです。『第1部:兵士の娘』ではベンノが貴族を怒らせることを異常に恐れていて、少々オーバーな印象も受けていたのですが、貴族の常識がこんなものだとしたら、ベンノが慎重すぎるほどに恐れるのも当然だと納得がいきました。
要するに貴族社会の犯罪概念の大きな柱が「上位者には絶対服従」ということなのです。貴族も大まかには上級貴族、中級貴族、下級貴族と別れますが、個々人の間にも必ず上下関係が決められており、上位と下位との間の挨拶に決まりがあります。当然、この領地内では領主が最高位ですが、領地外ではまた領地間の上下関係というものもあるようで、まさに延々と梯子のように続く順位制社会、ニワトリのごとき「つつきの順位」です[*2]。
とはいえ彼らも我々と同じ普通の倫理観も持っているわけで、それは時に、いや恐らくは頻繁にこの「上位者には絶対服従」という犯罪概念と衝突するでしょう。ゆえにフェルディナンドも一時はいやいやながら神殿長の言い分(貴族の犯罪概念からはこちらが正義)を受け入れてマインを罪に問う寸前までいったのです。それが状況が変わるや大喜びで、貴族の正義にのっとって神殿長を罪に問うたのでした。貴族たちも本音のどこかでは「上位者には絶対服従」なんて本当の正義ではないとも思っているのでしょう。いや必ずしもそうでもないかも知れません。さすがに他人の心はよくわからない。
さてこの貴族間の順位には魔力の強さというひとつの裏づけがあります。魔力に差があると、そもそも戦闘力が違ってきます。肉体的には到底戦闘などに適さないような貴族でも、魔力ゆえにプロの兵士であるマインの父親を一蹴できたりするほどです。また魔力の強い者は、その力でそれだけ社会に貢献しているという面もあります。ゆえに領主や家の当主の決定には魔力の強さが大きな要素になっていて、それなりに実力社会の面があります。となると逆に、貴族の生まれなのに魔力が弱いと貴族社会では肩身が狭くなり、例えば神殿に追い払われるなどということになったりします。とはいえいくら魔力の弱い子といえども親族の情というものはあり、不自由しないだけの手当てはしてくれる、というのが既に述べた神殿長などの状況なのでした。しかし、このように魔力の弱い子も十分に保護できるほど経済的余裕のある貴族ばかりではなく、下級貴族ともなるとやむなく××××などという哀れなことにもなるという話もまた語られます。実際、貧しい貴族よりも平民である金持ち商人の方が経済的には豊かということもあるのは、我々の実際の歴史上でも普通にあったのと同じです。
では魔力さえ強ければのし上がれるかと言えばそうではなくて、たまたま魔力を持って生まれた平民は、契約魔術で縛られて単なる魔力供給源になり果てるのが普通、というちょっと理不尽な格差社会になっています。マインもあやうくそうなりかけるところをどう切り抜けたかというのもひとつの見どころになります。
このように魔力の存在とその性質が人間社会やひいては人々の心に大きな影響を与えているのですが、さらに宗教にも影響を与えています。その話は次回としましょう。大まとめの評価jまでゆけませんでしたm(_ _)m。
【誤字訂正】(2019/03/12)
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Ref-1) 香月美夜『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第三部「領主の養女V」』TOブックス(2017/09/09)
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*1) 複数の登場人物の視点を描くという手法そのものは、現在では多くの作家が使いこなす定跡的手法になっているらしい。読者は多様だから主人公よりも他の登場人物が好きとか感情移入できるとかいうことは普通のことで、複数の視点をしっかり描けばそれだけファンが増えて読者が増えるという効果がある。私自身も男性だからだろうが、主人公のマインよりも周囲のナイト連中への感情移入が強かったりする。そう、ナイナイずくしの境遇からのスタートなのだが、気が付けば多くのナイトが助けてくれるお姫様状態になっている! しかも同性のナイトも現れるし。
*2) つつきの順位については以下を参照。
a) wikipedia「順位制」
b) ニワトリの順位制のNaverまとめ(2015/07/24)
前回紹介した通り、出だしは下層階級から見たリアルで地味な展開ですが、『第2部:神殿の
ただしそのコントロールはうまくできなくて、魔力に関する知識など皆無のマイン/麗乃(うらの)自身も戸惑うばかり。周囲は「魔力の暴走」を抑えるべくあたふたする始末です。あれ、なんだか『ワールドトリガー』の千佳ちゃんと重なってくる(^_^)。いや千佳ちゃんは暴走はしないけど。
先にも述べたようにこの作品はもともとweb版として発表されていますが、書籍化にあたり幾分手直しされています。私の見るところ、さすがに書籍の方が細かい表現が良くなっているように思えます。が、主人公以外の視点のエピソードのいくつかが書籍版ではなくなっています。お奨めとしては、書籍版をまず読んだ後にweb版にしかないエピソードを楽しんだり、書籍版との違いを楽しんだりするのが良いのではないでしょうか。まあ、書籍版になってない部分を早く読みたい、先が待ちきれない、という人は仕方ありませんが。実は私自身も現時点でweb版の最後まではあえて読んでいません。
さてこの作品の見どころ/よくできているところのひとつは、多様な価値観の持主の視点を見せてくれる点です。書き方の工夫としても、頻繁に主人公以外の視点のエピソードがはさまれていて楽しめますが、それが実に様々なのです[*1]。この異世界の人々の常識が現代の日本人であった麗乃(うらの)の常識とは異なるのは当然ですが、この世界でも貴族と平民の常識は違いますし、平民の中でも職業や経済状況により常識に大きな違いがあります。『第1部:兵士の娘』では貧しい職人の子のルッツと富裕な商人であるベンノの子供時代との違いがそれとなく描かれて、両者の落差を見せてくれます。
そして現代人なら大きな落差を感じるだろう点は貴族の倫理観です。『第2部:神殿の
それだけではありません。『第3部:領主の養女』に至りマインはついに貴族に成り上がるのですが、そこで気持ちの良い友人や家族も得ます。ところがあるとき、マインのために作られた建物がそこの土地の住民(多くは農民)に襲撃されるという事件が起きます。魔力で守られていたおかげで建物にも傷ひとつ付かずマインは大したことでもないと考えたのですが、それを聞いたふだんはとても気持ちの良い人達の反応が「領主の建物への攻撃ではないか。なぜすぐに奴らを討伐しないのだ。」・・・。まるで人を襲った野生動物を駆除するみたいな感覚ではありませんか! そう、普通の貴族の心の中では平民の命は家畜や野獣の命なみに軽いのです。『第1部:兵士の娘』ではベンノが貴族を怒らせることを異常に恐れていて、少々オーバーな印象も受けていたのですが、貴族の常識がこんなものだとしたら、ベンノが慎重すぎるほどに恐れるのも当然だと納得がいきました。
要するに貴族社会の犯罪概念の大きな柱が「上位者には絶対服従」ということなのです。貴族も大まかには上級貴族、中級貴族、下級貴族と別れますが、個々人の間にも必ず上下関係が決められており、上位と下位との間の挨拶に決まりがあります。当然、この領地内では領主が最高位ですが、領地外ではまた領地間の上下関係というものもあるようで、まさに延々と梯子のように続く順位制社会、ニワトリのごとき「つつきの順位」です[*2]。
とはいえ彼らも我々と同じ普通の倫理観も持っているわけで、それは時に、いや恐らくは頻繁にこの「上位者には絶対服従」という犯罪概念と衝突するでしょう。ゆえにフェルディナンドも一時はいやいやながら神殿長の言い分(貴族の犯罪概念からはこちらが正義)を受け入れてマインを罪に問う寸前までいったのです。それが状況が変わるや大喜びで、貴族の正義にのっとって神殿長を罪に問うたのでした。貴族たちも本音のどこかでは「上位者には絶対服従」なんて本当の正義ではないとも思っているのでしょう。いや必ずしもそうでもないかも知れません。さすがに他人の心はよくわからない。
さてこの貴族間の順位には魔力の強さというひとつの裏づけがあります。魔力に差があると、そもそも戦闘力が違ってきます。肉体的には到底戦闘などに適さないような貴族でも、魔力ゆえにプロの兵士であるマインの父親を一蹴できたりするほどです。また魔力の強い者は、その力でそれだけ社会に貢献しているという面もあります。ゆえに領主や家の当主の決定には魔力の強さが大きな要素になっていて、それなりに実力社会の面があります。となると逆に、貴族の生まれなのに魔力が弱いと貴族社会では肩身が狭くなり、例えば神殿に追い払われるなどということになったりします。とはいえいくら魔力の弱い子といえども親族の情というものはあり、不自由しないだけの手当てはしてくれる、というのが既に述べた神殿長などの状況なのでした。しかし、このように魔力の弱い子も十分に保護できるほど経済的余裕のある貴族ばかりではなく、下級貴族ともなるとやむなく××××などという哀れなことにもなるという話もまた語られます。実際、貧しい貴族よりも平民である金持ち商人の方が経済的には豊かということもあるのは、我々の実際の歴史上でも普通にあったのと同じです。
では魔力さえ強ければのし上がれるかと言えばそうではなくて、たまたま魔力を持って生まれた平民は、契約魔術で縛られて単なる魔力供給源になり果てるのが普通、というちょっと理不尽な格差社会になっています。マインもあやうくそうなりかけるところをどう切り抜けたかというのもひとつの見どころになります。
このように魔力の存在とその性質が人間社会やひいては人々の心に大きな影響を与えているのですが、さらに宗教にも影響を与えています。その話は次回としましょう。大まとめの評価jまでゆけませんでしたm(_ _)m。
【誤字訂正】(2019/03/12)
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Ref-1) 香月美夜『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第三部「領主の養女V」』TOブックス(2017/09/09)
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*1) 複数の登場人物の視点を描くという手法そのものは、現在では多くの作家が使いこなす定跡的手法になっているらしい。読者は多様だから主人公よりも他の登場人物が好きとか感情移入できるとかいうことは普通のことで、複数の視点をしっかり描けばそれだけファンが増えて読者が増えるという効果がある。私自身も男性だからだろうが、主人公のマインよりも周囲のナイト連中への感情移入が強かったりする。そう、ナイナイずくしの境遇からのスタートなのだが、気が付けば多くのナイトが助けてくれるお姫様状態になっている! しかも同性のナイトも現れるし。
*2) つつきの順位については以下を参照。
a) wikipedia「順位制」
b) ニワトリの順位制のNaverまとめ(2015/07/24)
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