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ある組織-4a-己自身の主人たれ?

2010-10-06 06:31:19 | 数学基礎論/論理学
 前回ランクの異なる要素同士の集合は現実世界での問題ではあまり考えないと書きました。そうなるとラッセルのパラドックスに登場する「自身を要素とする集合」というものは現実世界ではありえません。しかしウィキペディア(2010年5月13日版)などでは、「自分自身をその要素として含む集合」の例として、「不可視物体の集合」、「無生物の集合」、「赤くないものの集合」、「集合の集合」を挙げています。最後の例を除く3例はいかにも現実世界での「自身を要素とする集合」の例に見えますが、そうとも言えないことを説明しておきます。すなわち、

「不可視物体の集合」 集合は"物体"だろうか?
「無生の集合」  集合は"無生物≡生きていない"だろうか?
「赤くないものの集合」  集合は"もの"だろうか?

 もちろん上記3例を「自身を要素とする集合」とした論理は明確なものです。例えば「無生物」とは「生物以外の対象のすべて」を指すと考えれば、「無生物の集合」は確かに「生物以外の対象」です。しかし、です。「無生物」と言ったときに、集合とか三角形とか感情とか法律とか、普通にそんなもの思い浮かべるでしょうか? 「無生物」と言えば普通に思い浮かべるのは「命のない物体」ではないでしょうか? すなわち、カラスの逆説-1-でも述べたように、「全体集合Sを、我々は暗黙のうちに限定していることが多い」ということなのです。とはいえ、この限定は暗黙のうちであり意識されてはいないことが多いので、「無生物の集合」は自身の要素である、と言われるとついついうなづいてしまうわけです。

 このように集合とその要素を明確に区別することでラッセルのパラドックスを避けることができたのであり、この区別をはっきり見えるようにしたのが、これまでの記事で書いた、∈関係を直属の上下関係に喩えるという方法でした。しかしもっとモノの集まりに近いように喩えるならば、集合を箱に要素を箱の中身に喩えるのが良いでしょう。

 すると空集合φとは無そのものではなく、空き箱に喩えられます。空き箱の中身の「空」とはまさに何もない状態で箸にも棒にもかかりませんが、空き箱となると手にとって扱える立派なモノですから、それをまた別の箱に入れることもできます。そこで「空き箱が1つ入っているだけの箱」というのは空き箱自体とは明らかに別のものであり、これを1と名づけたわけです。空集合という存在を考えだしたということは、何もない状態から空き箱という存在を考えだすという、まさに無から有を生んだ行為だったのです。

 こう喩えると「自身を要素とする集合」というのは「容器自身を中に入れた容器」というわけで、そんなものは・・・いかなる可能世界でも存在できないようにも思えます。

 もっとも箱や容器に喩えた場合は、「1つの要素がいくつもの容器の中にある」という事態や「箱a内の箱bに入っている要素xは、箱a内にあるとは限らない」ということがイメージしにくくなるでしょう。この点は直属の上下関係の喩えが勝っていそうです。

 さてちょっと無駄話を。空集合とは空というつかまえどころのないモノを箱に閉じこめた、記号的に言えば括弧"{}"で封じ込んだとも言えるかも知れません。思えばインド人が何もない数をゼロと名づけたとき、名前を付けることで空というモノを捕まえたと言えるでしょう。

続く

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