前回までに「レイブンのパラドックス(Raven paradox)」の解決案として示した解釈をまとめてみます。
「白い靴,赤いチョーク,緑色の宝石などがいずれもカラスではないことを確かめても、命題-1の証拠にできるとは思えない」のは、「靴,チョーク,宝石はカラスではない」ことが既に調べる前からわかってしまっているからである。「何だか不明だが黒くないことがわかっているもの」を調べてみて「(カラスかも知れないと思ったが)カラスではなくて靴だった」とわかれば、確かに(命題-1)の確からしさは増していると考えられる。
実はこの解釈はヘンペル本人の解釈でもありました。ウィキペディア英語版の "Hempel's Resolution" の記載では以下の例が示されています。
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命題-Na すべてのNa塩は炎色反応が黄色だ
証拠-a 氷の炎色反応を調べたら無色だった
証拠-b 成分不明の物質の炎色反応を調べたら無色だった。
その後、成分を調べたらNa塩ではなかった。
我々は証拠-aは命題-Naの確からしさを増すとは感じないが、証拠-bならば命題-Naの確からしさを増す。
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もっと日常的な事例を紹介している人がいます。セインズブリー「パラドックスの哲学」-01 (2010/05/08)で、ヘンペルの結論として次の例を紹介しています。
これはまさしく、私がカラスの逆説-4-で書いた「白い塊がぼやーっと見えていても、触って形を確かめないと靴かカラスかわからないという状況」と同じです。
しかし話はこれでは終わりません。カラスとニセガラスの混合集団のように、色の判定は容易だがカラスの判定は困難な場合、論理的には黒くない鳥を調べるべきで黒い鳥を調べても意味がないはずです。しかし、黒い鳥を調べて黒いカラスがどんどん見つかれば帰納法により命題-1の確からしさは高まります。黒くてカラスでない鳥も見つかるでしょうが、それは命題-1の確証度合いには影響しないでしょう。
けれど命題-1の確証度合いが高くなると言うことは、「黒くない鳥を調べたときにカラスが見つかる確率が小さくなる」ということを意味します。黒くない鳥は調べてもいないのに!? これではまるで量子同士もかくやというようなエンタングルメントが、異なる集団の間にあるみたいではありませんか。
カラスとニセガラスの混合集団ではなく、テーブル上に黒いカードを含む様々な色のカードがたくさん置いてある状況を考えてみましょう。カードを裏替えすと色々な言葉が書いてあります。黒くないカードをいくつか裏返したらカラスという言葉はどれにも書かれておらず、黒いカードを裏返していくと、いくつかの裏にはカラスという言葉が書いてありました。黒くてもカラスという言葉は書いてないカードもありました。そこで黒いカードをどんどん裏返していくと、またいくつかカラスカードが見つかりました。黒いカラスカードが見つかるたびに「全てのカラスカードの裏は黒い」という命題の確からしさは高くなってゆきます。
うーん、でも黒くないカードも調べないと確からしさは増さないようにも思えるし。少なくともカラスとニセガラスの場合よりは不確かであるような気がしませんか?
て、ほとんど誘導尋問のような(^_^)
つまり我々は、どんな集合にはどの程度に帰納法を適用できるのかという背景知識を持っているように思えるのです。
-- 続く --
「白い靴,赤いチョーク,緑色の宝石などがいずれもカラスではないことを確かめても、命題-1の証拠にできるとは思えない」のは、「靴,チョーク,宝石はカラスではない」ことが既に調べる前からわかってしまっているからである。「何だか不明だが黒くないことがわかっているもの」を調べてみて「(カラスかも知れないと思ったが)カラスではなくて靴だった」とわかれば、確かに(命題-1)の確からしさは増していると考えられる。
実はこの解釈はヘンペル本人の解釈でもありました。ウィキペディア英語版の "Hempel's Resolution" の記載では以下の例が示されています。
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命題-Na すべてのNa塩は炎色反応が黄色だ
証拠-a 氷の炎色反応を調べたら無色だった
証拠-b 成分不明の物質の炎色反応を調べたら無色だった。
その後、成分を調べたらNa塩ではなかった。
我々は証拠-aは命題-Naの確からしさを増すとは感じないが、証拠-bならば命題-Naの確からしさを増す。
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もっと日常的な事例を紹介している人がいます。セインズブリー「パラドックスの哲学」-01 (2010/05/08)で、ヘンペルの結論として次の例を紹介しています。
ところが,遠くに見える電柱の中ほどに,
なんだか白いものが見えた
一瞬,不安になるわけです
「ひょっとして,白いカラスがいるんじゃなかろうか」と
で,目をごしごしこすってよく見てみると,
「白い靴」がひっかかってる,と分かった
そのとき私はほっとする
これはまさしく、私がカラスの逆説-4-で書いた「白い塊がぼやーっと見えていても、触って形を確かめないと靴かカラスかわからないという状況」と同じです。
しかし話はこれでは終わりません。カラスとニセガラスの混合集団のように、色の判定は容易だがカラスの判定は困難な場合、論理的には黒くない鳥を調べるべきで黒い鳥を調べても意味がないはずです。しかし、黒い鳥を調べて黒いカラスがどんどん見つかれば帰納法により命題-1の確からしさは高まります。黒くてカラスでない鳥も見つかるでしょうが、それは命題-1の確証度合いには影響しないでしょう。
けれど命題-1の確証度合いが高くなると言うことは、「黒くない鳥を調べたときにカラスが見つかる確率が小さくなる」ということを意味します。黒くない鳥は調べてもいないのに!? これではまるで量子同士もかくやというようなエンタングルメントが、異なる集団の間にあるみたいではありませんか。
カラスとニセガラスの混合集団ではなく、テーブル上に黒いカードを含む様々な色のカードがたくさん置いてある状況を考えてみましょう。カードを裏替えすと色々な言葉が書いてあります。黒くないカードをいくつか裏返したらカラスという言葉はどれにも書かれておらず、黒いカードを裏返していくと、いくつかの裏にはカラスという言葉が書いてありました。黒くてもカラスという言葉は書いてないカードもありました。そこで黒いカードをどんどん裏返していくと、またいくつかカラスカードが見つかりました。黒いカラスカードが見つかるたびに「全てのカラスカードの裏は黒い」という命題の確からしさは高くなってゆきます。
うーん、でも黒くないカードも調べないと確からしさは増さないようにも思えるし。少なくともカラスとニセガラスの場合よりは不確かであるような気がしませんか?
て、ほとんど誘導尋問のような(^_^)
つまり我々は、どんな集合にはどの程度に帰納法を適用できるのかという背景知識を持っているように思えるのです。
-- 続く --
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