アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)は「十分に進歩した科学技術は魔法と区別できない(Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.)[*1]」という言葉を残しました。私は、次のことを述べましょう。
再現性のある魔法は科学の対象になる。(Any reproducible magic can be a object of sciences)
人が扱える魔法は科学技術そのものである。(Any treatable magic is just a technology)
ハードファンタジー("Hard fantasy")と呼ばれる作品は、言ってみれば、このような考え方で"魔法"の存在する架空世界を論理破綻のないように描いた作品と言えるのではないでしょうか?
上記の定義はwikipedia英語版の記事での定義とも一致していると思いますが、例示されている作品が全て私の感覚でハードファンタジーに当たるかどうかは不明です。だって読んでない作品が多いし(^_^)。
このような作品として私がまず挙げたいのは(wikipedia英語版のリストにはないけど)、ランドル・ギャレット(Randall Garrett)作のダーシー卿という名探偵が活躍するシリーズです[*2]。これは本格推理小説なので、魔法と言えどもなんでもできちゃうのでは困るのです。魔法の性質もきっちりと設定されていて読者にも公平に明かされたうえでないと本格推理小説になりません。この作品で印象に残った魔法をひとつ紹介しましょう。
例えば鞄に「置き忘れたりしても必ず持主に戻る」という魔法をかけます。で、とある場所に忘れたとします。すると通りがかりのポーターが頼まれてもいないのに鞄を取り、とある停留所まで運びます。するとそこの運転手だか荷物係だかが、頼まれてもいないのに鞄をバスだか馬車だかに乗せます。という具合に、複数の人々の手から手へと渡りつつ、ちゃんと持ち主の手元までたどり着く、というわけです。つまり、鞄が自ら飛んで戻るなどという、通常の物理法則を無視するようなことは全く起こさずに魔法が働くというわけです。
ラリー・ニーヴン(Larry Niven)はノウン・スペース(Known Space)・シリーズと呼ばれる、地球から到達できる宇宙(むろん作品中の航宙技術で)を舞台とするハードSFがよく知られた作家ですが、他にもちょっとクレイジーかつユーモラスなスベッツ・シリーズと呼ばれる時間旅行もの[*3]、そして最もハードファンダジーの名にふさわしいとも言える、「魔法の国が消えていくシリーズ(Series: Magic Goes Away)」[*4]を書いています。これはウォーロック(the Warlock)という平和の使者か国連PKOかという名前の超一流の魔法使いが主人公のシリーズです。この世界では魔法の源は"マナ"と呼ばれる一種の自然資源であり、マナが枯渇した土地では魔法の効果がなくなります。そして全世界の"マナ"が枯渇して魔法というものが伝説の存在でしかなくなったのが現代である、という設定です。第1作の『終末も遠くない[*5](Not Long Before the End (1969))』は、この恐るべき事実を知った主人公が、その知識を使って強力な魔物と対決するという短編です。『終末も遠くない』はネタバレ厳禁のアイディアストーリーですが、それまでの(1969年以前の)ヒロイック・ファンタジー("Heroic fantasy")[または剣と魔法の物語("Sword and sorcery")]における、魔法使いが悪玉で筋肉脳の剣士が善玉というパターンへのアンチテーゼという側面もある作品です。タイトルの意味は明らかですね。
魔法の源が自然資源や使えば消耗してゆくエネルギーみたいなもの、という設定は『魔法の国ザンス・シリーズ(Xanth)』の後の方の巻でも出てきます。ザンスの魔法はザンス内でしか効果がなく、外にあるマンダニアでは魔法が使えないのですが、それは魔王ザンスという者がいて魔法の源を供給しているからという設定です。
ここで、消耗品である魔法の源の供給ではなく、ある種の場のようなものを創り出すことにより、その場の範囲では魔法が使える、といった設定も考えられます。それに該当しそうなのが、フレッド・セイバーヘーゲン(Fred T. Saberhagen)『東の帝国』3部作[*6]です。魔法が存在する中世的世界、善の神(らしきもの)と悪の神(らしきもの)との抗争、と典型的なヒロイック・ファンタジーの世界ですが、実はこの世界に魔法を存在させているものがあり、その正体とは・・・本作最重要のネタであります。
『東の帝国』は架空の中世時代や架空の古代文明時代を舞台とするヒロイック・ファンタジーと同じく一種の異世界物語に分類できますが、その世界の魔法に特に論理破綻が見られないのは、さすがにバーサーカーシリーズ(Berserker series)最初の作品「無思考ゲーム("Without a Thought" (1963))[『バーサーカー 赤方偏移の仮面』早川書房 (1980/04)に掲載]」または「宇宙要塞(Fortress Ship)[SFマガジン(1969/07号)に掲載(フレッド・セイバーヘーゲン翻訳リスト参照)]」の作者だけのことはあります。
ある者が存在するだけで一帯の場で魔法が使えるとなるとその者の働きはブラックボックスになりますが、もう少し詳しくメカニズムを明らかにしてもよいかも知れません。例えば、要所に魔法の石だか礎だか神像だかを配置し、それらの協働作用で空中に魔法の場が作り出され、特殊な眼鏡をかけるとその場から生み出された妖精などの存在を見ることができる・・・、あれ、これって『電脳コイル(wikipedia記事)』(初回放送:教育テレビ,2007年5月12日)[*7] の設定そのものでは? いやはや本当に区別がつきませんねえ(^_^)。言ってみれば、魔法を創り出すインフラにより魔法が支えられている、ということです。
さて最近人気上昇中らしい香月美夜『本好きの下剋上』シリーズ[*8]も「魔術」や「魔力」が登場しますが、これまでの登場人物のなかでは最も「魔術」に詳しいと思われるフェルディナンドの「魔術」に対する態度は、自然現象や科学技術に対する実験科学者の態度と全く変わりません。『本好きの下剋上』の世界では魔力は自然現象の一種であり、実験と観察によりその性質を調べて、それを扱う方法である"technology"が魔術(それとも魔術学)なのです。この設定では「魔力」と呼ばれるなにかが「魔術」を可能とするマナのようなものですが、ニーヴンの設定と違う点は、それが「魔力を持つ人間」や「魔力を持つ生物」の体内で生まれてくるということです。無機物のような自然資源としてその辺に転がっているのではありません。「人間が自然資源の源であり、しかもその生産量には個人差がかなりある」という設定は、『本好きの下剋上』の人間社会にかなりの影響を与えていますが、そのあたりは作品をご覧ください。しかしこの設定は、『ワールドトリガー』のトリオンの設定にそっくりですね。トリオンだって魔力なみに結構いろいろなことができるし。念のためですが、これは「働き方が同じパターンに分類できる」ということであり、こういう類似ではパクリには該当しません。
以上の作品世界は"魔法が働く"という、いわば現実世界とは異なる自然法則を持つ架空世界ですが、スティーヴン・バクスター『天の筏』が異なる物理法則の世界を描いた作品として知られています。しかしこの作品での異なる物理法則は「重力定数の値が異なる」という現代物理学の枠内に収まるものであり、この点がハードSFとハード・ファンタジーの違いと言えるでしょう。
さて17世紀まで錬金術師たち(alchemist)に信じられていた四元素説などの理論が正しかったという宇宙を描いたのが『錬金術師の魔砲(Newton's Cannon)』[*9]という作品です。我々の現実世界とは全く異なる物理化学法則が支配する世界であるにもかかわらず、なぜか(^_^)、我々の現実の地球と17世紀あたりまでほぼそっくりの歴史が進行しています。そして物語の中心人物はかの偉大なる錬金術師サー・アイザック・ニュートン(1643/01~1727/03)(Sir Isaac Newton)、冒険に乗り出す主人公は新大陸アメリカに住む若干12歳の科学大好き、ではなくて錬金術大好き少年ベンジャミン・フランクリン(1706/01~1790/04)(Benjamin Franklin)です。なおフランクリンは我々の現実の歴史では雷が電気現象であることの確認実験に関わったことで有名な人物です[詳細はwikipediaの記事を参照]。さらにニュートンの弟子として、ジェームズ・スターリング(1692/05~1770/12)(James Stirling)やコリン・マクローリン(1698/02~1746/06)(Colin Maclaurin)といった有名どころも登場します。あ、そう有名でもないでしょうか? テーラー展開やマクローリン展開の名前は必ずしも高校数学で教えるとは限らないようですし。
原作は『The Age of Unreason』という4部作の第1作ですが、残り3作はまだ邦訳されていません。残念です。ちなみにシリーズの原題はThomas Paine作"The Age of Reason"(トマス・ペイン;渋谷一郎(監訳)『理性の時代』泰流社(1982/02))をもじったものらしいです。
さてハードファンタジーと紛らわしいジャンル名にハイファンタジー("High Fantasy")という言葉があります。こちらは、現実世界とはほぼ独立した架空世界での物語をハイファンタジー、現実世界に魔法等が介入してくる物語をローファンタジーと定義するようです。2017/05/26の記事でSFにおいて異世界を描く方法の違いによる2つの分類に言及しましたが、これはどちらもハイファンタジーに該当すると言えるでしょう。
すなわちSFもファンタジーも非現実現象(未来科学・魔術・伝説上の存在など)と現実世界との関わり方で次のようなタイプに分類できそうです。むろん現実世界といってもフィクションですし、過去や未来や架空の国に設定されていることもありますが、SFやファンタジーではない物語の舞台になりうる世界とでも言えばよいでしょうか?
1) 物語の舞台は現実世界。そこで非現実現象が生じたり、非現実存在がどこかから現れたりする。
2) 物語の舞台は異世界。現実世界の住人がその異世界へ行く、または往復する。
3) 物語の舞台は異世界。現実世界は登場しない。
1がローファンタジーに、2と3がハイファンタジーに当たります。3つのタイプのどれにもハードSF作品はありますが、ハードファンタジーは2か3のタイプが多くなり、1のタイプのファンタジーではハード色を出すのは難しくなるでしょう。1のタイプでも魔術などの非現実現象の性質や法則をきちんと規定できればハードになりますが、そうなると非現実存在がやってきた異世界のことも詳しめに述べないといけなくなりそうで、そうなると2のタイプに近づいていきそうです。SFでは現実の科学技術に近いほどハードにできるので、むしろ1のタイプの方がハードにしやすいというか、ハードにし過ぎてSFとは言えなくなる恐れさえあるというか。その点ファンタジーでのハードな魔術というのはあくまでも非現実存在ですからね。
1のタイプでの非現実現象の原因や非現実存在は必ずしも地球とは別の異世界からやってくるわけではありませんが、未知の深海や未開の密林の奥地や地底世界のような異世界からの侵入者が現実世界(人間の住む日常世界)で事件を起こすという作品も数多くあります。実際、昔はこれらも月世界と同様の未知の異世界だったのです。今では月も深海の底も到底異世界とは感じられなくなりましたが。
また、人知れず存在していた謎の種族の者(幽霊・妖怪・妖精なども含む)や、人知れず存在している魔法使いや、人知れず引きこもって研究に明け暮れているマッドサイエンチストなども、日常的現実世界の中にひっそりと存在する異世界の住人と考えることもできますから、1のタイプは「異世界の存在が現実世界に干渉してくる物語」として強引にまとめられるのではないでしょうか。
そして2のタイプは、現実世界の住人が行く異世界の住人の視点で見ると、実は1のタイプの物語ということになります。また2のタイプは、異世界へ行ったきりで、少なくとも物語が終わるまでは帰ってこないという3のタイプに近いものから、主人公が両世界を往復したり、いつのまにか両世界が互いに干渉しあったりするものまで様々です。
さてWikipedia英語版"Hard fantasy"の記事には発表年順にハードファンタジーの作品が例示されています。
(1941) L. Sprague de Camp and Fletcher Pratt作"The Incomplete Enchanter"。"The Roaring Trumpet"(邦訳は『神々の角笛』[*10a])と"The Mathematics of Magic"(邦訳は『妖精郷の騎士』[*10b])の2作を含む。
(1941) Robert A. Heinlein作"Magic, Inc."、邦訳は『魔法株式会社』[*11]。
(1961) ポール・アンダースン(Poul Anderson)作"Three Hearts and Three Lions"、邦訳は『魔界の紋章』[*12]。
(1976) Larry Niven作 "The Magic Goes Away"、邦訳は『魔法の国が消えていく』[*4b]、上記で紹介の通り。
また同記事の冒頭では4作品が例示されています。
(1937-1949) J. R. R. Tolkien作"Lord of the Rings"、邦訳はトールキン『指輪物語』。
(2006-2008) Brandon Sanderson作"Mistborn"、邦訳はブランドン・サンダースン『ミストボーン』。
(2007-) Patrick Rothfuss作"The Name of the Wind"、邦訳はパトリック・ロスファス『風の名前 1 (キングキラー・クロニクル第1部)』。
(2007-) George R.R.Martin作"A Song of Ice and Fire"、邦訳はジョージ・R・R・マーティン『七王国の玉座(氷と炎の歌)』。
しかし私の感覚では『魔法株式会社』やハロルド・シェイシリーズ(『神々の角笛』と『妖精郷の騎士』)を"ハード"とは呼びたくない気がします。他の『魔法の国が消えていく』以外の作品もハイファンタジーには間違いなさそうですが、詳しく読まないとハードファンタジーと言えるかどうかはわかりません。そもそも「自分はハードファンタジーを書いている」と自覚している作者は少ない、というよりほとんどいないようにも思えます。"ハードファンタジー"という言葉は多くの作品の中から特徴的な一群を選び出して後から名付けた言葉であり、その基準となる"ハードさ(hardness)"というものは読者個々により違うでしょう。
それは"ハイファンタジー("High Fantasy")"という言葉も同じでしょうが、その定義は"ハードファンタジー"よりも客観的であり、誰が提唱したかもはっきりしているようです。"ハードファンタジー"のwikipedia英語版では「出典表記が不十分だ」との警告が付いているのは故のないことではありません。ということで、冒頭の定義も私の感覚によるものと考えてください。
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*1) "The Arthur C. Clarke Foundation"の"sir Arthur's Quotations"より。
*2) wikipedia英語版での定義。それほど英語が得意でない者が言うのもなんだが、いや得意ではないからこそかも知れないが、微妙に厳密な意味が取りづらい文章のような気がする。
--- 原文 ---
Hard fantasy is a subgenre of fantasy literature that strives to present stories set in (and often centered on) a rational and knowable world. Hard fantasy is similar to hard science fiction, from which it draws its name, in that both aim to build their respective worlds in a rigorous and logical manner.[1][2][3] The two diverge in that hard science fiction uses real scientific principles as its starting point, while hard fantasy postulates starting conditions that do not, and often cannot, exist according to current scientific understanding.
--- 私の訳 ---
ハードファンタジーとはファンタジー文学のサブジャンルで、物語を合理的で【予測可能な】世界を舞台として設定したり(そしてしばしば、その世界そのものを中心にすえたり)しようとするものです。 ハードファンタジーは、厳密で論理的な方法でそれぞれの世界を構築することを目指すという点で、その名の由来でもあるハードサイエンスフィクションと似ています。 両者の分かれ道は、ハードサイエンスフィクションは現実の科学原理を出発点として使用し、ハードファンタジーは現在の科学的理解に基づいては存在しない、【多くの作品の場合】存在しえない開始条件を出発点とすることです。
--- end ---
*2) ダーシー卿シリーズの邦訳
a) 『魔術師が多すぎる』早川書房(1977/07) ISBN-13:978-4150727512、または、ASIN:B000J8U1R0
b) 『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』早川書房(2015/09/08) ISBN-13:978-4150727536
*3) 世襲の絶対権力者だが白痴の国連事務総長の我儘かつ無邪気な要求に振り回されるスヴェッツだが、過去へ旅するはずがなぜか・・・。
a) 邦訳は、厚木淳(訳)『ガラスの短剣(創元推理文庫668-1)』東京創元社(1981/04) ASIN: B000J802UQ に収録。
*4) aは短編集で「ガラスの短剣」がウォーロックの物語
a) 『ガラスの短剣(創元推理文庫)』東京創元社 (1981/04) ASIN:B000J802UQ
b) 『魔法の国が消えていく(創元推理文庫(668‐2))』東京創元社(1984/07) ISBN-13:978-4488668020
c) 『魔法の国がよみがえる(創元推理文庫(668‐5))』東京創元社 (1986/01) ISBN-13:978-4488668051
d) 『魔法の国よ永遠なれ (創元推理文庫)』東京創元社 (1986/11) ISBN-13:978-4488668068
*5) 邦訳は、小隅黎(訳)『無常の月』早川書房(1979/01) ISBN-13: 978-4150103279 に収録。
*6) 実は東の帝国は悪役
a) 『西の反逆者(ハヤカワ文庫 SF 495 東の帝国 1)』早川書房(1982/11) ISBN-13:978-4150104955
b) 『黒の山脈 (ハヤカワ文庫―SF 東の帝国 2』早川書房(1982/12) ASIN:B000J7I254
c) 『アードネーの世界 (ハヤカワ文庫―SF 東の帝国 3』早川書房(1983/01) ASIN:B000J7HFGQ
*7) 放送から10年、時代が追い付き始めたらしい。
10年近くも前に放送されたアニメ『電脳コイル』の一幕がこれからやってくる世界の未来を予見していると話題に!(2016/06/02)
Microsoftが発表したARメガネ「HoloLens」がまさに電脳コイルな件(2015/01/22)
電脳コイルはタイトルにしか出てこないが、稲見昌彦東大教授によるVRの歴史のサクッとした解説(2016/08/16)
8) 現在、『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第三部「領主の養女V」』TOブックス(2017/09/09)まで出版されている。
9) J.グレゴリイ・キイズ(J.Gregory Keyes/ Greg Keyes);金子司(訳)『錬金術師の魔砲(上下巻)』早川書房(2002/11)
*10)
a) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『神々の角笛(ハヤカワ文庫 FT 33 ハロルド・シェイ 1)』早川書房(1981/07/31) ISBN-13:978-4150200336
b) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『妖精郷の騎士(ハヤカワ文庫 FT 37 ハロルド・シェイ 2)』早川書房(1982/01/31) ISBN-13:978-4150200374
*11) ロバート A.ハインライン;冬川亘(訳)『魔法株式会社 (ハヤカワ文庫 SF 498)』早川書房 (1982/12/31)
*12) ポール・アンダースン;豊田有恒(訳)『魔界の紋章(ハヤカワ文庫―SF)』早川書房(1978/02) ASIN:B000J8R6BY
再現性のある魔法は科学の対象になる。(Any reproducible magic can be a object of sciences)
人が扱える魔法は科学技術そのものである。(Any treatable magic is just a technology)
ハードファンタジー("Hard fantasy")と呼ばれる作品は、言ってみれば、このような考え方で"魔法"の存在する架空世界を論理破綻のないように描いた作品と言えるのではないでしょうか?
上記の定義はwikipedia英語版の記事での定義とも一致していると思いますが、例示されている作品が全て私の感覚でハードファンタジーに当たるかどうかは不明です。だって読んでない作品が多いし(^_^)。
このような作品として私がまず挙げたいのは(wikipedia英語版のリストにはないけど)、ランドル・ギャレット(Randall Garrett)作のダーシー卿という名探偵が活躍するシリーズです[*2]。これは本格推理小説なので、魔法と言えどもなんでもできちゃうのでは困るのです。魔法の性質もきっちりと設定されていて読者にも公平に明かされたうえでないと本格推理小説になりません。この作品で印象に残った魔法をひとつ紹介しましょう。
例えば鞄に「置き忘れたりしても必ず持主に戻る」という魔法をかけます。で、とある場所に忘れたとします。すると通りがかりのポーターが頼まれてもいないのに鞄を取り、とある停留所まで運びます。するとそこの運転手だか荷物係だかが、頼まれてもいないのに鞄をバスだか馬車だかに乗せます。という具合に、複数の人々の手から手へと渡りつつ、ちゃんと持ち主の手元までたどり着く、というわけです。つまり、鞄が自ら飛んで戻るなどという、通常の物理法則を無視するようなことは全く起こさずに魔法が働くというわけです。
ラリー・ニーヴン(Larry Niven)はノウン・スペース(Known Space)・シリーズと呼ばれる、地球から到達できる宇宙(むろん作品中の航宙技術で)を舞台とするハードSFがよく知られた作家ですが、他にもちょっとクレイジーかつユーモラスなスベッツ・シリーズと呼ばれる時間旅行もの[*3]、そして最もハードファンダジーの名にふさわしいとも言える、「魔法の国が消えていくシリーズ(Series: Magic Goes Away)」[*4]を書いています。これはウォーロック(the Warlock)という平和の使者か国連PKOかという名前の超一流の魔法使いが主人公のシリーズです。この世界では魔法の源は"マナ"と呼ばれる一種の自然資源であり、マナが枯渇した土地では魔法の効果がなくなります。そして全世界の"マナ"が枯渇して魔法というものが伝説の存在でしかなくなったのが現代である、という設定です。第1作の『終末も遠くない[*5](Not Long Before the End (1969))』は、この恐るべき事実を知った主人公が、その知識を使って強力な魔物と対決するという短編です。『終末も遠くない』はネタバレ厳禁のアイディアストーリーですが、それまでの(1969年以前の)ヒロイック・ファンタジー("Heroic fantasy")[または剣と魔法の物語("Sword and sorcery")]における、魔法使いが悪玉で筋肉脳の剣士が善玉というパターンへのアンチテーゼという側面もある作品です。タイトルの意味は明らかですね。
魔法の源が自然資源や使えば消耗してゆくエネルギーみたいなもの、という設定は『魔法の国ザンス・シリーズ(Xanth)』の後の方の巻でも出てきます。ザンスの魔法はザンス内でしか効果がなく、外にあるマンダニアでは魔法が使えないのですが、それは魔王ザンスという者がいて魔法の源を供給しているからという設定です。
ここで、消耗品である魔法の源の供給ではなく、ある種の場のようなものを創り出すことにより、その場の範囲では魔法が使える、といった設定も考えられます。それに該当しそうなのが、フレッド・セイバーヘーゲン(Fred T. Saberhagen)『東の帝国』3部作[*6]です。魔法が存在する中世的世界、善の神(らしきもの)と悪の神(らしきもの)との抗争、と典型的なヒロイック・ファンタジーの世界ですが、実はこの世界に魔法を存在させているものがあり、その正体とは・・・本作最重要のネタであります。
『東の帝国』は架空の中世時代や架空の古代文明時代を舞台とするヒロイック・ファンタジーと同じく一種の異世界物語に分類できますが、その世界の魔法に特に論理破綻が見られないのは、さすがにバーサーカーシリーズ(Berserker series)最初の作品「無思考ゲーム("Without a Thought" (1963))[『バーサーカー 赤方偏移の仮面』早川書房 (1980/04)に掲載]」または「宇宙要塞(Fortress Ship)[SFマガジン(1969/07号)に掲載(フレッド・セイバーヘーゲン翻訳リスト参照)]」の作者だけのことはあります。
ある者が存在するだけで一帯の場で魔法が使えるとなるとその者の働きはブラックボックスになりますが、もう少し詳しくメカニズムを明らかにしてもよいかも知れません。例えば、要所に魔法の石だか礎だか神像だかを配置し、それらの協働作用で空中に魔法の場が作り出され、特殊な眼鏡をかけるとその場から生み出された妖精などの存在を見ることができる・・・、あれ、これって『電脳コイル(wikipedia記事)』(初回放送:教育テレビ,2007年5月12日)[*7] の設定そのものでは? いやはや本当に区別がつきませんねえ(^_^)。言ってみれば、魔法を創り出すインフラにより魔法が支えられている、ということです。
さて最近人気上昇中らしい香月美夜『本好きの下剋上』シリーズ[*8]も「魔術」や「魔力」が登場しますが、これまでの登場人物のなかでは最も「魔術」に詳しいと思われるフェルディナンドの「魔術」に対する態度は、自然現象や科学技術に対する実験科学者の態度と全く変わりません。『本好きの下剋上』の世界では魔力は自然現象の一種であり、実験と観察によりその性質を調べて、それを扱う方法である"technology"が魔術(それとも魔術学)なのです。この設定では「魔力」と呼ばれるなにかが「魔術」を可能とするマナのようなものですが、ニーヴンの設定と違う点は、それが「魔力を持つ人間」や「魔力を持つ生物」の体内で生まれてくるということです。無機物のような自然資源としてその辺に転がっているのではありません。「人間が自然資源の源であり、しかもその生産量には個人差がかなりある」という設定は、『本好きの下剋上』の人間社会にかなりの影響を与えていますが、そのあたりは作品をご覧ください。しかしこの設定は、『ワールドトリガー』のトリオンの設定にそっくりですね。トリオンだって魔力なみに結構いろいろなことができるし。念のためですが、これは「働き方が同じパターンに分類できる」ということであり、こういう類似ではパクリには該当しません。
以上の作品世界は"魔法が働く"という、いわば現実世界とは異なる自然法則を持つ架空世界ですが、スティーヴン・バクスター『天の筏』が異なる物理法則の世界を描いた作品として知られています。しかしこの作品での異なる物理法則は「重力定数の値が異なる」という現代物理学の枠内に収まるものであり、この点がハードSFとハード・ファンタジーの違いと言えるでしょう。
さて17世紀まで錬金術師たち(alchemist)に信じられていた四元素説などの理論が正しかったという宇宙を描いたのが『錬金術師の魔砲(Newton's Cannon)』[*9]という作品です。我々の現実世界とは全く異なる物理化学法則が支配する世界であるにもかかわらず、なぜか(^_^)、我々の現実の地球と17世紀あたりまでほぼそっくりの歴史が進行しています。そして物語の中心人物はかの偉大なる錬金術師サー・アイザック・ニュートン(1643/01~1727/03)(Sir Isaac Newton)、冒険に乗り出す主人公は新大陸アメリカに住む若干12歳の科学大好き、ではなくて錬金術大好き少年ベンジャミン・フランクリン(1706/01~1790/04)(Benjamin Franklin)です。なおフランクリンは我々の現実の歴史では雷が電気現象であることの確認実験に関わったことで有名な人物です[詳細はwikipediaの記事を参照]。さらにニュートンの弟子として、ジェームズ・スターリング(1692/05~1770/12)(James Stirling)やコリン・マクローリン(1698/02~1746/06)(Colin Maclaurin)といった有名どころも登場します。あ、そう有名でもないでしょうか? テーラー展開やマクローリン展開の名前は必ずしも高校数学で教えるとは限らないようですし。
原作は『The Age of Unreason』という4部作の第1作ですが、残り3作はまだ邦訳されていません。残念です。ちなみにシリーズの原題はThomas Paine作"The Age of Reason"(トマス・ペイン;渋谷一郎(監訳)『理性の時代』泰流社(1982/02))をもじったものらしいです。
さてハードファンタジーと紛らわしいジャンル名にハイファンタジー("High Fantasy")という言葉があります。こちらは、現実世界とはほぼ独立した架空世界での物語をハイファンタジー、現実世界に魔法等が介入してくる物語をローファンタジーと定義するようです。2017/05/26の記事でSFにおいて異世界を描く方法の違いによる2つの分類に言及しましたが、これはどちらもハイファンタジーに該当すると言えるでしょう。
すなわちSFもファンタジーも非現実現象(未来科学・魔術・伝説上の存在など)と現実世界との関わり方で次のようなタイプに分類できそうです。むろん現実世界といってもフィクションですし、過去や未来や架空の国に設定されていることもありますが、SFやファンタジーではない物語の舞台になりうる世界とでも言えばよいでしょうか?
1) 物語の舞台は現実世界。そこで非現実現象が生じたり、非現実存在がどこかから現れたりする。
2) 物語の舞台は異世界。現実世界の住人がその異世界へ行く、または往復する。
3) 物語の舞台は異世界。現実世界は登場しない。
1がローファンタジーに、2と3がハイファンタジーに当たります。3つのタイプのどれにもハードSF作品はありますが、ハードファンタジーは2か3のタイプが多くなり、1のタイプのファンタジーではハード色を出すのは難しくなるでしょう。1のタイプでも魔術などの非現実現象の性質や法則をきちんと規定できればハードになりますが、そうなると非現実存在がやってきた異世界のことも詳しめに述べないといけなくなりそうで、そうなると2のタイプに近づいていきそうです。SFでは現実の科学技術に近いほどハードにできるので、むしろ1のタイプの方がハードにしやすいというか、ハードにし過ぎてSFとは言えなくなる恐れさえあるというか。その点ファンタジーでのハードな魔術というのはあくまでも非現実存在ですからね。
1のタイプでの非現実現象の原因や非現実存在は必ずしも地球とは別の異世界からやってくるわけではありませんが、未知の深海や未開の密林の奥地や地底世界のような異世界からの侵入者が現実世界(人間の住む日常世界)で事件を起こすという作品も数多くあります。実際、昔はこれらも月世界と同様の未知の異世界だったのです。今では月も深海の底も到底異世界とは感じられなくなりましたが。
また、人知れず存在していた謎の種族の者(幽霊・妖怪・妖精なども含む)や、人知れず存在している魔法使いや、人知れず引きこもって研究に明け暮れているマッドサイエンチストなども、日常的現実世界の中にひっそりと存在する異世界の住人と考えることもできますから、1のタイプは「異世界の存在が現実世界に干渉してくる物語」として強引にまとめられるのではないでしょうか。
そして2のタイプは、現実世界の住人が行く異世界の住人の視点で見ると、実は1のタイプの物語ということになります。また2のタイプは、異世界へ行ったきりで、少なくとも物語が終わるまでは帰ってこないという3のタイプに近いものから、主人公が両世界を往復したり、いつのまにか両世界が互いに干渉しあったりするものまで様々です。
さてWikipedia英語版"Hard fantasy"の記事には発表年順にハードファンタジーの作品が例示されています。
(1941) L. Sprague de Camp and Fletcher Pratt作"The Incomplete Enchanter"。"The Roaring Trumpet"(邦訳は『神々の角笛』[*10a])と"The Mathematics of Magic"(邦訳は『妖精郷の騎士』[*10b])の2作を含む。
(1941) Robert A. Heinlein作"Magic, Inc."、邦訳は『魔法株式会社』[*11]。
(1961) ポール・アンダースン(Poul Anderson)作"Three Hearts and Three Lions"、邦訳は『魔界の紋章』[*12]。
(1976) Larry Niven作 "The Magic Goes Away"、邦訳は『魔法の国が消えていく』[*4b]、上記で紹介の通り。
また同記事の冒頭では4作品が例示されています。
(1937-1949) J. R. R. Tolkien作"Lord of the Rings"、邦訳はトールキン『指輪物語』。
(2006-2008) Brandon Sanderson作"Mistborn"、邦訳はブランドン・サンダースン『ミストボーン』。
(2007-) Patrick Rothfuss作"The Name of the Wind"、邦訳はパトリック・ロスファス『風の名前 1 (キングキラー・クロニクル第1部)』。
(2007-) George R.R.Martin作"A Song of Ice and Fire"、邦訳はジョージ・R・R・マーティン『七王国の玉座(氷と炎の歌)』。
しかし私の感覚では『魔法株式会社』やハロルド・シェイシリーズ(『神々の角笛』と『妖精郷の騎士』)を"ハード"とは呼びたくない気がします。他の『魔法の国が消えていく』以外の作品もハイファンタジーには間違いなさそうですが、詳しく読まないとハードファンタジーと言えるかどうかはわかりません。そもそも「自分はハードファンタジーを書いている」と自覚している作者は少ない、というよりほとんどいないようにも思えます。"ハードファンタジー"という言葉は多くの作品の中から特徴的な一群を選び出して後から名付けた言葉であり、その基準となる"ハードさ(hardness)"というものは読者個々により違うでしょう。
それは"ハイファンタジー("High Fantasy")"という言葉も同じでしょうが、その定義は"ハードファンタジー"よりも客観的であり、誰が提唱したかもはっきりしているようです。"ハードファンタジー"のwikipedia英語版では「出典表記が不十分だ」との警告が付いているのは故のないことではありません。ということで、冒頭の定義も私の感覚によるものと考えてください。
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*1) "The Arthur C. Clarke Foundation"の"sir Arthur's Quotations"より。
*2) wikipedia英語版での定義。それほど英語が得意でない者が言うのもなんだが、いや得意ではないからこそかも知れないが、微妙に厳密な意味が取りづらい文章のような気がする。
--- 原文 ---
Hard fantasy is a subgenre of fantasy literature that strives to present stories set in (and often centered on) a rational and knowable world. Hard fantasy is similar to hard science fiction, from which it draws its name, in that both aim to build their respective worlds in a rigorous and logical manner.[1][2][3] The two diverge in that hard science fiction uses real scientific principles as its starting point, while hard fantasy postulates starting conditions that do not, and often cannot, exist according to current scientific understanding.
--- 私の訳 ---
ハードファンタジーとはファンタジー文学のサブジャンルで、物語を合理的で【予測可能な】世界を舞台として設定したり(そしてしばしば、その世界そのものを中心にすえたり)しようとするものです。 ハードファンタジーは、厳密で論理的な方法でそれぞれの世界を構築することを目指すという点で、その名の由来でもあるハードサイエンスフィクションと似ています。 両者の分かれ道は、ハードサイエンスフィクションは現実の科学原理を出発点として使用し、ハードファンタジーは現在の科学的理解に基づいては存在しない、【多くの作品の場合】存在しえない開始条件を出発点とすることです。
--- end ---
*2) ダーシー卿シリーズの邦訳
a) 『魔術師が多すぎる』早川書房(1977/07) ISBN-13:978-4150727512、または、ASIN:B000J8U1R0
b) 『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』早川書房(2015/09/08) ISBN-13:978-4150727536
*3) 世襲の絶対権力者だが白痴の国連事務総長の我儘かつ無邪気な要求に振り回されるスヴェッツだが、過去へ旅するはずがなぜか・・・。
a) 邦訳は、厚木淳(訳)『ガラスの短剣(創元推理文庫668-1)』東京創元社(1981/04) ASIN: B000J802UQ に収録。
*4) aは短編集で「ガラスの短剣」がウォーロックの物語
a) 『ガラスの短剣(創元推理文庫)』東京創元社 (1981/04) ASIN:B000J802UQ
b) 『魔法の国が消えていく(創元推理文庫(668‐2))』東京創元社(1984/07) ISBN-13:978-4488668020
c) 『魔法の国がよみがえる(創元推理文庫(668‐5))』東京創元社 (1986/01) ISBN-13:978-4488668051
d) 『魔法の国よ永遠なれ (創元推理文庫)』東京創元社 (1986/11) ISBN-13:978-4488668068
*5) 邦訳は、小隅黎(訳)『無常の月』早川書房(1979/01) ISBN-13: 978-4150103279 に収録。
*6) 実は東の帝国は悪役
a) 『西の反逆者(ハヤカワ文庫 SF 495 東の帝国 1)』早川書房(1982/11) ISBN-13:978-4150104955
b) 『黒の山脈 (ハヤカワ文庫―SF 東の帝国 2』早川書房(1982/12) ASIN:B000J7I254
c) 『アードネーの世界 (ハヤカワ文庫―SF 東の帝国 3』早川書房(1983/01) ASIN:B000J7HFGQ
*7) 放送から10年、時代が追い付き始めたらしい。
10年近くも前に放送されたアニメ『電脳コイル』の一幕がこれからやってくる世界の未来を予見していると話題に!(2016/06/02)
Microsoftが発表したARメガネ「HoloLens」がまさに電脳コイルな件(2015/01/22)
電脳コイルはタイトルにしか出てこないが、稲見昌彦東大教授によるVRの歴史のサクッとした解説(2016/08/16)
8) 現在、『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第三部「領主の養女V」』TOブックス(2017/09/09)まで出版されている。
9) J.グレゴリイ・キイズ(J.Gregory Keyes/ Greg Keyes);金子司(訳)『錬金術師の魔砲(上下巻)』早川書房(2002/11)
*10)
a) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『神々の角笛(ハヤカワ文庫 FT 33 ハロルド・シェイ 1)』早川書房(1981/07/31) ISBN-13:978-4150200336
b) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『妖精郷の騎士(ハヤカワ文庫 FT 37 ハロルド・シェイ 2)』早川書房(1982/01/31) ISBN-13:978-4150200374
*11) ロバート A.ハインライン;冬川亘(訳)『魔法株式会社 (ハヤカワ文庫 SF 498)』早川書房 (1982/12/31)
*12) ポール・アンダースン;豊田有恒(訳)『魔界の紋章(ハヤカワ文庫―SF)』早川書房(1978/02) ASIN:B000J8R6BY
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