30数年ぶりに、学生時代にアルバイトで世話になった、街=青山を散策した。
国立競技場から信濃町駅を経由して青山1丁目を目指した。
かつて、アルバイトをしていた、「ニュートーキョー 庄屋」と出光石油のスタンドがあるはずだ。
青山中学校のカーブを曲がると、青山1丁目の交差点が目に飛び込む。30年前の街並みと何も変わっていなかった!
と言いたかったが、アルバイト先は地下1Fだったので、街並みの変化は・・・??
青山通りへ出て左を見ると、30年前と変わらず、出光のスタンドが変わらずにあった。その向かいには、B1Fに「笑笑」があった。
間違いなくここが、今の自分の中で血となり肉となっている物を形成した場所。忘れていた、忘れてしまった、当時の想いや出来事が意識の外から一気に流れ込んできた。
アルバイト先のおばさんに、洗濯物を持ってこいと言われたり、家(大蔵省官舎)に招かれて子供たちと夕食を食べたことも・・・
板前さんの家に泊めてもらったり・・・・・・
みんな今はどうしてるかな?同窓会をやりたいくらい。
あの頃は、それを当然のように思って、感謝の気持ちに欠けていたけど・・今は、世話になった皆さんへ感謝の気持ちで一杯。
皆さん、本当に、本当にありがとうございました。
さてさて、渋谷方向へ歩いてみるか。
表参道駅のそばに「屋台村」(246 COMMON Food Carts<>Farmer’s Markets)があった。入り口は、ここ。青山1丁目は、人影もまばらだったけど、ここまで来ると人人人。
屋台村の中は、日曜日でもありゴッタ返していた。これから暖かくなると、ここで飲み会も楽しいかもしれない。
ここで結婚披露宴も行われていた。主役のふたりは・・・
キューピー3分クッキングの店もあって、2Fがレストランだった。
今回の青山散策は、自分の過去の不人情を改めて・・重く認識する旅となった。
今は、少しは改善されているけど・・気の利いた小学生以下だな。
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