日本の片隅で一主婦がぼやく。

基本、ぼやき。
でも、普通のblog化しそうな今日この頃…

丸善とジュンク堂書店の書店員で

2019-10-25 16:51:39 | 愚痴

『十二国記』を読むことは、未知の歴史の誕生を目撃することーー人と麒麟の重厚なドラマに酔う https://realsound.jp/book/2019/10/post-435299.html @realsound_bから
阿進じゃなくて阿選だし、戴麒じゃなくて泰麒だし。と言う細かいことは横に置いておいて、熱狂的ファンを自称している身としてこういう記事をみることはスゴく喜ばしい。


魔性の子が新潮文庫版になっているが、そもそもの12国記との出逢いは講談社X文庫での魔性の子初版であった。
今、その本は手元にない。

いつの間にか小野主上の悪霊シリーズと共に娘が持ち去ったらしい。
私が購入した原作小説悪霊シリーズを娘が持ち去って、娘が購入したマンガの方の悪霊シリーズ全巻を交換の形でどうやら置いてった。ということらしい。
マンガも良いけど、小説の方を読みたい。
ぜひとも全部返してもらいたいところである。

そんな愛してやまない12国記である。
特集記事が載っているというダ・ヴィンチだって買った。


噂によると、丸善の書店員さんとジュンク堂書店の書店員さんの手による冊子があると言う。
残念なことに入手する手段がない。
地方の田舎町にある本屋には都会の本屋で特設コーナーを設けてまで盛り上げていたような12国記祭りのような様子は皆無でポスターの1枚もなく、当然のことながらそんな冊子が置かれるはずもない。

読みたくてメルカリで購入し手にいれた。
配布は無料であるが、メルカリでは最低取引額というものが存在するので、有料である。

さて、その冊子が届いた。
期待は盛り上がる。



冊子のタイトルは
「丸善とジュンク堂書店の書店員で「12国記」について熱く語りたいがために作った冊子」である。

胸が熱くなるじゃないか。
どんなに熱く語られているのだろうと。

ところがだ。
広げてガッカリした。
A4のコピー用紙両面いっぱいに載っているのはどう見ても宣伝ばかり。
シリーズの紹介と、物語に出てくるキーワード。
どこかで見た、どこででも見かけるもう知り尽くした今更情報。
書店員が熱く語っているのはどこへいった?
A4を四つ折りした1/8面に3名の担当者名でお勧めコメントが載っているだけであった。

「熱く語りたいがために作った」というのなら、全面、書店員のお勧めコメントで埋め尽くして貰いたかった。

全然、熱く語っていないじゃないか。

勝手に期待して勝手に盛り上がっていただけであるが、300円出して買ったのがこれかと思うとガッカリして悲しいのである。







動物愛誤

2019-10-25 11:08:14 | 愚痴
猫を飼っている。

昔、保護された猫を譲り受けたことがあった。
里親募集をしていたその人は、捨て猫、野良猫の保護活動家だった。
その頃たまたま見つけた里親募集の記事をみて、この子を飼ってみようかと応募してみた。

何度かメールのやり取りをして、トライアルに入ることになった。
初日、キャリーを抱えて遠路遥々やってきたその人は、ハキハキした物言いのキャリアウーマン風の女性であった。

当時の我が家は分譲マンションに住んでいて、先ずはこのマンションがペットの飼育OKなのかを確認された。
勿論OKのマンションだったし、規約にもペットに関する規制は一行もなく、小型犬を飼っているお宅もあれば通路を大型犬を連れて歩いている人だっていた。
猫だってそこら辺を歩き回っていた比較的自由なマンションだった。

彼女はこの家に大事なこの子を任せて良いものかチェックに余念がなかった。
部屋中くまなく見て回り、押し入れの中まで覗いていく。
どうやら脱走を怖れているようだ。
当たり前の事だが放し飼いはもっての他。
完全室内飼いが大前提である。

断りもなく押し入れを開けて確認された時は呆れたと共にそこまでするか。と思ったものだったが、兎に角初めてのことだったので、この世界ではこれが標準行為なのかと納得することにした。

細かくみて回り納得したのか、契約書を交わすことになった。
遠いところから来たようで1週間のトライアルで行ったり来たりは面倒だと思ったものか、トライアルなしでこのまま正式譲渡とします。と晴れて初日にして我が家の飼い猫となった。

日々の報告はblogで。と約束し、猫との共同生活が始まった。
来た当初は初めての家、見知らぬ人々に怯え、警戒してか物陰に潜んで出てこなかったが、良くしたものでお腹が空くとご飯を求めて出てくるようになった。
お腹いっぱいにご飯を食べ、危害はないと安心したのかリビングで寛ぐようになっていった。

ある日、保護主である女性から電話がかかってきた。
blogで書いていたフードと猫砂が気に入らないという。
ドライフードはここのブランドのこのフード。
トイレの砂はこれにしてください。と指定してきた。

何をか言わんか…である。
正式譲渡されたはずである。
正式譲渡とします。と契約書を交わしたではないか。

この子はうちの子じゃないのか?
貴女から預かった訳ではない。

保護預かりなら分からないでもない。
保護主の方針として色々あるだろう。
でもこの子はうちの子になった子である。

我が家には我が家のやり方があって然るべきじゃないか。
別に変な物を与えた訳でも、そこら辺の土を拾ってきてトイレに入れた訳でもない。

多くの人が普通に買って、普通に使っているペットフードであり猫砂である。
問題のあるものだったらそもそも市場に出回らない。

呆れて言い返す元気もなく、ハイハイと適当に返事をして電話を切った。
この頃から不信を抱くようになった。

こういう事は何となく伝わるものらしい。
うちとしては可愛いと大切にしていたし、脱走させることもなくちゃんと飼っていた。
だが、相手も一度不審感を抱くと信用もならないと思ったのか兎角干渉してくるようになった。

病気でもさせると大騒ぎである。
我が家が引っ越しをすると決まった時は、引っ越し先の家までやってきて当然の如くチェックを繰り返していった。

こうなるとまるでストーカーである。
保護主の過干渉も過ぎるというものである。
そんなに気になるのなら里親なんて探さずに保護した子は全部自分で世話をすべきである。
実際に過剰とも言うべき保護主のこの行為は問題視されていたようで一時、某掲示板でも名前が上がって賑わっていた。
被害者は我が家だけではなかったらしい。

世には外にいる猫たちの保護活動をされている方は多い。
ちゃんとした方もたくさんいらっしゃるということを現在の私は知っている。
知っているが、もう保護猫の里親にはなりたくない。
こりごりなのである。

過剰な動物愛護は愛護とは言わない。
間違った愛護であり愛誤である。