息子の怪我も、最新のバンテージにより、めきめきと良くなってきた。何でも、「貼るだけで傷口が治る包帯」なんだそうだ。
貼り続ける事により、中で包帯からにじみ出るナニカが傷を治すんだって!知らんかったわ。
大昔、私が現役のお母さんだった頃、末っ子は、上の二人と年が離れてたので、上が学校へ行ってしまうと、めそめそと私に甘えてきた。
そして、ちょっと転んだら泣く、ちょっと擦りむいたら泣くというヤワな男となったのだ(いや、まだ2歳だから泣くかな)
その度に私は「ええい!男はめそめそ泣かないのっ」と叱ったものだった。
成長して小学校へ入学し、体より大きなランドセルを背負って登校するようになった。
ランドセルの下から、彼の細い足が見える。我が家は校区の外れだったので、彼の足で、ゆうに30分はかかる。
後ろ姿を見送りながら、「無事に帰って来いよ~」と願う毎日だった。3人目ともなると、色んな事件に遭遇しているので、あんな小さい子を、一人で登校させるのが怖かったのだ。
近所で誘拐されてそのままという新聞にも載った事件が頻発していた頃だ。
下校時間になると、時計と外の様子と交互に見ながら「ちゃんと帰ってくるかな」と毎回どきどきしたものだった。
ある日、足を引きずりながら帰宅。右ひざから弁慶の泣き所?からその下迄流血している。
「きゃ!!どしたん!?」
「あのな、大きなお兄ちゃんが自転車で轢いた。で、ボク転んだ、でも男やから泣かんかった。兄ちゃんが『大丈夫か』て聞いてくれたんやけど、ボクは男やから『大丈夫や』て言うてん」
と、日頃のスパルタ教育が裏目に出た一瞬であった。
「あ、あのね、そんな時には、お兄さんに、せめて家迄送ってもらうとかね・・・」
「お母さん、男は泣いたらあかんっていつも言うてるやん」
「そらそーだ、良く帰ってきたね」と、この融通のきかない所は父親似だなと思いつつ手当をした。
傷を水道水で洗い流し、砂とかゴミを取り除き、赤チン?で消毒。包帯をぐるぐる巻きにする。
登校前に毎日やった。傷口のガーゼを取り除く度に「黄色い膿」が付く。それも日が経つにつれて、段々減少していった。
それで完治したと思っていたのだ。
当時はそんな手当しかできなかった。何で医者に行かなかったんだろ・・・・
今は子供も二人もいる良きパパになった末っ子も、たまに帰省した時、家では半パンになる。
すると長く伸びた足の膝小僧に、結構な傷跡がある。あの時の傷だろうな・・・
大きなお兄ちゃんがぶつかって来た時の恐怖はどんなだっただろう。それでも泣いて帰ればお母さんに叱られると思ったのかどうか、「ダイジョブ」と言って帰ってきた、幼かった末っ子の心を思うにつれて、あまり「スパルタママ」はいかんと、後悔先に立たずではあるけれども、今度子供を授かる事があったら、「溺愛して育てよう」と、そっと拳を握りしめるワタクシ。
もう出産は無理やろなあ・・・当たり前やん(;^ω^)