海辺の町から

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

家の周りは動物園

2021-06-12 15:54:51 | 日記

  早朝から魚市場迄行きました 島民にとって永年の夢だった架け橋が


  息子の大学入学式で知り合った農園を営む知人から 20数年の付き合いです


  イマイチな手洗い器
  

  陶芸教室を終え海辺の町への帰り道半島の北南の海が見えます 左に行くと海辺の町へ

昨日のこと 洗面所の方から鳥の鳴き声がする。
網戸の向こうにヒヨドリが一羽
年季のいった簾の端を口で撮んで私を見ている。
エッと私 ジッと動かないヒヨドリ
犯人はヒヨドリだったのね。
近頃すだれの端が減っていく不審に思っていたところヒヨドリに遭遇したのです。
子育ての時期なのですねー。
裏に表に覚えたての鳴き声がする サンルームの手摺りには羽毛が落ちていたり
これは烏か鳶の仕業だろうか

先日早朝息子から電話が入った 起きたての私は何事かと思って電話に出ると
門に蛇がいると 
そう言われても私も怖い 仕方なく長い鎌を持って恐る恐る息子の近くまで行くと
アッ逃げたと 良かったと思う反面何処かに隠れているに違いない
蛇の嫌いな薬を撒いておいたけれど・・
夫がいればお手の物なのだけれど今朝に限って爆釣の?イサキ釣に
私の寝ている間に出掛けたらしい
蜘蛛にシチビンショウを怖がる息子なので蛇を見たら何をか言わんやです。
夫が帰り朝食時そんな話をしていたら何度か聞かされた話ではあるけれど
幼稚園に通っていた頃(一山越えたところにあるお寺が経営していたそうです。)
蛇との遭遇は日常茶飯事ある日大人の腕ほどの蛇を素手で掴み
首に巻いて(ひんやりして気持ちが良いそうです!)得意げに帰ったら
母親に大層しかられたと話しておりました。
毒蛇の見分けが付けば恐れることは無いとのたまうのです。
海辺の町に暮らせば人口減少は否めず怖いとばかりいっておられません
強くなる物です蛇も生きているのですから。

ウシガエルが草むらで鳴いています 蛇にとってはこの上ない環境なのでしょう
イノシシの多い年は蛇は少なく感じますし又その逆も
何食わぬ顔では無いけれど内心ひやひや物で辺りを見回しながら歩いています。



 

気になって仕方が無いのです。

2021-06-10 11:00:25 | 日記

  蒸し暑い一日でした


  テングサです


  クチナシの花が咲きました


  可愛らしい小菊です


先日30度を超える炎天下無防備にも2時間ほどテングサの片付けをしていました。
少ししんどくなったら止めようと軽い気持ちで一人片付けを
案の定熱中症にかかったようで早々に床に伏したのです。
なのにどうしても気になっているイスラエルとパレスチナ問題
以前本を読んでみたのですが再度読み返しても頭が痛くなるばかり
第一次世界大戦の戦後処理として大国により英国軍の占領下にあったパレスチナ
ホロコーストで離散を余儀なくされたユダヤ人
聖地エルサレムを目指しユダヤ人は1948年私の生まれた年にイスラエルを建国
世界各地に離散していたユダヤ教徒が集まってきた。
以前住んで居たパレスチナ人は故郷を追われ
第三次中東戦争でパレスチナの全土がイスラエルの支配下になって
一つの地域をイスラエルとパレスチナが奪い合う構図が出来上がったのです。
パレスチナは未だに国として認められず不便な地域へと押しやられているのが現状で
パレスチナの中には過激派が生まれ憎しみの連鎖が始まりました。
そんな中強権で知られたイスラエルのネタ二アフ政権も終わりを告げ
野党連立政権が誕生したけれど和平への先行きはけして明るくはなく
何時の時代も戦争で犠牲になるのは幼い子供達やお年寄り
国際機関が中立的立場で物が言えないのにも問題がある。
何千年という歴史の中でエルサレムを聖地とするユダヤ教イスラム教キリスト教
信仰心の薄い私には争いの中から勝ち得た聖地がそれほど大切なのか理解できないのです。
互いの宗教を認めあった状況の中からしか真の平和は望めないと思うのです。

複雑な問題だからこそ今まで解決を見いだせなかったのでしょうが
最単純に純粋に考えれば幸せが近い気がします。
幸せを否定する人はいないでしょうから。




陶芸教室も再開しました

2021-06-06 15:05:29 | 日記

  陶芸教室近くの公園の緑も一層鮮やかになっていました


  教室前のオブジェ


  檜葉の花?


昨日は久し振りの陶芸教室
当地もクラスターのあおりを受けて陶芸教室も長い間休講していました。
「お久しぶりです お元気でしたか」と誰彼と無く挨拶を交わし
やはり皆の顔を見てホッとするところが有りました。
マンネリ化した作品作りにもうソロソロかなと
ここ一年思い続けていたのです。
運転の出来ない私は陶芸教室の間夫に待って貰っているのです。
後ろめたさも感じながら送って貰って10年が過ぎ
夫の運転が無理だったら思い切れるのですが未だ大丈夫そうなので
街中の空気を吸いに出掛けています。

画像の針葉樹の檜葉は四国では余り見掛けなかったのですが
公園の一角に白い花が・・と思って近づいてみると檜葉のような
葉の先に白い花?が一面に咲いて(付いて)花のようでもあり実のようでもあり
思えば幼かった頃空き地の生け垣に檜葉が植えてありました。
画像の白から緑に変わった頃その実を採って檜葉鉄砲で遊んだものです。
径の異なる二つの竹をつかい檜葉の実を大きい方の竹に詰め
細い方の竹で空気圧を利用して押し出すという
いたって簡単な遊びでした。
幼いながらにも遊びを通して多くを学び
あすなろうの歌も 檜に成れると信じて檜葉の気持ちを代弁した
歌だったような・・
烏が鳴くからかーえろ って三々五々家路へ急いだものでした。



海辺の町を選びました

2021-06-03 19:54:35 | 日記

  今が盛りとすかし百合が咲いています 晴れた日に撮影


  オクラにモロヘイヤです


今日は生協の宅配日朝から雨が降っている。
少し早めに道路まで出て配送車が来るのを待っていた。
カッパを着て一輪車に買い物かごを載せて 一週間分の注文品です。
何気なく裏山を眺めていたけれど段畑は草木で覆われ山が迫ってきている。
管理する人も無く自然に任す状態の海辺の町は
一昔前まで段畑でお年寄りはサツマイモやジャガイモを作っていた
「耕して天に至る」海辺の町は山が海岸近くまでせまっている地域で
先人は山を開墾し海から石を担いで石垣を築き畑を作っていた。
それも今は見る影も無く草木で覆われ獣道と化している。
空(高い場所)に住んで居た人は下におりてきて海岸に近い場所で寄り添って暮らしています。
ものの5分も歩けば伝言が出来るという場所での生活です。
嫁いで40数年 サラリーマンの家庭で育った私が転校生となった時の
辛い経験を子供達にはさせたくないとの思いから海辺の町を選んだのでした。
反対を押し切っての結婚です。
知らないと言うことは恐ろしいものです。
何もかも新鮮で此処で生きてみようと思ってからは
積極的に地域との関わりを持ち 街にも県にも出て発信することで
海辺の町の存在を知らしめたのです。
70数年生きて来て心残りは穂高の山小屋で山番がしたかったという
夢を果たせず海辺の町を選んだことです。

強く降り出した雨の中生協の荷物を一輪車で
押しながら体力の弱って来た自身を思ったのでした。

ラブコール

2021-06-01 09:10:38 | 日記

  夜明けが早く太陽に起こされています


  日曜日息子家族がキス釣に 海辺の町に来る途中再度キス釣に挑戦し お土産に20匹近く貰いました


  ミニバラが咲いています


ブログと出会って1年6ヶ月 あれよあれよという間に時が過ぎてきた。
書けないでも書かなければと自身を追い込んで辛くなったり
そんな時もあったけれど書きたいときに書く不定期ブログ海辺の町となりました。
長かったのか短かったのか私には分からない
心地よい刺激を受けながら前期高齢者と呼ばれる年齢になり
何時自身の身の回りに何が起きても不思議では無い
元気そうに見えても先のことなど誰にも分からない
そんな中気になっているブログが有ります。
ここ数ヶ月更新されていないgarakutaさんのブログです。
同じ時代を生きてきてあの時代の新鮮な匂いが蘇ってくるのです。
社会と対峙しながら輝いていた若かりし頃
幾つになっても基本は変えられず匂いを探しているのかも知れません
言葉の持つ力強さに圧倒されながら
花を愛で音楽を聴き本を読む
今は充電中なのと理解しています。
フル充電になったとき又再開して下さい私からのラブコールです。