2017/8/17
・「わたし」が、たくさんの「わたし」とともに日常を更新していく話。
・30人を超える「わたし」が、あっちに行ったりこっちに行ったり、集合したり離散したり、踊ったりポーズを決めたりしながら、日常のイベントに反応していく。
・「何を語るか」だけではなく、「どのように語るか」が強烈な見所になっている。
・単に「ケーキを食べてうれしい」というどこにでもあるシーンを、ここまでエモーショナルに表現しているのを初めて見た。文字どおりのお祭り騒ぎ。
・お祭りでもあるし、マスゲームのようでもあるし、ライブ会場のようでもあるし、ダンスや合唱の発表会のようでもある。
・稽古場とか、劇場に入った後の調整とか、ちょっと想像してみただけで気が遠くなる。
・終盤に役者さんたちの動きとポジティブさのピークを持ってくるのは見た目以上にたいへんだったと思う。
・演出力が高い。というか、強い。
・ここまでの演出力があれば、そのへんのファミレスのメニューを台本にしても、そこそこ面白い演劇作品が作れると思う。妬ましい。
・そんな強い演出に、楔のように太宰治の『女生徒』の言葉が打ち込まれていた。
・犬おじさんの長台詞が繊細で聞き入ってしまう。
・同じことの繰り返しで新しいものが生まれる感じがボレロっぽい。
・人間なので繰り返しの行き着く先は「死」しかないんだけど、先に見せちゃうことで暗い作品になることを避けている。構成の妙。
・育児パートでああいう表現が許されるのは今風でよいと思う。
・「舞台上で打ち上げが始まった!斬新!」と思ったけど違った。
・極めて抽象度の高い話なんだけど、言葉や動き、音楽と映像でとてもポップにサービスよく見せてくれる。
・なので、こういうラベリングは不本意かもしれないけど、札幌のアート系演劇の最前線だった(初演は4年前だけど)。
※太宰治『女生徒』(1939年)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます