縁起笑店

縁起の道も招き猫から
陶芸家猫社長のつれづれコラム
横浜の縁起村から伊豆の満腹村に移住

納豆売りの少女

2007-08-14 | Weblog
猫社長のおばあちゃんは猫ばばあだ。明治生まれ、今はもういない、猫ばばあは猫じじいとの間に8人の
子供をもうけた。猫じじいは酒好きで当然家は貧乏だった。それでも納豆売りの少女がいつも最後に
猫ばばあの家へ納豆を売りにくれば全部買ってあげていたそうだ。あっぱれ猫ばばあ、
昔は人を思いやる情けがたっぷりあったのだ。
納豆売りの少女も家が貧しかったので家計の足しに働いていたのだろう。だが彼女はその後
近くの花街に売られて行ってしまったそうだ。悲しいかな戦前にはこういう話はよくあった。
猫ばばあの子供たちは極貧だったにもかかわらずどこかへ売り飛ばされることもなく
大きくなって皆独立して行った。その中の一人が猫社長の婆猫だ。
さてここからは猫社長の想像だけど、納豆売りの少女は終戦後東京へ行き、花街で蓄えたお金で
青山に土地を買って小さな定食屋を始めた。料理の味と愛嬌で店は繁盛し彼女は小さな
アパートを建て賃貸経営にも乗り出した。まじめにこつこつ仕事をこなしながら、お金が貯まると
土地を買いまたアパートを建てた。そんな時、日本にバブルがやってきた。彼女は青山のアパートを全部
売った。彼女のてもとには何百億というお金が入った。元納豆売りのおばさんは今度は麻布十番に住宅権
店舗を買って飲み屋を始めた。でもこんどは好きなときに店を開け、毎日十番温泉に浸かり、
孫に時々お小遣いをあげるおばあさんになった。浪花屋がまだ有名になる前はその日売れ残った
鯛焼きを全部買ったそうだ。これでいいのだ。