ちょーっと最近ユルめの日記が多かってので、今回は襟元を正していきましょう。
今回のテーマはズバリ『責任を取る』。
このカテゴリー内で何度も出てきているワードです。
『責任を取る』、なんとなく重い響きです。
そして、なんとなく尻込みしてしまいます。
責任を取りたくないから、大人になんかなりたくない!いつまでも勝手気ままに自由な子供のままでいたい!
コレをピーターパンシンドロームといいます。
言い換えれば、大人になるということは『自らの責任を自らが取る』ということ。そして、くどいようですが、それが『自立する』ということ。
では、『責任を取る』ということはどういうことなのでしょう?
少なくとも、『失敗したら腹を切って命を持って償う』なんて、別にここまでの覚悟はしなくても大丈夫。
ただ必要なことは、自分の言動によってでた、その結果を『認め』て『受け入れる』ということ。
例えば、
会社に嫌な上司がいて、仕事も自分が思った内容とは違う。もうこんな会社でこんな仕事なんてやってられるか!
と、なって会社を辞めた。はいいけど、再就職先が見つからない・・・。
そんな時、再就職できないのは不況の所為。会社を辞めざるを得なかったのは上司の所為。と、周りの所為にするのは簡単です。
でも、周りの所為にしているばかりでは自分の行動に対する責任は棚上げの状態。ただ、自分の身の上を嘆くばかりで、このままでは状況は何も変わりません。
でも、会社を辞めると決めたのは自分。その事実をまず、認める。そして、再就職できないのは不況の所為でも誰の所為でもなく、自分の持つ条件が相手の会社が求める条件とは違う、ということを認めてその事実を受け入れる。
これが会社を辞めた、という行為に対する責任を取る、ということ。
『責任を取る』ということは、自分の起こした言動に対して返ってきた結果をどのようなものであれ、『認め』て『受け入れる』こと。
そうすることで、また、次へと進むことができるのです。
このシリーズも6回目となりました。
で、何度も出ていますが、『呼吸』ということはどうやら核(コア)をなすキーワードのようです。
そもそもなんで『呼吸』なのか?
わたしなりに考えてみました。
その結論としては、
『呼吸』は『魂』を肉体につなぎとめる『鎖』のようなものではないのかと。
そう思い至りました。
呼吸ができなければ、肉体を維持することはできません。
でも、『魂』自体は不変で不滅のもの。
だから、呼吸できる、できないはあまり関係はない。
でも、この小さな器(肉体)に魂をつなぎとめるためには、魂が肉体にとどまるためのそれなりの理由が入ります。
以前にも何回か書きましたが、『魂』はエライ快楽主義者ですから、悲しいこと、つらいこと、ストレスなどを感じるとイヤになってわたしたちの身体から「逃避」してしまいます。
魂が逃避してしまうと、当然ながら思考は自我に支配されたものとなり、周りの状況に大きく左右されいわゆる『ブレた状態』になります。
で、そんな時に意識をして深呼吸することによって、『魂』に
まだ、わたし(の意識)はここにいるの!だから出て行っちゃダメ!!
と言い聞かせるのではないか、とわたしは勝手に思っています。
でも、実際、意識して深呼吸することによって自分の芯がシャンと整う感じがするのであながちでたらめではないんじゃないかと思っています。
魂がまちがいなく肉体から離れ引き上げる時、それは肉体が「死」を迎えたとき。
呼吸は肉体を維持するための必要不可欠なもので、呼吸が正しく行われているということは「肉体は生きている」ということを示します。
ですから、意識的に呼吸をすることによって、
「わたしは今、この身体でこの世界に生きている」
と魂に宣言するのではないか、
呼吸とは
「わたしが今、この世界で身体を持って生きている」
のだと確認する行為なのではないかと、そう思うのです。
今の世の中、闇の部分に意識を合わせれば、ネガティブな要素が盛り盛り沢山で夢も希望も見つけられません
でも逆に光の部分に意識を合わせれば、かつて感じられたことがないほどの夢や未来を見出せます。
だって、自分の思いが即、現実化するなんてこんなに楽しい事はないじゃないですか
だけど、楽しいといえるのはあくまでポジティブな思い(例えば夢)が現実化した場合であって、不安などのネガティブな思いが現実化してしまうのはなんともイヤなもの
そこで、常に楽しいことばかりを考えられればいいのだけど、こういうときに限ってTVのニュースなどで目にする情報は不安を掻き立てるネガティブなものが多い。
だから常に周りの状況に流されないように『地に足を着け』、しっかりと『ブレず』に『自分の中心へ繋がっている』ことが大切になってきます。
『地に足を着ける』ためには呼吸や肉体を意識して使うことが効果的
では、
『自分の中心へと繋がりブレない状態』になるためにはどのようなことをすればよいのでしょうか?
昔から効果的だといわれているのが、『瞑想』。
静かに深く自分の中に入って自分と向き合う。
確かに効果ありそう。
でも、仕事中に上司やクライアントから無理難題を押し付けられてテンパっているときに『瞑想』なんてやってられない
子供がケンカして大騒ぎの最中に深く自分の中に入って、なんてやってられない。心静かに穏やかにしなければいけないときほど、できるような状況じゃないもの
でも、ここで『ブレず自分の中心へと繋がっている』状態をつくりだせれば、ストレスも自己嫌悪もなく最良の方法で問題を解決することができます。
では、『ブレず自分の中心へと繋がっている』状態とはどのようなことをいうのでしょう?
例えていうと、
「プラモデルを夢中で組み立てている」時の状態。
夢中で何も考えずに何かにのめり込んでいる時こそが『ブレていない』状態。
周りの状況などまったくお構いなしに目の前のことに100%集中している時こそ自分の中心にしっかりと繋がった状態になります。
そうは、いっても目の前のことに100%集中する、ということは日常ではとても難しいですよね
掃除して、洗濯して、合間にテレビ見て。
なんて、『ながら』でこなさないと時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
仕事だって同じ。一つのことにじっくり腰を据えてできればいいけど、大抵は複数のことを同時にこなさないといけない。そうなると意識も散漫になってしまうのは仕方ないですよね。
そんな時こそ、やっぱり大切なことは『呼吸』
「自立するためにまず3」の続きです。
自立をするために大切なことは、
結局、「自分の責任は自分で取る」そのための覚悟を持つこと
この一言に尽きます。
で、そのためには常に『地に足を着ける』ことが大切になってくるわけですが、もう一つ大切なことがあり、
それが『自分の中心にいる』こと。
自分の中心にいない状態とは、ブレた状態。
いま国会を賑わしている人にもたくさん見受けられますね。
言うことがその都度、ころころ変わり、いったい何がしたいのか・・・
きちんと自分の中心を定め、その中に意識をおくことができずにいると、彼らのように常に周りの状況に振り回され自滅してしまいます。
まるで渦にのまれた木の葉のように。
逆にブレずに自分の中心を定め、その中に繋がることできれば、まわりがどのような状態になっても混乱することなく冷静に自分の成すべきことが見え、行動できますし、いまの経済、政治、社会が混乱しているような世の中でも良い流れを見つけその流れに優雅に乗ることができます。
世が不景気でも、政治がダメダメでも、それが何か?
といった具合。
そう、『思いが現実化』する速度がドンドン増してきているこの時代、自分の意識をどこに合わせるかで「自分の思い通りの楽しい現実」にもなるし、マスメディアがこぞって報道する「不景気で希望も持てないお先真っ暗の現実」にもなる。
あなたはどちらの現実を選びますか?
わたしは当然、前者ですが。
でも、そのためには「不景気で希望の持てない現実」というメディアの報道や社会にまかれることなく、自分の中の『真実』を見つけなければなりません。
そのためには『ブレない』こと。
『自分の中心にしっかりと繋がる』こと。
その方法は次回で。
前回は『地に足を着ける』ための方法として、『呼吸』の大切さと効果的な呼吸の方法を紹介しました。
『地に足を着ける(グラウンディングする)』ということはチャクラでいうと、人間の根本的で究極的な欲求である「生存本能」を司る第一チャクラに関連します。
大雑把に説明すると
地に足を着ける→肉体を持ってここにいることを認める→生存本能を司る第一チャクラが活性化する
という構図になります。
逆にいうと、肉体を意識的に使うことによって『地に足をつける』ようになります。
ですから、『呼吸』以外にもチャクラを効果的に活性化して整える『ヨガ』もとても効果があります。
でも、毎日『ヨガ』のための時間をとるというのも中々難しいですね。
また、『ヨガ』にそれほど興味を持てない人もいるでしょう。
そこで、とても手軽で効果があるおススメの方法が『お散歩』
何も特別な時間を取らずとも、毎日の通勤時間で一駅分多く歩くとか、自転車や車を使う所を近場であれば徒歩にする。
『歩く』という行為はたった10分から15分の時間でも日常で取り入れることでとても効果があります。
なぜなら『歩く』ということはまさに『地に足を着ける』行為そのものだからです。
呼吸をして自分の鼓動のリズムを感じて、足元に咲く花を見、空の雲を眺め季節の移ろいを肌で感じる。
肉体を意識して使い、感じ、対話する。
そんな時間をわずかでも日々の中に取り入れてみてはどうでしょう。