これも時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、とにかく今、わたしたちは一人ひとりが自立することを否応なしに求められています。
そして、自立するためにはまず、『依存』から脱却しなければなりません。
『依存』から脱却するということは、『自分の責任は全て自分で負う』ということ。
安全そうな大樹(会社)にすがりつくことを止め、木が倒れようと伐採されようとも大丈夫なように自分の足で立つこと。
権威(国や偉い人)がこう言ったからそうする、ではなく、自分で判断し、決めること。
でも、こうやって見ると『自立』ということは、なんだかとてつもなく厳しく難しいもののように思えてしまいます。
ですが、『自立』することは厳しいことだけでなく、誰かに人生をコントロールされずに自分の思うままに生きる『自由』と自分自身に対する『権威』を得ることでもあります。
ただ、そのためには『責任』が伴う。
ただそれだけ。
それに『自立』を求められる、といっても何もない砂漠に着の身着のまま「さあ、これからは自分の力で生きなさい」と放り出される訳ではありません。
自分で判断するための情報は誰でも簡単に手に入れることが出来るようになりましたし、『転職』ひとつにしても少し昔までの考え方、認識がずいぶん変わりました。
かつては、『転職』ということは特別な事情があってのことで、通常は就職した会社に忠誠を近いその会社に「骨を埋める」ことが当たり前だと考えられていました。
ですから、どんな理不尽な目にあってもだまって淡々と働くしかありませんでした。
それがバブル崩壊と共に「終身雇用制度」は崩れ、会社への忠誠も薄れて代わりに「ステップアップのための転職」という考えが日本でも増えてきました。
就職した企業で実力をつけ、キャリアを積んで更に自分を高く評価してくれる企業へと移る。
今までは一生をかけて仕えるはずの主(会社)を踏み台にすらできる。少し前までは考えられなかったことです。
写真家などのアーティスト(芸術家)といわれる人たちも然り。
例えば写真家を目指すなら、有名な先生に弟子入りして何年も下働きを積んでプロになる、あるいは大きなコンクールで入賞する、そのくらいの限られた門戸しかありませんでした。
ところがインターネットの普及によって、趣味で撮り続けた写真をネットサイトに載せたらそこから人気がでて個展を開くまでになる。そんなことも夢ではなく、現実に可能になりました。
かつてあった狭く限られた門戸はなくなり、その気になれば誰でも可能性は開かれるようになったのです。
ようは、自分次第
自分次第で夢を現実のものへとすることができる。
そのための下地はすでに整えられているのです。
何もない砂漠に見えた世界は、限りない夢と可能性に満ちた世界で、わたしたちは自分次第でどんな世界をも創り出せることが出来る。これがいまの時代。
そして、自由にその世界を創り、楽しむためのツール『ドラえもんの四次元ポケット』もみんな既に持っているのです。
ただ、それに気づくか気づかないか。
それだけ。
こんな不安定なご時勢になると、大企業とはいえ民間はやはり「リスキーだ」と「公務員」に人気が集まります。
「寄らば大樹の陰」大樹も「国」ならば倒れることはないだろうと、誰もが思うのですね。
でも、それすらも大丈夫だとの確証がない、それがいま。
思えば昨年のギリシャの財政破綻、まだ記憶に新しいと思います。
巨額の赤字を出して破綻したわけですが、実は日本が抱える国債赤字のほうがずーっと多いって、ギリシャが破綻した赤字の比ではないってご存知でしたか?
今回の3.11震災でまた更に国債赤字は増えます。
このままではいつ破綻してもおかしくないのがいまの日本の現状。
では、破綻すればどうなるのでしょうか?
まず、おこなわれるのが財政の建て直しですね。そのためには「無駄」を徹底的に洗い出し省きます。その最たるものが現政府が当初掲げた「公務員の削減」。
いまだ、敢行されていませんが、破綻する前にすでに「公務員は多い、削減すべし」と認識されているわけです。そんなご時勢ですから、公務員も決して「安泰」とは言えないでしょう。
では、わたしたちはどうすれば良いのでしょう?
今までのような誰か(会社)に従えば、あとの面倒は見てもらえる。
という幻想を捨てることです。そして、会社はいつなくなっても大丈夫なように『自立』すること。
『自立』とは、なにも会社を辞めろということではありません。ただ、会社に従えば後はOK、という思考から脱却して仕事を通じて積極的に自分を高めること。
自分のキャリアを積むこと。これが『自立』。
『自立』するべき対象は仕事だけではありません。
前回でお話した『封建的権威主義の崩壊』。
ということで、『権威』というものに対しての『自立』も必要になってきます。
『権威』ということで、一番に出てくるのが「国」です。
「国」の権威はどうでしょう?わたしには風前の灯に見えるのですが。
諸外国に対しても、国民に対してもいまや国の権威は完全に失墜しているように感じてなりません。
そんな中であてにならないものの筆頭が「年金」。
かつては「老後は年金で悠々自適な隠居生活」がよく言われていましたが、今やそんな言葉はついぞ見かけません。年金はもらえても微々たる額で、「悠々自適な隠居生活」なんてどこかに飛んでいってしまいました。
そんな訳で、国がなんとかしてくれる、という考えからは脱却して国がどうなろうとも関係ないという状況を自分で作っておいたほうが身のため。
お医者さんも『権威』のひとつです。
いままでは何かあれば病院に行き、医者の言われるままに処方された薬をのみ、処置を受けることが一般的でした。
あなたは、いま飲んでいる薬がどのような効能を持ち、そしてどのような副作用があるかご存知ですか?
お医者さんが処方してくれたから。たったそれだけで、それ以外のことは知ろうとせずにしていませんか?自分の体のことなのに「お医者さんが処方してくれたから」「お医者さんがそういったから」と他人任せにしていませんか?
医者や病院を疑えと言うのではありません。
ただ、自分の体のことなのに、権威(医師)に任せっきりで自分の体に対する責任を放棄していませんか?
せめて、自分の体のことなのだから、処方された薬がどのようなものなのか、くらいは知る必要があると思うのです。
調べようと思えば、ネットで検索すればすぐにわかりますし、本も売られています。
そんな中で、「権威のある人(医師)がこれを飲めと言ったから飲む」というのは自分に対する責任の放棄だとわたしは思うのです。
この混沌とした不安定な時代の渦に巻かれてしまわないようにするには、『信念』をもつことそのためにはまず、『自信』を持つことが大切だと前回までお話しました。
そして、『自信』を持つことは『自立』する上でもとても大切な基礎となります。
これからの時代のキーワードはズバリ『自立』
それは不安定な世の中を生きる上でも必要ですが、それだけではなく、これからの時代は一人ひとりが『自立』することが前提での時代になるからです。
それではいままでの時代、わたしたちは『自立』していなかったというのでしょうか?
答えは『YES』。
いままでの、有史以来ずーっと長い時代を一言で表すなら『封建的権威社会』でした。
それは、古代の奴隷制度の時代を含めてもです。
用は、その時代の権力者に自身を明け渡すことで生活の保障を得る、そんな時代。
奴隷であれば主の命に従えば、生活の面倒は見てもらえました。その主が奴隷にとって慈悲深ければ、それだけ奴隷にとって幸せなことでした。
なぜなら、命にさえ従っていればそれ以外の全ては、主が責任をもって面倒を見てくれたから。
言い換えれば、『自由』を放棄することで『責任』を免れていました。
そして、この構図はつい最近まで続いていたのです。
古代と違うのは奴隷がわたしたち『一般人』で、奴隷が使えるべき主が『会社』だということ。
だからわたしたちは奴隷にとって慈悲深い主の代わりに「福利厚生の整った」そして「安定性のある」大企業にこぞって就職を希望し、就職してからはそれこそ「会社第一」でまさしく会社に「隷属」してきました。
その最たる世代がいま『団塊世代』といわれる人たちで、企業に就職してからは主が言うままに「西へ行け」と言われれば西へ行き、「東へ行け」と言われれば東へと家族を巻き込んで、主(会社)には忠実に働いてきました。
それでも、今までは主(会社)に忠実でさえいれば、生活は保障されていましたし、無事に定年を迎えてお役ごめんになれば、かなりまとまった額の退職金を手にし、老後も悠々自適な生活を保障されていました。
と・こ・ろ・が
バブルの崩壊後に今までの『封建制度』は崩れ始め、今や、世界的大企業でさえ倒産は免れない時代になりました。
「寄らば大樹の陰」が通用しなくなったのです
更に今までは就職さえしてしまえば、後は「上(上司)」の言うことを聞いてさえいれば年功序列で順番に役職がもらえ、給料もあがり、順当に退職を迎えることができました。
それが「鉄壁の掟」、年功序列は風前の灯。
自分よりも10歳も年下の「若造」がある日突然、「上司」としてやってきて、アゴでこき使われ、能無し呼ばわりされた挙句にリストラ・・・
そんなドラマでしか考えられないようなことも、一般的によくある時代になりました。
もぅ、大企業に就職さえすれば良いという時代は終わりました。
もぅ、大企業に勤める男性と結婚さえすれば一生安泰、という時代は終わったのです。
「自立することの大切さ1」の続きです。
「揺るぎない信念を持つ」言い換えれば「命を懸けてもこれだけは譲れない何か」
みなさんはありますか?
わたしはいまだ、模索中。
でも、『信念』を持つにはその前に、『自信』を持つことが求められるのではないかと思うのです。
『自信』とは『自己への信頼』
自己を信頼するためには、まず『ありのままの自分』を認め、判断せずに全て受け入れる必要があります。
それが第一歩であり最初の難関。
けれど、全て受け入れて認めることが出来ればその後は自然と『自信』も出来ます。
『自信』、『自己への信頼』が出来れば、自然に意識が『自立』へと向かいます。
そこで『揺るぎない信念』があれば、さらに『自立』を確たるものにしてくれるのですが。
ここで、『自立』への第一歩、『自信』。
みなさんは『ありのままの自分を』認め、受け入れること出来ていますか?
言い換えると『今のありのままの自分を全て好き』と言えるでしょうか?
「好き」と言えないのであれば、それは恐らく自分の嫌な部分や欠点が許せないのでしょう。
でも、殆どの人は自分の「長所」を挙げるより、「欠点」の方がスラスラと挙げることが出来るのではないでしょうか?
わたしも自分の「欠点」は考えれば山ほど出てくるのに、「長所」を挙げるとなると考え込んでしまいます。
さぁ、ここで『セドナメソッド』の出番です。
『宇宙の法則』シリーズでご紹介した『セドナメソッド』を使って、自分の欠点を1個づつ手放して行きましょう。
更に、著書『美人塾』で紹介した魔法の言葉を使ったレッスン、「わたしってかわいい」を毎日続けましょう。
続けることで、ある日きっと今までとは違う自分を実感できると思います。
『変化も成長も一日にしてならず』。毎日の積み重ねが確たる一歩となり、その一歩を積み重ねることによって、あるとき周りを見渡せば、自分が遥かな高みにまで登っていたと気づく。
人生ってきっとそんなもの。
最近天気が悪いと思ったら、今日から入梅ですって。
それで、少し前から気になっていたんだけど、最近の傘、特にコンビニで売っているようなビニ傘って大きくないですか?
小柄な女性が差していると、大人用の傘を子供が差しているような感じに見えてしまう。
更にはビニ傘ではないのですが、ビーチパラソルのような大きさの傘を差している人を何人か見ました。大の大人の男性が二人で相合傘をしても大丈夫なくらいの大きさで、何もここまで大きくなくても、と思ってしまいます。
わたしはお気に入りの傘が寿命で×になってしまい、以来ここ数年、気に入った傘が見つからなくてもっぱらコンビニのビニ傘を愛用しているのですが、最近の傘ってみんな大きなものなのでしょうか???