なぜかふと思い出した。
自分は多分今まで5回くらい、精神疾患になったことがあるのですが、なぜか3回目のうつになったことを思い出した。
その時の原因がよくわからなかったが、あれから20年以上たった今何となくその原因が見えてきた気がしたのです。
当時自分は金融機関のシステム開発の仕事をしていた。大手7社が共同で使用するシステムを作ろうという話になり、共同で子会社を立ち上げて、その会社に出向し、あるグループのリーダーを任された。
実はその職場に赴任当時は、自分はシステム開発の経験は全くなく、ずぶの素人だった。よってシステム開発の実務は、子会社のシステムエンジニアに全てを任せるしかなかった。
そして他社との共同のシステム開発においては、各社の利害利得がからみ、役割分担や作業分担でいつも揉めていた。結果交渉の強い人間の会社がこのプロジェクトを主導していく形になることが多かった。
そんな中、私は私のグループ内においてまず部下を最大限尊重し、部下の発案・アイデアをほぼ全て任せ、自分は部下たちが働きやすい環境づくりと、問題が発覚した時の調整役に努め、他社との交渉においても徹底した融和・協調路線を貫いた。
会社の上層部からは『なぜ他社にそこまでするのか?する必要はない。他社につけこまれるぞ』と言われたりもした。
しかし各社の上層部からは、「なぜか、てつてつさんのところだけ和気あいあいと各社が楽しそうに仕事をしている。他のグループが各社で対立している中、あり得ない。と思った。」と言われた。
そして、システム本番稼働後もシステムトラブルが一切なく円滑に共同システムが稼働したことに驚かれた。
その時の自分は、とにかく周りが働きやすい環境にすることだけに腐心していた。周りがスムーズに仕事を進めてくれることだけを考えていた。
しかし、共同システムへの円滑移行について、会社の上層部特に他社の上層部から、「てつてつさんのお陰だ」と称賛頂いてから、それがあまりにも嬉しく、自分が褒められる存在でいたいといつの間にか強く願いを持つようになってしまった。
そんな中、また共同システムに新しい会社を迎え入れるというプロジェクトが始まった。
システム開発の仕事は、まず現状分析し想定される問題点を洗い出し、それをシステム作業に落とし込み、全体のスケジュールを策定し、各社各担当の役割分担を整理していかないといけない。
その責任者をプロジェクトリーダーというが、その立場が私だった。しかし、今まではそれをできる人間に任せていた。そしてそのできる人間を尊敬しそんな人たちが周りにいることが幸せだった。
しかし、今回はシステム開発の世界ではまだまだ素人の私が、また以前のような周りからの賞賛を求め、自分の力だけでプロジェクトを推進しようとした。しかしうまくできない。想定すべき事柄が想定できず、まったくデザインできない。
そのため、プロジェクト自体が滞り始めてしまったので、私は同じグループの他社から出向してきているサブリーダーにその立場を譲った。
そのサブリーダーは、見事に鮮やかにその仕事を進めていった。全体計画の策定から役割分担の整理など見事にプロジェクトを進めていった。そこに私の存在は全く必要なかった。
以前の私は、周りの人が働きやすく、そして働き甲斐を感じ、喜んで頂きたいと願っていた。
しかし、その後、周りの人から喜ばれるような『自分に』なりたいと、いつの間にか願うようになっていた。
あくまでも私の感覚ですが、この二つは似ているようで真逆だ。前者は周りの人の幸せを願っているが、後者は周りの人が幸せになって自分を褒め称えてくれること。すなわち自分の幸せが前面に出てしまっている。
ただただ周りの幸せを願い、自分の真心を出していく(佐藤学長言うところの)『黄金の谷の法則』と自分の下に周りからの賞賛を集める事に腐心する『山の法則』の違いだと思った。
『黄金の谷の法則』は自分が愛を出して谷を掘っていき、そこに自然と水が流れ込んでくる。出したら出した分だけ谷は削られどんどん深くなり、さらに水は流れ込んでくる。
しかし『山の法則』は、自分が必死にかき集めて山を作ろうとするが、気を抜くともろくも崩れ去ってしまう。その崩れ去るのが怖くなり、うつに陥ってしまった。
私はいつの間にか自分中心の世界に陥り、優秀な人を妬み、自信を無くし、自己喪失感が強くなり、心はドン底に陥って、かっこ悪い自分に仮面をつけようとした。しかしその仮面がはがれるのが怖くなり、うつになってしまったのです。
・・そんなことを今ふと思う。
今もリハビリ中だが、幸せになるヒントが、今までに陥ったうつの原因を探る中で見えてきている気がした。
ありがとうございました。
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