八幡一丁目交差点から北上し、カーブを右に曲がると石橋があり、このたもとに、
38番辻標「石切町(いしきりまち)/覚性院丁(かくしょういんちょう)」が設置されています。
「石切町」周辺は、1660年寛文年間には、石切御職人の住居エリアでした。また、八幡町に至るこの道は、城下と石巻や山形を結ぶ要路だったようです。石切御職人の子孫「小梨石材店」が往時を偲ばせます。
橋は、左手から右手に流れるへくり沢の上にかけられていました。
「覚性院丁」は、土橋通から石切橋までの間を呼んでいました。もともと覚性院は、東六番丁小学校の地にありましたが、東照宮造営にあたり、一時東照宮の仮宮とされ、この地に移されました。のち明治の初めに廃寺になりましたが、地域住民の方々は、春日神社の整備と共に地域の名称として誇りを持たれています。
石切橋の左手に「瀬田谷不動尊」がありますが、逸話・縁起らしきものが見当たりません。
そう言えば、春日神社のへくり沢散歩道案内板④に手がかりがありました。仙台城築城に貢献した石工たちがこの「瀬田谷不動尊」や「大崎八幡宮」で奉納した「ハネコ踊り」が「仙台雀踊り」のルーツというのです。諸説いろいろあるのでしょうが、さもありなんですね。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森