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仙台市歴史民俗資料館「なつかし仙台5」特別展で明治・大正・昭和にタイムスリップ①

2024年02月09日 | 街角ぶらり

仙台市内を街歩きしていると、眼に入るのは、マンションや高層ビルの建設ラッシュです。ダイナミックに街が変わりゆくエネルギーに驚きますが、過去に消えていった街並みや建物そして庶民の暮らしなどに何故か強く惹かれます。

※このポスターの写真は、かつての森天祐堂の店頭の写真です。

そんな折、仙台市歴史民俗資料館「なつかし仙台5」~いつか見た街・人・暮らし特別展が開催されているのを知り、さっそくやってきました。

榴ヶ岡公園内の仙台市歴史民俗資料館は、かつての陸軍歩兵第4連隊の兵舎の建物を利用しています。

入口にさきほどのポスターが大きく設置されています。

20年ぶり位の見学です、入館料は、一般240円ですが、シニアは無料でした。

古めかしい階段の上が展示室です。まずは、常設展から見ていきます。

仙台駅の歴史です。

戦争中の暮らしの展示です。

当時の商店街が作ったすごろく遊びでしょうか、なかなかいいアイデアですね。

戦時中の様子です。

歩兵第4連隊の資料コーナーです。

仙台の中心部と郊外の暮らしの展示コーナーです。

”ハニーバケットワゴン”とはよく言ったものです。

農家が肥料とする肥樽(人糞尿)を集めて馬車で運んでいました。昭和三十年代後半、家の近くの坂道で、樽が崩れた場面を記憶しています。幸い、集めに行く途中でした。

藁細工も貴重な資源で、必需品でした。

仙台の郊外は水田地帯でもあり、使われていた農機具の一部が展示されています。

駄菓子屋の店頭の様子です。

 

仙台城大手門のこの角度の写真が一番使われています。再建は、だいぶ先ですが、楽しみであるとともに、青葉城・仙台藩の記憶につながる大事なヘリテージですね。

藩政時代、侍丁と職人町はきっちり分かれていたのが、よくわかります。

東北大学川内キャンパスには、かつては陸軍第二師団が設置され、ここ榴ヶ岡には、陸軍歩兵第4連隊の宿舎があったように仙台は軍都でもありました。

榴ヶ岡公園の敷地が、丸ごと陸軍歩兵第4連隊の施設でした。

仙台の商家の写真です。

 

昭和47年の仙台駅の懐かしい写真です。この角度の写真はあまり見たことがありません。左手奥に、仙石線の地上ホームが見えます。

明治・大正・昭和にタイムスリップする仙台市歴史民俗資料館で開催中の「なつかし仙台5」、4月中旬まで開催ですので、皆さんも是非ご見学を。

仙台市歴史民俗資料館のHPは こちら

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉔ 細横丁は藩政時代、幅3ⅿの”本当の細横”でした。

2024年02月09日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

冬の晴天、ほんとうに寒いですが、歩くには夏の暑さよりはマシですので、中心部を引き続き”街探”しています。

17番辻標「北三番丁(きたさんばんちょう)/細横丁(ほそよこちょう)」は、木町通小学校の南、北三番丁公園の南東角地に設置されています。

「細横丁」が、晩翠通と呼ばれるようになって久しいですが、年配の方には、やはりまだ”細横”がしっくりきそうですね。藩政時代は、大町三丁目から北五番丁までは、幅3mの細い通りの侍屋敷で、仙台藩最初の学問所が、北三番丁西南角にありました。明治以降各種小売店が並び庶民のマチとなり、明治29年に日本聖公会の教会が設置され、名物となりました。

「北三番丁」は、西は土橋通南端から上杉山通りを越えて、宮町まで武家屋敷がならんでいました。この付近にも堀が作られ、四谷用水から分水された水で、町を潤していました。

かつての東北地方整備局の跡地には、タワマンができて、1Fにはイオンが出店。北山トンネルができて、泉方面からの車が仙台中心部に流れ込み、南北を結ぶ幹線道路になりました。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

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