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仙台城下町”辻標”八十八か所③とカフェ「プロコプ」で一息

2023年07月29日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

仙台市の”辻標”八十八か所巡り。今日は、市内中心部をめぐりました。日差しが強い中、歩くのは大変ですが、汗をかいた後のカフェでの休息を楽しみに、4か所の辻標を確認しました。

45番「百騎丁/森徳横丁」

タワービルの南の端に、45番「百騎丁/森徳横丁」があります。かつて、東二番丁には、百石以上の武士が配置されていました。戦時には、多数の騎馬侍が出陣することから、別名「百騎丁」と呼ばれたようです。

タワービルの南端、東二番丁通りから東一番丁通りまで「森徳横丁」と呼ばれていました。明治初期は、荒れて寂しいところだったようですが、明治の中頃に、芝居小屋「森民座」が出来、のちに「森徳座」に改名、この通りを「森徳横丁」と呼ぶようになりました。

67番「虎屋横丁/糠蔵丁」

虎屋横丁は、一番町と国分町通をつなぎます。現代は、酔人には”重要通路”ですが、虎屋という薬種問屋があり、店頭に木彫りの虎があったのが由来。糠蔵丁は、東一番丁の大町以北の俗称。多くの糠蔵があったため。因みに大町以南は、塩蔵があったため、「塩蔵丁」とよばれていました。

82番「大町5丁目新丁/立町通」

仙台中心部再開発の目玉であり 東北電力ホール一体の再開発が計画されています。その北に位置する場所に辻標82番「大町5丁目新丁/立町通」があります。大町5丁目新丁は、ちょうど電力ホール付近に西側の通りをいいます。明治初期まで袋小路でしたが、立町通に通じ、新丁と呼ばれましたた。東二番丁から立町に至る通りで立町通。今は広瀬通になっています。

 

25番「青葉通/東二番丁」

青葉通は戦後の復興でできた街路。藩政期は、青葉城通じる主要な道路は、名掛丁(大町通)と南町通に限られていました。東一番丁から三番丁は、南北に長い侍丁でした。45番の百騎丁とあるように、中堅武士が多く住んでいました。幕末、明治期には、医学館、小中学校、裁判所、銀行などの町となり、戦後道路拡張で大通りとなりました。

 

 

4か所の辻標を確認し、休息場所を探していると、なつかしい看板が目には入りました。

「カフェ プロコプ」です。

知る限り、50年以上の歴史がある仙台でのカフェ文化のはしりのひとつではないでしょうか。

以前は、JR東日本東北支社前にも分店がありました。

 

入口、店内の様子もほぼ変わらない、と思います。(個人見解)

華美にならず、余計なものがない、かと言って、手を抜いているわけでもない。

 

ひっそりと壁面を飾っているのは、いまや世界を代表するタップダンサー”熊谷和徳”のポートレイトです。

ご実家だと聞いていますが、寡黙なオーナーは余計なことはしゃべりません。

一番町の喧騒にあって、いろいろなタイプのカフェがオープンしていますが、50年変わらず、控えめなカフェとして存在し続けることは、大変なことです。60代以上のシニアにはきっと懐かしく、そして落ち着ける場所ではないでしょうか。

参考資料

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘  発行所 本の森


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