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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑦ 広瀬川東岸編

2023年08月22日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

仙台市の”辻標”八十八か所巡り。引き続き、市内中心部を巡ってます。相変わらず日差しが強い中、歩くのは大変ですが、広瀬川東岸付近3か所の辻標を確認しました。

9番「立町(たちまち)/元柳町(もとやなぎまち)」

立町は、大町、肴町、南町、柳町、荒町と共にご譜代町のひとつで、幕末には、穀問屋が集まり、仙台藩を支えてきました。国分町以西が立町でしたが、戦後の区画整理に伴い、東二番丁まで延長拡幅され、今の広瀬通となったようです。仙台西道路とつながり、都心への進入路となりました。

元柳町は、いまでいう西公園通り沿いの町。ここも伊達氏と共に、梁川、米沢、岩出山そして仙台とつき従ってきたご譜代町です。

仙台市民の憩いの広場、西公園も「仙台緑彩館」と連携しながら”緑の回廊”として再整備されるとか、どんな風になるのか、楽しみですね。

かつてこの場所に仙台市立図書館があり、その前にきれいな池がありました。その跡でしょうね。

広瀬川西岸を望みます。子供のころ、西公園の近くに住んでおり、その頃はブランコなど遊具もあり、よく遊びに来ました。60年以上も前ですが、市民会館脇から広瀬川に下りられました。たしかドジョウを捕まえた記憶があります。※いまは下りられません。

こけし塔も近年、化粧直しされました。

蒸気機関車「C60 1号機」 には、屋根がかけられ、保存に前向きになってくれてうれしい限りです。

国内唯一保存されているC60型蒸気機関車です。

8番「定禅寺通櫓丁(じょうぜんじどおりやぐらちょう)/元常盤丁(もとときわちょう)」

定禅寺通櫓丁は、まさしく仙台を代表するメインストリート。「国分町、定禅寺通角に火見櫓が建てられたのでその以西が定禅寺通櫓丁と呼ばれ、侍丁であったが、明治初年常盤丁まで突き抜ける道となり、戦後拡幅された。」と標記されています。

元常盤丁は、明治の初頭に市内に点在した妓楼を集め、定禅寺通りと北一番丁の間を遊郭地域としましたが、明治後年、今の小田原付近に移設され、元常盤丁と称されます。戦後、公会堂そして市民会館や専門学校が置かれましたが、想像もつきません。

緑の木々が豊かな定禅寺通り

58番「跡付丁(あとつけちょう)/北材木町(きたざいもくまち)」

北側が北一番丁の侍屋敷、南側が北材木町の町屋に挟まれた横丁だったが、のちに繁華街に近いため太鼓持ちの別称でもある「跡付衆」が住んでいたことに由来するとされています。

北材木町は、城下町二十四町のひとつ、慶長年間に本材木町から分離、材木商、大工、指物師などが住んでいたとされています。

古くからご商売されていますね。

「伊達あられ本舗」さんは、香ばしい胡麻の香りの「ごまがき」で有名ですよね。

株式会社 伊達あられ本舗 | 【公式】仙台観光情報サイト - せんだい旅日和 (sentabi.jp)

春日神社は、地域に根差し、古くから祭られています。

法務局の南側に小さな児童公園があります。数年前まで、「跡付丁公園」と標記されていましたが、いつのまにか、「春日町公園」と変更されたようです。歴史が引き継がれないのは、さびしい限りです。

参考資料

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘  発行所 本の森


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