週末の天気が大荒れということで、最高の青空の下、
大学病院付近から大崎八幡宮付近を”街探”しました。
新坂通と支倉通の二つの辻標をご紹介。
16番辻標「新坂(にいざか)/新坂通(にいざかどおり)」は、
知事公館を下った曲がり角に設置されています。
知事公館の門は、仙台城の寅の門を大正年間に移築されたもの。
数少ない貴重な仙台城の遺構です。敷地内の洋館は、
これも大正年間に第二師団長の官舎として建てられたものだそうです。
左に下った曲がり角に設置。
新坂通は、この辻標からまっすぐ北上し、北山輪王寺まで通じていました。東北大学医学部が出来て、寸断されていますが、侍屋敷、寺屋敷、足軽など区画を分けて町割りされていました。
新坂は、水害でたびたび流される支倉橋に代わり、
元禄年間に澱橋が新たに設置され、支倉町方面に通じる道を、
川沿いの岩崖を切って急な坂を作ったのが始まり。
かつてはもっと急坂だったようですが、いまでも車は、アクセルをふかします。
下っていく途中に、いまは、使われていないような?水門の施設があります。
「へくり沢」の水門なのか近々確認してみようかと思います。
さらに進むと「澱不動尊」があります。
「澱不動尊文永十年板碑」があります。この板碑(供養碑)は,
昭和11年に澱町で確認され,町内会により保存管理されています。
仏教信仰を示す歴史資料となっています。銘文から、
文永10年(1273)に建てられたことが分かり,仙台市内で最も古い板碑です。
12番辻標「支倉丁(はせくらちょう)/支倉通(はせくらどおり)」は、
西公園通り、ツルハドラッグ支倉店を左に曲がった先の角に設置されています。
支倉丁は、北一番丁の西、広瀬川の断崖の上をほぼ東西に沿う町。
因みに、支倉常長の養父の屋敷が、この地にあったのが町名の由来とされています。
支倉通は、支倉町の西角から大学病院を貫き、北九番丁角の
恩慶寺に至る通りでしたが、のちに北山付近まで延長されました。
この町の断崖を降りてかつて支倉橋があり、広瀬川を渡って
川内の元支倉丁に通じる幹線道路でした。
洪水で流され、澱橋ができたとのことです。
支倉丁、支倉通、元支倉と、町名の由来でつながっていることが再認識されました。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森