仙台市の”辻標”八十八か所巡り。引き続き、市内中心部をめぐりました。相変わらず日差しが強い中、歩くのは大変ですが、汗をかいた後のカフェでの休息を楽しみに、4か所の辻標を確認しました。
50番「本材木町(もとざいもくまち)/本櫓丁(もとやぐらちょう)」
北山から大町まで続く通りを「木町通」と呼んでいますが、その中心、「本材木町」がもともとの材木町で、木材需要拡大に伴い、北・南材木町ができました。近辺に木材会社が残っているのもうなずけます。
藩政時代、国分町との角に火見櫓がありましたが、のちに各所に建てられ区別するため、「本櫓丁」となりました。広瀬通の北側を東西に並行して走る通りです。もともとは侍屋敷町でしたが、明治維新後は、花柳界、割烹料亭が多い町になりました。
その名残のような建物がいくつか残っていますね。
商売繁盛の「紫稲荷大明神」は、地域のシンボルです、建て直されたんですね。
割烹「三太郎」さん、頑張ってますね。仙台中心部は、戦災もあって、藩政時代、明治、大正、昭和初期の建物が数えるほどしか残っていません。
23番「片平丁(かたひらちょう)/琵琶首丁(びわくびちょう)」
「片平丁」は、仙台随一の由緒ある町並み、かつては、支倉町あたりから東北学院土樋キャンパス付近まで川沿いの崖上を指していたようです。大身の武士が住み屋敷も大きかったみたいです。
大屋敷の名残が残る通り。
割烹「春風亭」傍に、こんな表示板が。
「琵琶首丁(びわくびちょう)」
まるで琵琶の形のように、三方を囲まれた地形の北端を琵琶首と呼ばれていました。この半島のような地域の南に、仙台藩の花壇があり、その地名はいまも引き継がれています。花壇に行く手前に、「森の香本舗」があります。生菓子で有名ですが、残念ながら今日は、お休みでした。
「森の香本舗」
33番「花壇川前丁(かだんかわまえちょう)/琵琶首新丁(びわくびしんちょう)」
琵琶首の付け根付近から川に面した花壇の川前のエリアを花壇川前丁と呼びました。開府当初、伊達政宗は、日常的によく訪れていたようです。
藩政時代に琵琶首の東側の一角に、評定所が置かれていました。花壇を経由し川前丁と結ぶ通りが作られ、琵琶首新丁(びわくびしんちょう)とされました。古い建物が残っています。※なお、評定河原球場は、評定所が置かれていたことに由来するそうです。
49番「大坂(おおさか)/大町頭(おおまちがしら)」
「大坂(おおさか)」は、仙台七坂のひとつ、大町頭から仙台大橋に至る坂で藩政時代は、屈折した旧坂でした。「大町頭(おおまちがしら)」は、いまの大町交番付近です。南北に、かつての伊達藩の重臣の屋敷が並んでいました。
辻標北側、西公園南端には、「源吾茶屋」があり、休憩場所として最高です。
桜岡大神宮があります。七夕前夜祭の花火観覧の場でもあり、その名の通り、桜の花見場所としてもピカ一ですね。
有名な「臥竜梅」はここにあったんですね。
お盆・夏休みのところも多く、休憩・ランチは、仙台大神宮近くの昭和レトロ喫茶「DOMI(ドミー)」です。
開業してから間もなく50年ということですが、駐車場の奥に店があり、なぜか限られた人だけの珈琲店と少しだけ距離を感じていましたが、”思い切って”入店、そこは、懐かしい昭和喫茶でした。
ランチもドリンクセットで850円、安心です。
長年、気にかかっていたものが、ひとつ解消しました。
参考資料
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘 発行所 本の森