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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑩ 仙台駅西側ハピナ名掛丁と錦町公園付近を巡りました。

2023年09月14日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

愛宕上杉通りとハピナ名掛丁の交差する両側に、辻標が向かいあって、建ってます。

54番「新伝馬町(しんてんまち)/東五番丁(ひがしごばんちょう)」

伝馬とは、人や荷物を運ぶ制度、および直接馬を指します。馬や人足を配備し、荷物を運びました。新伝馬町は、物流拠点のひとつで、今の中央通り商店街としての基盤ができ上っていました。

愛宕上杉通りとハピナ名掛丁の交差する南側は、かつて「東五番丁」という侍丁でした。仙台藩の大番士の屋敷町でしたが、仙台駅開業や道路拡張により駅前広場を含む大通りになりました。

53番「名掛丁(なかけちょう)/日吉丁(ひよしちょう)」

伊達氏が名を呼び掛けて取り立てた名掛組の組屋敷が置かれたまちが「名掛丁」です。

愛宕上杉通りとハピナ名掛丁の交差する北側は、かつて「日吉丁」と呼ばれていました。北側は、大きな屋敷や私道があったり通行が不便でしたが、明治末に地主の「日野屋」と「吉岡屋」から道路用地の寄贈により、公道として整備され、日吉丁とされました。

41番「茂市ヶ坂(もいちがさか)/元寺小路(もとてらこうじ)」

広瀬通パレス平安角から花京院通に上る坂。仙台7坂のひとつ。藩政時代初期、盲人の茂市が住んでいたのでこう呼ばれたといいます。またこの付近は段丘の上にあり、仙台城の鬼門にあたり、定禅寺や満願寺など寺院が立ち並んでいましたが、のちに一部移され侍丁になると「元寺小路」と呼ばれました。

7番大仏前(おぼとけまえ)/同心町中丁(どうしんまちなかまち)

本町交番付近から家具の街付近までを「大仏前」と呼ばれていました。かつて亀岡八幡が錦町公園にありましたが、移転すると天台宗の寺院ができ、高さ約6メートルの大仏安置されましたが、大仏は仙台空襲で焼失しました。

「同心町中丁」は、亀岡八幡の移転後、寺や神社の門前に同心衆の住居とされたのが由縁。

戦後、ここに仙台レジャーセンターが建設されましたが、その正面にあったレリーフが、錦町公園に残されています。※見覚えがあります。

NHK仙台放送局が、錦町公園の隣接に移転し、イベント会場として、平日は静かな公園として

市民に親しまれていますね。

参考資料

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘 発行所 本の森


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