元時代から明時代にかけて、江南の海寧に賈銘(1269年頃〜1374年頃)という富豪がいました。賈銘は字は文定と言い「華山の老人」と名乗っていました。 元の時代には、「萬戶」という軍事的地位を持っていたため、「賈萬戶」とも呼ばれていました。
彼は武将でありながら、儒教の古典にも通じていて、文章を書いたりするのが得意でした。 健康に関する本をまとめた『飲食須知』では、食事の禁忌にこだわり、360種類の食品の効果やタブーを紹介し、「健康を維持する人は健康を害さない」ことを示唆しています[注]。
明の開国の元勲、劉伯温は、天文学や地理学を知り、医学や占い、占星術や風水術にも精通していました。 元朝末期、朱元璋と出会う前に、王朝が変わって新しい主が生まれることを予見し、自分の補佐で偉業を成し遂げる人物を求めて、天下を周遊しました。
劉伯温は海寧に向かう途中、賈銘の名を聞き、自分の才能を生かして賈銘を助けたいと思い、嘉明に会いに行きました。 彼はその家に長く滞在していましたが、賈銘が将来に対する遠大な志望がないことを知り、彼を助けることを諦めました。 ただ賈家が祖先の墓を建てるために、山の頂の綺麗なところにある風水の良い土地だけを選んであげました。
起工式の日、賈銘は宴会を開き、山陰の胡隆成や崇徳の鮑恂など、多くの文学者や著名人を招待しました。
宴会の最中、突然強風が吹いて金箔が家の梁に直接落ちてしまいました。 奇術に長けていた劉伯温はその光景を見て......
【続きはこちら】
◎合わせて読みたい:
◎おすすめ:
◎トップニュース:
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます