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法廷での審理が終わるとメディアは私に「この件に関して、全国の同業者に何かメッセージはないか」と尋ねた。私は同業者にこんな忠告を残した。「中国の弁護士が無恥と栄光の区別をはっきり自覚したときこそ、中国の弁護士にとっての希望の始まりなのです」。しかし悲しいかな、我々はいまだにこの希望の芽生えを見ることができていない。
この世界において、弁護士ほど司法制度と密着した職業はなく、また現実社会の正義に対し自然的責務を負う職業もない。しかし中国では、それが無残なほど変わり果ててしまっている。冷静かつ公正に論じるならば、これは中国の弁護士が自ら追い求めた結果ではないはずだが、弁護士自身が放任した結果なのである。
この世に、犬になりたいと願わない犬が存在するかどうか、私は知らない。だが1人の人間または集団内の人間が「犬(媚びへつらう者)」になりたいと願うなど、誰も納得できはしない。自ら「犬」になりたいと思う人間はいないはずだが、最後には「犬」のような集団が出来上がってしまう。この中国の「法律サービス市場」においては、「犬」のような者しか大手を振って歩けないのだ。この現実に、私は深く心を痛めて已まない。
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