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この一連の裁判はどれも勝訴した。勝訴したからこそ、私には彼らについて批評することができる。
これらの裁判で我々が目にしたものとは何か。何よりも道義と良知に対する民衆の支持である。私も様々な場を利用して語っているが、これはおそらく中国にわずかばかり残された希望の光だろう。法律については、少なくとも自らその役目を果たしてはいない。最終的には被害児童に有利な判決が下された。
しかし、ほとんどの場合、それは子供の権益を守るためではなく、上から下まで社会全体が道義を支持したその力のほどを(司法が)恐れたからであった。メディアが追跡報道を続ける中、その圧力を受けてやむを得ず出した判決なのである。たとえ法律があの一時(いっとき)しか働かなかったにしても、偶然の力の介入と偶然の要因の刺激があって、最終的に法律に一定の役目を果たさせたのだった。
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