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訴訟にかかわる弁護士として、私の人生は苦しいものである。過去も現在も、そしてこれからもそれが変わることはないだろう。
私は、余りにも多くの不可解な存在――この国における司法の過程を目にしてきた。これはモラルある社会に対する犯罪に他ならない。私自身、中国の司法の現状を百も承知だからこう言うのであって、これはけっして簡単な思い付きではない。私のような性格の人間が、海の物とも山の物ともつかぬ司法の現状を前にすれば、どれほどの苦痛にさいなまれ続けるかは、想像に難くないだろう。しかし私にとってもっとつらいことは、いまだにいかなる変化の兆しも見られないことである。
袁紅冰教授の文章を読んでひとしきり感慨にふけった私は、筆の向くまま書いてきたが、やはり締めが必要だ。私は感じる所があってこの文章を書き始めたので、別に何かきちんとまとまった考えを表現しようとしたのではない。けれど一種の苦しみを吐露した感じがする。もちろんこれは、単なる苦しみを吐露する文章ではないのだが。
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