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中山泰秀元防衛副大臣は、台湾の先人たちの日本に対する恩義を忘れてはならないと語った。写真は2015年撮影 (Photo credit should read -/AFP via Getty Images)
日本は台湾(中華民国)と日華平和条約を締結していたが、米国のニクソン政権が中国共産党を政府承認すると、「たった1秒も審議にかけずに潰してしまった(中山泰秀氏)」。北朝鮮ですら国連に参加しているのに、なぜ台湾は席を置いていないのか。
幼い頃、父のあぐらのなかで台湾との友好関係を聞いて育ったという中山氏が、台湾への熱い想いを語った。
——故・安倍元首相は「台湾有事は日本有事」と語った。戦後の日台関係はどのようなものだったのか。
日本は1945年8月15日に終戦を迎えた。1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復し、翌年には台湾と日華平和条約を締結した。
ともすれば、隣の朝鮮半島と同じように、北はソ連、南は米国という形で分断されていてもおかしくなかった。そのとき、蒋介石総統は「恨みで報るのではなく、徳を持って日本に接しなさい」との考えのもとリーダーシップを発揮し、日本の分断を防いだ。
しかし、米国のニクソン政権が中国共産党に接近し、「一つの中国政策」を認めると、日本もそれに追随した。自由と民主主義を掲げる日本が、中国共産党一党独裁の国家と平和友好条約を結んだ。
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