お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

肥田城

2013-09-08 15:39:47 | 滋賀県
 肥田城

2013/8/28

滋賀県彦根市のお城めぐり

 水攻めにあった高野瀬氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 肥田城
よみ: ヒダ
別称:
所在地: 滋賀県彦根市肥田町
現状: 田・宅地
築城年代: 大永年間(1521-28)
築城者: 高野瀬隆重
形式: 平城
遺構: 土塁・堀
規模: 500m×300m
文化財:
訪城日: 2010/1/15・2013/8/28


≪ 訪城記 ≫

八町城から肥田城へ向かう。

八町公民館前の県道219号を西進、東海道新幹線高架下をくぐり、近江鉄道本線踏切を渡り、高野瀬交差点信号を左折、国道8号を南下、宇曽川手前の沢交差点信号を右折、県道204号を宇曽川沿いに西進、宇曽川堤防上の三津町南三叉路信号を左折、宇曽川に架かる橋を渡り、肥田町の集落へ入る。橋を渡って150m程南下した交差点を右折、130m程西進したところの道の北側に肥田町公民館がある。この公民館前の駐車場に車を駐車させてもらう。

肥田町公民館から徒歩で西へ200m程行った北へ向かう農道入口に肥田城址碑が建っている。さらにこの農道を北へ130m程行った田んぼの中に山王祠があり、その前に新しい肥田城址碑と説明板が建てられている。
山王祠前に車を駐車するスペース有。
集落の南側と東側の水路沿いに土塁跡が見られる。特に東側の土塁は良好に残っている。
土塁沿いの水路が堀跡だそうです。
肥田公民館東側の宗徳寺には、歴代城主高野瀬隆重、秀隆、蜂屋頼隆、長谷川秀一の肖像画が伝わっている。


≪ 歴 史 ≫

大永年間 (1521-28) 六角氏に付いていた在地土豪高野瀬隆重が築く。
永禄二年 (1559) 子の秀隆の代に浅井氏に付いたため、六角氏から城を攻められ、「肥田城の水攻め」にあうが、堤が崩れ水攻めは失敗に終わっている。
永禄三年八月 (1560) 再び六角氏が攻め入ったが、浅井氏が野良田の戦いで六角氏を迎え撃ち、浅井氏が勝利したことにより犬上郡、愛知郡の支配が浅井氏に移る。
その後、浅井氏滅亡後、高野瀬秀隆は織田信長家臣柴田勝家に仕え、天正二年(1574)四月、越前一揆に敗れ自害している。
天正二年 (1574) 泉州岸和田城主蜂屋頼隆が入城。
天正十一年 (1583) 蜂屋頼隆が越前敦賀城主となり、長谷川秀一が城主となる。
文禄二年 (1593) 長谷川秀一が朝鮮出兵で渡海し、陣中で病死し、肥田城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


肥田城址碑


山王祠前の肥田城址碑と説明板


集落南側の西附近の土塁と堀跡


集落南側の中央付近の土塁と堀跡


集落東側の中央付近の土塁と堀跡


集落東側の北附近の土塁と堀跡


崇徳寺


現地肥田城跡地図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線稲枝駅から徒歩約1.6km、約30分。
<車>
名神高速道路彦根ICを降りて国道306号を北西へ進み、外町交差点信号を左折、国道8号を南下、沢交差点信号を右折、県道204号を宇曽川沿いに西進、宇曽川堤防上の三津町南三叉路信号を左折、宇曽川に架かる橋を渡り、肥田町の集落へ入る。橋を渡って150m程南下した交差点を右折、130m程西進したところの道の北側に肥田町公民館に駐車スペース有。または田んぼの中の山王祠前にも駐車スペース有。


≪ 位置図 ≫

肥田城


山王祠


東側の土塁と堀


南側の土塁と堀


崇徳寺


紹介したお城の数 127城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版